2013年12月30日月曜日

2回目のイリノテカン+アブラキサン - 他12月まとめ

12月11日 - がん研:漢方サポート科
体調不良で前回の診察をドタキャンした為、次回の予約が入っていなかったので、診察予約と採血と処方箋を求めてがん研に電話をした。
担当の医師は休診日で処方箋を出せない、と言われたが、私のカルテに何かが記されていたようで、すぐに医師に連絡をとって折り返します、と言われた。
外科の連中に適当に診察をされるのかな、と思っていたが、折り返しの電話で漢方サポート科の医師が午後から会議に出席するので待たせるかもしれないがお会いしたい、と言っていると伝えられた。
指定時間前に受付と採血を済ませて、入院患者を検査へ運ぶ看護師に声を掛けられながら、温かい場所でホットレモンを飲んで時間を潰した。
予定時間通りに診察室に呼ばれ入室してみると、いつも従えている研修生の姿はなく、漢方サポート科の医師だけだった。
質疑応答を済ませて今後の方針を尋ねられ返答をした。
君のこの採血結果の良さは何なのだろうね、趣味は何なの?、どこでそんなに知識を蓄えたのか?、等と普段はしないラフな雑談をしていると、話の途中で、化学療法に恵まれている環境が羨ましいよ、と言われた。
くだらない決まりのせいで、医師が歯がゆい思いをするのはどなたでも同じなんだな、と思いながら、医師からのアドバイスに耳を傾けた。
次回の予約表と採血結果を渡され、頑張りなさい、と言わて診察が終わった。
処方箋ゲット!!!!アヘンチンキが無い3日間はなかなか辛かったぜ。




12月13日 - 化学療法
採血結果は良好。
腫瘍マーカーに大きな変化は見られず歓迎しない方向に走りだしている。
前回の化学療法から2週間が経過したが、化学療法後の3日だけ痛みが和らぎ再燃した。
医師にこの旨を伝え、体調の変化を伝えた。
イリノテカンをベースにアブラキサンは維持する事になったが、投薬量を増やして様子を見ることに自分で決めた。
投薬後の3日程は今までに無い吐き気と倦怠感に悩まされ、起き上がる事もままならずほぼ寝て過ごした。
長時間横になる事で消化液が逆流してくる事と、化学療法の副作用??で吐いては横になるを繰り返した。
4日目に気分転換に体を動かし始めると緩やかに治まりだした。
この記事をタイピングしている18日も痛みは無いが、体調は思いもよらない方向に傾き始めた事を感じる。



- 途中経過省略 -


12月24日-25日
ショートケーキ2個とモンブランとチーズケーキを1個ずつ買って帰宅した。
娘は誕生日ケーキのロウソクを上手く消す事ができなかったけれど、その後に一人で懸命に練習を重ねた成果で、クリスマスケーキのロウソクは自分で消す事ができた。苺のショートケーキが気に入ったようで1個近くを食べてしまった。
寝る前に玩具をお片付けしないとサンタさんが家に入ってこれないよ、と言うと、ハイッ!!と良い返事をしてお片付けを頑張った。
クリスマス=サンタ=賑やかな歌と踊り=楽しそう=好き!!、程度の認識のはずなのに、何が彼女を駆り立てたのか考えたが答えが見つからなかった。
日付が変わった25日に邪魔で片付けていた本部プレゼントを仕込んだ。
久しぶりに見た本部の中に何かがあるのがわかったようで寝起きからソワソワしていて可愛かった。
残念ながらまだ早かったようでプレゼントにあまり関心を示さなかった。
(絵本+ディズニー鉄板映画のDVD9枚)
私の妹からシルバニアファミリーの人形と家のセットが届いた。
これにはがっつり喰い付いた、負けたぜ。

自分には・・・。。。。。。。
今年もサンタつかえねー。
おまけに、楽しみにしていたモンブランが起床すると消えていたorz
幼少期から困らせるような我侭を言った覚えは無いのだから一度位はサプライズを届けて!!!!!!!

/DJ BL3ND - WINTER MIX

Dear Santa Claus, 
wassup? I never understand wassu are doing! Try not to make waves, up to u. May the force be with u...
regards. hd
ps, a little bird told me, he's the Best mazafacka.


12月27日 - がん研:CT
CT結果は黒々としたグレー。
来月のPETで他に転移があるかを調べて今後の身の振り方を考える。
その半面で、採血結果は良好。
腫瘍マーカーは前回の約半分になり、手術前は効果が定かではなかったが、イリノテカンとアブラキサンの有効性が明らかになった。
肝臓が弱い自分にとってジェムザールの代わりになるイリノテカンは有難い。
約一ヶ月の休薬期間を設ける次回の採血結果で、イーブン=不変になれば前回の投薬量で早い段階に基準値内に持っていく事ができ、別の薬か次回の採血結果を元に算出できる最低限(大凡標準の20%程度??)の投薬量でも維持できるかもしれない。
外科の医師とはかなり話が脱線してしまったが、3月にまたお会いしましょう、と内科にバトンを渡された。
漢方サポート科の医師は私と話す事が楽しみのようだがちっとも嬉しくないorz
ワクチンについて医師を紹介して頂く事になった。
*メモ:そろそろ便を固める薬を飲み始めてもいい頃だと思うので次回の診察時に相談をする。
同日に予定していた化学療法は諸事情で休薬した。
前回の化学療法から13日で痛み襲来。




おまけで約半年の採血結果のチャートを残す。






統括
4月に手術をしてからは、元の状態に戻す為に試行錯誤を重ね、新たな問題にモグラ叩きを繰り返しているが、まずまずのコンディションで33歳の誕生日を迎える事ができそうだ。
採血結果は健康体に近い状態を維持しているが、消化器を筆頭に全身の機能が衰えだしている事を実感し始めた。
今使っている化学療法のアブラキサンは間もなく使えなくなるはずだ。
その時迄に良いポイントに持ち込めていなければ、自分に残された化学療法は武器どころか盾にすらならないだろう。
医師達と先駆者が残してくれた情報とGoogleのお陰で取り返しがつかなくなる一歩前で軌道修正をできているが、あと2-3ヶ月で次の手を踏まないと一気にあの世行きの去年と同じ状態だ。。。。
化学療法以外の治療で、自分に該当する効果的な治療と論理的で目新しい治療は見当たらない。
強いて挙げるのであればワクチンで、年明けにワクチン摂取について意見を伺う場を設けて頂いているが、これを使う時期や付随する問題を熟考した上で行動せねばならない。
痛みが酷い時は自分が満足できる生活レベルを保てる量のオキノームやオキシコンチンでは対応が追いつかなくなってきた。だが、レスキューに頼る事をやめてみると、慣れたのか諦めたのか定かではないが、一見普通に生活はできている。
これ以上の痛みレベルに行くとポートからフェンタニルを注入する事も検討せねばならない。
幸いにも食事は人並みに摂れて体重は維持できている上に筋肉もついてきたので、便通と血流に気をつけ、秋にはToulouseへ行けるように頑張って生きたい。
今年は守備に徹した一年だったように感じるが、失敗しても諦めないで何度も挑戦を続けて、自分の知恵と力で掴みとった一年であるようにも思う。
この調子でやっていれば今まで通りきっと何とかなるさ('A`)y-~

今年も沢山の方に支えて頂いた。
生きてくれていればそれでいい、と何人かに言われたが、この言葉が一番ありがたかった。
ブログを通じてコンタクトをとってくれる方々と、実際にお会いした方々には、私が何より欲している心の拠り所を頂いた。
特に嬉しかった事は、大目玉さんにカロリーの高い美味しい物を食べたい、と冗談で伝えた時に、すぐに近所で評判のお店に出向いてくれてホールのチョコレートを送って頂いた上に、その後のLineのやりとりの過程で、君の役に立ちたい、というニュアンスの言葉を頂いた事だ。
これは代わりがない素晴らしいプレゼントだ。
膵臓に関する病気を共有する者として戦友であり、どちらが長生きできるかのライバルでもあるが、悪い言い方をすれば接点はそこだけだ。
しかし、互いに深く素性を知ろうとせず、純粋にこの接点でリンクできている事に感謝する。
彼を始め私に関わる方々に対しても言える事だが、どのような感謝の言葉を並べようともそれは単なるキャリアでしかないので、原点に戻りもっと概念的でプリミティブな何かで表現をできないか考えたい。

>>blog readers
今年も拙い駄文を読んで頂いた上に、バナークリックとコメントでも応援をして頂き、まことにありがとうございました。
明けない夜はない、そうです。
良いお年を!!!!!!!

今年も励まされ続けたHONDAのCMで今年最後の更新を締め括る。


HONDAのどなたか!!!!!!!新型NXの直管仕様をプレゼントしてください!!!!!!!

/[Jazzy Hip-Hop] ~ Moon Escape ~ mixed by HaruYahMan from JP Osaka



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2013年12月6日金曜日

【娘ちゃん】娘の2歳のお誕生日と成長をお祝いした夜【→→→娘】

今年も大きな怪我をする事も病気にかかる事もなく、好き嫌いをしないで何でも食べて元気にこの日を迎える事ができた。
2歳を迎える前に、日常会話は殆どコミュニケーションを取る事ができるようになった。
それでも私・妻・妻母にしか伝わらない事がたくさんあるようで、意思の疎通が上手くいかなくて寂しくなると、椅子に腰掛ける私に長垂掛けて言いたい事を長文で伝えてくる。
私にしか理解できない言葉の殆どが、娘が悔しい思いをした時と悲しい思いをした時の言葉のようだ。

娘からはパパやお父さん等の一般的な敬称で呼ばれたくないと願っていた。
2013年8月11日、私を初めてhdちと呼んだ。
これは妻と、妻の友人と、娘しか呼ばない敬称だ。
お父さん・パパ等の父親を呼ぶ敬称は理解しているようだが、パパは誰?と聞かれても指差すだけでhdちと呼び続けてくれる。
出先でhdちーと大声で叫ばれるのは少し恥ずかしくもあるけれど、君と私の関係性そのものを表した言葉であり、父親として、一人の男として心から嬉しく思う。

言葉を覚え、知恵を付け、女性らしく優しく繊細に育っていく。
音楽に合わせて体を揺らし、大きな声で歌い、自分の意思を相手に伝え、自分の世界を作り、もう立派な人間の仲間入りだ。
道具の使い方、コミュニケーションの取り方、English、Spanish、二人だけの秘密でたくさんの事を教えている。
新しい事を教えている時は、うん!うん!と、目を輝かせながら、真っ直ぐに私を見る。
澱みの無い綺麗な目は、きっと毎日奇跡を見ているのだろう。

犬でも人でも構わない、誰かが君の後をついて行きたいと思えるように、自分に誇りをもって強く生きてほしい。
躓く事を恐れない今の気持ちのまま、元気に育つ事を願う。
安地は立ち向かった先に必ずあるよ。
2年生存おめでとう。
娘ちゃんから娘へ成長した君に、心から愛をこめて。


今年は娘がアップルパイを所望した。
ケーキに割く時間が食事を作る時間に割り当てられたが、イチゴやトマト等の特に好きな物だけを食べて眠ってしまった。
大好きな食材のオンパレートで、配置を考えたり海苔で顔を作ったりと力作だったのに残念。
誕生日プレゼントは、お絵かきボード、シルバニアファミリーの家と雑貨類、姓名それぞれの印鑑、印鑑ケース、通帳1通。
/きらきら星 
初めて一人で歌いきった曲。
物事への理解が深まり、この曲を聞きながら夜の星に何を願うのか楽しみだ。


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全国のおじいちゃん・おばあちゃん待ってます!!!!


2013年12月1日日曜日

1回目のイリノテカン+アブラキサン - 体調の乱高下

2013年11月29日(金曜日)~2013年12月1日(日)

病院に行きたくない気持ちが先走り、気分が優れず足取りが重かった。
気分転換を兼ねて妻からおさがりで貰ったコートを羽織って行った。
病院に着くと関西方面のナンバーが着いた車が数台いて駐車場所が無かった。
看護師から呼ばれている名前や話の内容を聞いていると、私とメールのやり取りをしている方のようだったが真相はいかに??
受付に行き診券とCT画像が入ったメディアを渡して、コインパーキングに駐車してくるので診察時間をずらしてくれるように伝えると、心遣いをして頂き病院前の駐車スペースを確保する事ができた。

診察室に通されるとCT画像がモニターに映りだされていた。
レポート内容を伝える前に怪しいと言われる部分に着目をして、採血結果を見ながら3週は開けたくないけど、あなたはどう考えている?、と唐突に言われた。
この病院の採血結果の方が精度が良い筈だが、がん研とほぼ同時期に採血をしたにも関わらず、CA19-9の値差が大きい事に焦点を置いて、これらの化学療法について医師と話し合った。
長丁場になる事は間違いが無いので、使える薬をいかに残していくか、今ある薬で今の症状を抑える事に適した薬剤は何かにスポットを当てて、使い回しが効くオーソドックスなチョイスをした。
ハーセプチンは血液検査の結果を見ながら適時追加していく事にした。
イリノテカンを使うのであればFOLFIRIの選択もあるが、TS-1の無効化と下痢の症状を抱えている事から採用を見送った。
次回の採血結果(約4週後)を見て、FOLFIRINOX+αに戻るか検討する事にした。

薬剤の選択後に話題になった事が体調の変化だった。
10月半ばから背中に熱さを感じ始めて下旬には痛みに変わった。
これらは食後に感じていた事で、膵体尾部切除後の隙間に腸が入り込んでいる事もあり、消化にかなり気を使った食事にしていたものの、消化後も粘度の高い物を食べると神経を圧迫されているような感覚に襲われ痛みを誘発した。食事量が少しずつ増えてきている事もあり、この時点では様子見する事を選択した。
11月上旬~中旬にかけて、上記の症状が食後だけではなく、日中に活動している時にも起きるようになった。
11月中旬~当日にかけて、呼吸が出来なくなる圧迫感と痛みに襲われるようになり、夜中も背中の痛みや呼吸困難で何度か目が覚めるようになった。
CTを撮った際に腹水と胸水の有無を聞いた意図がここにあり、胸水が溜まっていた時のように溺れて呼吸ができないような状態に近いものがあった。
腸が何かを圧迫しているだけではない事と、以前とは比べ物にならない早さで体が変化していて、去年と比較してもレンジ幅が狭まり全く余裕が無い事に戸惑いを感じていた。
これらを医師に伝えると、今まで経験なさっているのですから何が原因かはおわかりでしょう、頑張りましょう、と言われ、この日も個室に通してくれた。
相変わらず何度も針を抜き差しをして絆創膏だらけになった。
点滴中は心此処にあらずで、どうか一発で効いて今抱えている不調から脱せるように、と願い続けた。
点滴は2,5h程で終わった。



化学療法が終わった後に、いつも小さなご褒美としてマックシェイクのバニラを買っていた事を思い出して、ドライブスルーに寄るも注文をしながら嘔吐した。
これが引き金になり、首都高が渋滞していて2時間近くノロノロ運転をしている道中で何度も吐いた。
途中のPAで下痢の為に30分の足止めを食らう。
会社に立ち寄り何かをして自宅に戻った。
帰宅して何をしたのかよく覚えていないが14時間近く眠った。
以前のように長時間横になっても胆汁が逆流する事が無くなった。
起床してみると体の至る所が痺れているものの、背中に痛みは無く調子が良いのでスノボーでも行くか!!、と思っていると一気に具合が悪くなり始めた。
貧血の様な状態で目眩が酷くて寝込んだ。

翌日(今日)も14時間近く眠り、やっと調子が戻り始めた。
薬が有効という事が判って安心した。
はー、散々だったぜ。
俗に言う終末期に近い痛みと苦しみをまた味わい始め、これから先こんな調子が続くのかと思うと、もう人間を辞めてしまいたい。
でも辞められないんだなぁ('A`)y-~

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/やくしまるえつこ - nekomeshi 歌詞

2013年11月26日火曜日

原発探しと治療探しの旅+α / 再発確定

2013年11月18日(月)
化学療法を受けている病院に相談に行った。
予約時間より10分前に着くと、受付嬢からお元気そうで良かったです、心配していたんですよ、と言われた。
受付を済ませると出先から戻った医師と鉢合わせた。とても暖かい笑顔で迎えてくれた。
席に着き、今迄の経過・CA19-9の急上昇・体に感じる不調等を伝えると、今すぐにでも化学療法をしたい所だけどどうする?、と問われた。
予定があるので29日迄待って欲しい、それまでに化学療法に耐えられる体を作ってくる、と伝えると、わかったよ、と残念そうに言われた。
10分程質疑応答をしていたが、化学療法について話し合う抗癌剤オタク2人は看護師から見ればとても滑稽に見えた事だろう。
散々話し合ったものの、取り敢えず腫瘍マーカーを基準値内に持って行こう、と着地地点はオーソドックスなものになった。
1.FOLFIRINOX@(オキサリプラチンでアレルギー反応が出てしまったが、別の同系統の薬で代用)
2.FOLFIRI+アブラキサン
+ハーセプチン
+ゾメタ(血液検査結果により採用を検討する)

#2が濃厚。

TS-1は飲み続けているのですが、今の状態だと無駄だと思うので止めてもいいか?、の問に対して、もういいよ、とシンプルな答えが返ってきた。

今日は採血をして帰るように言われ、久しぶりに独特な空気を醸し出す看護師達に囲まれて、相変わらず挿しにくい血管、等と言われながら3回目のチャレンジでやっと血液の採取ができた。
かなり遠回りをして考えをまとめて帰宅した。

2013年11月19日(火)

社畜。
去年は娘ちゃん…の誕生日に出席をした、私が属する業界のイノベーター集団の集いに出席をした。
今年も出席できた事を嬉しく思う。
受付でお偉い様方達に暖かい言葉で迎えられ、お気遣いまでして頂き改めて感謝した。
先方の担当者は私の腹黒さを十分理解してくれたようだ。これはありがたい。
去年より体調が良い。途中で退席する事は無く無事に務め上げる事ができた。


去年の出席者は160名程、今年は200名程。
この数字から見出せるものは??

会社に立ち寄ると久しぶりの面々に会った。
1ヶ月半前にあった者にさえ更に痩せたと言われた。
挨拶もそこそこに自分のデスクから必要なものを取り出し帰宅した。

帰宅すると娘ちゃんが食事をしていた。
スーツ姿で帰宅した私を見て、おしごとおつかれさま、と言ってくれた。
去年に作ったスーツはサイズが合わなくなってしまった。
リフォームするより新しく作った方が安上がりになりそうだ

この一式はもう着る事が無いので記念撮影。
cu zegna.

2013年11月20日(水)
私用で一日外出をした。
空き時間がある時はひたすら治療について調べて考え続ける。
結論は出ず。

2013年11月21日(木) 再発確定日

イケイケ医師を尋ねた。
約8ヶ月ぶりの顔合わせだった。
イケイケ医師が私を見た瞬間の言葉は、生きてましたか、痩せたね、大丈夫?、でも僕と変わらない位だからまだまだいけるよwwwwwww、だった。
席に着き、術後からの経過報告と質疑応答をした。
資料を持参し忘れてしまい、ブログを読みながら詳細を伝えた。
一通り質疑応答が終わると、今日は何で来たの?、と聞かれた。この病院は横の繋がりが薄いようだ。
造影CTをすぐに頼める且つ、全国規模でカンファレンスをしてくれる大きな病院が他に無い事、今後の専門的な治療以外はイケイケ医師に面倒を見てもらいたい事、薬の処方をがん研からこちらにシフトして欲しい旨を伝えた。
全て快諾してくれて、CTの予約画面を開いてくれたが、予約が一杯のようでPCからでは差し込めなかったようだ。
放射線科に電話をして、体調が悪い人がいるので緊急で差し込んで欲しい、30分程度は待てると思うから、と相変わらずのゴリ押しですぐにCTを撮ってくれる事になった。
火曜日迄にカンファレンスをしておくので、最終時間に予約を入れておくから適当に来てくれ、データを焼いて待ってるよ、と言われた。
時間までどこかに座って待っていて、と言われ席を立ち、感謝します、これから宜しくお願いします、と伝えると、娘さん元気?、もう少しで2歳だったかな?、うるさくて仕方がない頃だね、頑張って、と言われた。

総合病院なので余計な病気を貰わない為に、一度車に戻って考え事をして時間を待った。

放射線科の受付に行くと、あら、お久しぶり、と言われて受付を済ませた。
私の動向をさぐるLineに返信をすると、娘ちゃんは近くの施設で遊んでいたようだ。
もう少しで終わるから車で一緒に帰ろう、と伝えるとすぐに放射線科に来た。
娘ちゃんはいつもと違う環境で独特な雰囲気がある場所に少し戸惑いを見せたが、ベビーカーから降ろすと同時に走りだした(;´Д`)
やたらとテンションが高くて、床を触ったり、床に座ろうとしたり、普段はしないような事をするので、潔癖気味の私は気が気でない時間を過ごした。

CT室に入るように案内をされて、顔なじみの初老の優しい医師に2点をお願いをした。

・胸水・腹水の有無
・肝臓・膵臓付近以外は答えを急がないので再発場所がどこか探して欲しい
撮影後に15分程待って頂けるのであれば、簡単ではあるがお伝えできると思います、と言われた。
造影剤用の太い針で5箇所も刺されたorz
造影剤を注入されると同時に吐き気が込み上げてきた。
娘ちゃんの卵アレルギーは私のせいなのだろうか、と考えながら耐え続けた。
CTが終わり、星形のキーホルダーの取り付け方を娘ちゃんに教えながら廊下で待っていると、医師が私を探しに来てくれて簡単な説明をしてくれた。
・胸水・腹水は無い。
・以前も問題だった血管付近の影=腫瘍が変わらず存在している。(=削いだ筈の部分が復活??)
聞いた瞬間にハイ終了、と思うと同時に、水が溜まっていないのなら勝算が無い訳ではないか、と少し気分を持ち直した。
よく見ておくので火曜日に主治医から説明を受けてください、と言われ、精算等を済ませて病院を後にした。
帰宅して体調不良と気の落ち込みでダウンした。

*2013年11月26日(火)追記
CT結果
SMA付近が低濃度で囲まれる=浸潤疑い、1月のPETで判断。
リンパ節転移疑い(確実なのは2箇所?パラパラあると表現をされた)、1月のPETで判断。
**血管切除部分が**(メモが読めない)、1月のPETで判断。
肝臓・肺は明らかな転移は無く綺麗な状態。
腹水・胸水無し。
切除した膵尾尾部周辺の隙間は腸で埋まっている。
腹部の全体的な評価は良好でかなり綺麗な状態。
事前情報があって注意をして見ないと見落とすレベル。
化学療法で経過観察を推奨。
*規則変更の為、レポートは印刷不可、病院間でのデータ共有は可能。
*CT画像は別の医師に読影をしてもらい、内容を再確認した上で該当部分の掲載を検討する。


サービスショット。まだ脂肪がある。骨の髄までしゃぶらせてあげましょう。
苺を食らわば皿まで。

2013年11月22日(金)

夜中に嘔吐をして若干の発熱を感じた。
全開も骨シンチ前に体調を崩した事を思い出し、先日のCT結果もあるので起床して体調が優れなければ骨シンチを見送る事にして床についた。
起床しても気分・体調共に優れず、がん研の骨シンチと漢方サポート科の受診をキャンセルした。
翌日に備えて体を休めた。

2013年11月23日(土)
大阪に行った。
予定をこなして情報収集と分析に励む。
帰りの新幹線でパソコンを開いたままジャガリコを握って眠ってしまった。
帰宅する頃には体は疲れ果て冷えきってしまい、背中が異常に熱い事を感じた。
14時間近く眠った。

2013年11月24日(日)
睡眠を取り過ぎて脱水・消化液の逆流等で、寝起きから体調が悪かった。
胃の中の液体を吐き出し、アヘンチンキ・アコファイド・リパクレオン・カナマイシンを流し込み、朝食を無理矢理摂って体をリカバリーした。
このリカバリー作業はほぼ毎日の事だが、以前は半日掛かっていたものが、ここ最近は2時間程で動けるようになってきた。
用事を済ませて集会に向かった。
普段は食事量を自制しているが、コース料理は酢のもの以外をほぼ完食して、酒もそこそこは飲む事ができた。
4月以来はじめてビールを美味いと感じた。

#統括
腫瘍マーカーの結果を受けて再発を疑い、約1週間程でレールを引く用意ができた。
国内にある様々な治療・施設等の情報を集めなおしつつ復習をしながら、自分にとって何が一番必要かをよく考えて精査した。
化学療法、血管内治療、樹状細胞療法、陽子線等のデメリットから逆算して辿り着いた現時点の答えは、全身化学療法で一度リセットする事だ。
リセットが終わり体が慣れ次第、自分に残されているであろう時間を正確に計れそうであれば、全身化学療法にプラスオンしても問題が少なそうな治療を選択しようと思う。
自分が思っていたより速いペースで胃腸は回復を始め、一日中動きまわっても途中でへこたれる事がなくなった。
アヘンチンキに頼らなければならないような下痢や嘔吐も無くなり、一日1回飲めば他の薬で何とか保たせる事もできる。
体重は増えないものの、9月頃に比べると約2倍量は活動ができるようになった。
そろそろ食事回数を増やす頃になってきたようだ。

膵臓癌を一度抱えた者が再発をした場合=5年以内の死
この常識を覆す事ができるかはわからない。
今は先駆者が見当たらない治療を選択せざるを得ない状況で、正直な所はいつまで私の気持ちと体が持つのかわからず、ストイックな生活に戻るのはもう嫌だ、と気持ちが先行してしまっている。
弱音をはいても解決はしない。
負け戦とわかっているのに戦う性分ではないが、勝てる可能性が0でない以上は挑戦する。
生き続ける為に目標を立てるのではなく、掲げた目標の為に生きる、と決意をした。
これで私はより濃密な時間を過ごせるはずだ。
前回は体力に余裕があり気力で乗り切れたが、今回は知恵だけで乗り切らなければならない。
自分にそれができるのか些か疑問だがやるしかない。

クソゲーが始まった。
頑張って攻略しよう。

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2013年11月22日金曜日

【お誘い】皆で飲まnight!?【11/24夜@東京】

このブログにコメントを入れてくれる2名(1名は某コメントを読んで飛び入り)の男性と、11月24日(日)の19時頃から品川で集会をする事になりました。
他の方にも声を掛けてみようとなりましたので、ブログを読んでくださっている方で、私達に興味がある方がいらっしゃいましたらご一緒しませんか??

似たもの同士が集まると言いますので、相当な修羅場が期待できます。
男女年齢問いませんので、一緒に食事をしたい、膵臓癌の集いカオスwwwwwwwww見たいwwwwwww、という奇特な方がいらっしゃいましたら、コメント欄からメールアドレスと簡単な自己紹介をご連絡ください。
気が乗らなければ喋らない、黙々と食べ続ける、そんな男らしさが漂う修羅場に、貴方の笑顔で一輪の花を咲かせてみませんか??

私が承認をしない限りは、コメントが公開される事はありません。
メール送信が終わりましたらコメントは削除します。
捨てアドの取得は下記が簡単です。
http://www.inter7.jp

詳細
・日時
 2013年11月24日(日曜日)、19時頃からスタート
・場所
 新橋
・お店
 決定済み
・食事内容
 和食
・費用
 飲食費8000円前後
・服装
 軽装
・持参するもの 
 度胸・愛嬌と常識的なマナー @私及び娘ちゃんへの貢物wwwwwwwウハwwwwwww
・禁止事項
 勝手な写真撮影・動画撮影と凶器・刃物沙汰 @素手大歓迎
・募集締め切り 
  締め切りました。

参者表明者5名
大目玉さん
まさるさん
お姉様
かんなさん
hd

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当日のレポート↓

2013年11月19日火曜日

生存競争リスタート / 漢方サポート科の診察 / 再発の疑いorz

2013/11/15
がん研の漢方サポート科の診察を受けた。
病院に到着してカードを受け付機に通すと採血の予約が入っていなかったので、担当の窓口に言って腫瘍マーカーを含む採血の手配をお願いした。
採血のある時は診察予約時間の1時間半前に到着するようにしているので、採血が終わりブラブラしていると見知らぬ女性からhdさんですか?と声を掛けられた。ええそうです、と答えると、応援しています!!、と握手を求められた。ありがとうございます、と答えると、親族の方?だろうか、その方に会釈をされ、女性は共に去っていった。電話番ryorz
(今まで数人の女性から声を掛けられたが、公開している写真だけでよくわかるものだと改めて感心した。女性の嗅覚は怖ヒ。。。下手な事はできないwwwwwww)
小腹が空いたので実験がてら、1階のレストランで食事を取りながら、中庭で遊ぶ娘ちゃんと同年代の子供を微笑ましく見ながら食事をとった。
食事が終わり読書をしていると、珍しく時間通りにPHSの呼び出し音が鳴ったので、急いで会計を済ませて診察室に向かった。

診察室に入ると、医師から顔色が良くなったね、と言われ、経過の質疑応答を済ませて、栄養状態等のチャートを見ながら改善している事を確認した。
君の身長なら最低でも60kgは欲しいね、筋肉をつけなさい、といつも通りのバックボーンを見ようとしない会話が続いた。
筋肉を付けたいのは山々ですが、それを維持するカロリーを摂取できない、と伝えると、私の本を読みなさい、と言われた。またかorz
採血結果はどうでしたか?、と問うと、思い出したかのように採血結果を画面に開いてくれたが、一瞬で画面を閉じられた。
何の項目かわからなかったが、私は際立った異常値を見逃さなかった。
医師から、また呼び出しをするので少し外に出てもらっていて良いか?、と言われた。

診察室から外に出て考えた。
いつも見ていた画面のあの場所にある数値は何だ、と思い出そうとしたが確定ができず、自分のブログの採血結果の該当項目を探した。
あの位置は腫瘍マーカーしかない、しかもCA19-9だ。
先月は基準値内だったのに桁が違った、何でだ、何が悪かった、と考え続けた。
10月は諸事情でTS-1しか服用できなかった。
全く効果が無かったという事か?、しかし、それだけではこれ程な急激な上昇は無い筈だ。
手術後に癌細胞が取りきれなかった、と言われた事はずっと頭から抜け落ちなかった。
肝臓?骨?膵臓?腸?どこだ?どこだ?
ひたすら考え続けた。

1時間程してPHSが鳴り、再度診察室に入った。
いつも自信に満ちた上から口調の医師が初めて見せる表情と声色だった。
これは間違いないな、と思い、CA19-9ですか?、と問うと、率直に言う、再発を強く疑う、と言われた。
君の噂は聞いているよ、君なら自分が置かれた状況はもう理解しているでしょう、と言われて、腫瘍マーカーのチャートを開いてくれた。
確かに緩やかに上昇をしていたが、先月は基準値内だったのに、今月は先月比10倍以上だ、これは再発したと思ったほうが良い。
原発を探そう、と言いながら、骨シンチ、造影CT、PETとこちらの予定も聞かずに次々に予約を入れだした。
ここで私が待ったを掛け、PETは最後の砦だと思うのでゲン担ぎに誕生日にしてくださいwと言うと、その日は予定が詰まっているんだよ、と言いながら小馬鹿にしたような苦笑いをされた。

今まで薬、食事、漢方と色々と私に教えてくれた医師が新手の提案をしてくれた。
(特に、アコファイド(新薬・食欲不振用に処方)・コレバインカナマイシン(下痢と胆汁逆流阻止用に処方)・ツムラ半夏瀉心湯エキス顆粒ツムラ芍薬甘草湯エキス顆粒(TS-1の下痢を低減の為に処方)の提案は素晴らしかった)
・肝臓の為に、油はシソ油・亜麻仁油・荏胡麻油を使う事。
・癌に効果的とされる漢方で保険が適用される、ツムラ十全大補湯エキス顆粒ツムラ牛車腎気丸エキス顆粒
・癌に効果的とされる漢方だが保険が適用されない(月6万円程)、カイジ顆粒:日本漢方創薬を20gを3回/1day(採用予定無し)。
・樹状細胞・血管内治療・ラジオ波・温熱療法等(現時点では化学療法一択なので、左記を採用する予定は無い)
体力低下も今回の結果を招いた原因だと思っているのだが、免疫療法等は焼け石に水ですか?、と問うと、お金が掛かり過ぎる上に、君の場合はそんな事をやっている暇は無いと言われた
何かの修正を加えようと私の電子カルテを探していたが見当たらなくなってしまったようで、助手と唸りながら必死に探していたが見つからなかった。雲行きが怪しいorz
翌週の金曜日に骨シンチをして同日に診察をするので今日は終わりにしましょう、と言われ診察室を後にした。





診察室を出た瞬間に、目の前がオレンジ色になった。
また目の前の色が変わった。
いずれこの時が来る事は想定していたが、あまりにも早すぎる。
膵臓癌を伝えられた時よりも衝撃が強い。
あの時は何も知らなかった。
しかし、今は知りすぎている。
再発??どうしよう、というより先に、私と同じように知り過ぎている妻に対して、何と言えば良いのか、とすぐに頭を過ぎった。
失望・落胆させてしまう事が怖かった訳ではなく、また悲しませないといけないのか、と思うと、私の心はどうしようもないやるせさなに包まれた。
人様並とは言えないが、やっと社会生活を送れる迄に回復したと思ったらこの始末だorz

会計を終わらせて地下駐車場に降りる為にエレベーター乗り場に向かった。
エレベーターのドアが空いていないのにドアに思いっきりぶつかってしまった。
どれだけ自分が動揺したのかがわかる。
駐車場に戻りエンジンを掛け出発しようとすると、採血結果や予約表等を入れたファイルを自動精算機の上に置き忘れていた事を思い出して慌てて戻った。
顔馴染みの受付嬢がエレベーターを出ると笑顔で渡してくれた。
駐車場を出て車を止めて、自分が何をしたと言うんだ、何で??、どこで選択ミスをした?、と考え込んだ。
あれだけ苦しくて辛い思いをしたのに、以前よりもっと分が悪い状態に身を置く事になってしまった。

その足で会社に立ち寄り、上司に再発したかもしれない、と言うと、一難去ってまた一難か、と悲しんだ表情で言われた。
35歳まで生きられるのなら十分ですよ、と言うと、50位迄は頑張れよ、と言われた。
老後の面倒を見ろ、と解釈しました!!!社畜精神で頑張ります!!!
何とかするんだろ?、ここまでやってきたんだから何とかしろよ、と言われた。
当たり前です、自分ならどうにかできると思っていますから、と答えて、雑談をして会社を後にした。

妻に何て言えばいいのだろう、ここまま黙っていた方が絶対に良い筈だ、しかし隠し事をしてもばれるのは明白でその時は信頼を失ってしまう、それをいつ言うかのタイミング???、どこに癌が再発したか確定するまで黙っているか??、と考えていると、タイミングが悪く妻から着信があった。
少しの雑談の後に話があるんだけどいい?、と言うと、ぶっきらぼうな感じで何?、と言われた。
ごめんなさい、再発したようです、本当にすみません。と言うと、あなたのせいではないでしょ?、と言われ、普段通りの妻だった。

体調不良と諸事情でTS-1以外は90日近くストップしていた。
取り敢えずアドバイスを頂こうと思い、化学療法を受けている病院に電話をした。
月曜日に相談に行く事になった。
次に、医療関係に従事している友人に電話をした。
電話をしてきたって事は良い話しじゃないな??、と言われ、実はryと話すと、今はうちの病院も予約一杯でフルコースの検査は差し込めないから、近隣の病院で検査をしてデータを集めろ。
また表沙汰にできない事があればいつでも相談してくれ。
いつでも歓迎するよ、頑張れ、お前なら大丈夫だよ、と言ってくれた。

妻の実家に娘ちゃんを迎えにいく為に自宅に荷物を取りに戻り、余計な事を頭に入れずに考えたかったので床掃除を始めた。
作業に集中して無駄な事を考えず、今後どうするべきか答えを探すも、どうにもこうにも考えがまとまらなかった。
ワックス掛け迄終わらせて、すっきりした気分で小雨の降る中、車に荷物を積み込み高層道路に乗った。
八つ当たり?、一時的にでも現実逃避をしたかったのか?、理由はわからないが、好きな音楽を最大音量で掛け、退院時にプレゼントされたイタ車の限界までアクセry新幹線\(^o^)/
渋滞にはまり、夕焼けに照らされた富士山を見ながら、去年の今頃に先輩と見た富士山と気持ちを思い出した。


遠すぎて綺麗に写らなかったが、しっかり目に焼き付けた。

数日ぶりに会う娘ちゃんはニヤニヤしながら恥ずかしそうに私に抱かれた。
見れば見るほど自分にそっくりで笑ってしまった。
娘ちゃんに土下座をして、ごめんなさい、と言うと、頭をポンポンされた。
その後は今後の直近の予定を話し、夕飯を頂いて自宅に戻った。

ここ連日の行動で疲れていた私は帰宅してすぐに眠りについた。
起きると妻からLINEでメッセージが送られてきていた。
一部抜粋(~は前後省略)
>>~例えば、あなたが怖いなら私も怖い。どうしたら共有できますか?~あなたなら乗り越えていくと思っています。~私は泣かずに頑張ろうと思います。~それと、新たな場面をきっかけに。。いつも、ずっと、優しく思ってくれてありがとう。そしてごめんなさい。あなたが私にとれば命みたいなものです。今度こそ、私は貴方と一緒に乗り越えていきたいです。。困難の先には何が見えるのか、あなたと一緒に見たいです。~
起床してメッセージを読み、泣き言なんて吐くものか、絶対に何とかしてやる!と決心した。
手術前は体調不良や体の辛さが妻にばれないように、悪く言えば嘘をつき、妻の質疑をノラリクラリとヒラヒラかわしていた。
術後もだけどwwwwwwwごめんなさいwwwwwww
MMK過ぎるぜwwwwwww私はw貴女にw愛されていればw何もwいりましぇんwウハwwwwwww

自分のブログを最初から読みなおした。
読みにくい。。。と思いながら、その時その時の自分の気持ちを思い出し、軽い鬱状態になりながら読破した。
このブログの冒頭にある、火の無い所に煙は立たぬ、妻から送られてきた、いっしょにがんばろう必ず、乗り越えられるよ、だいじょうぶ。のコメントを心に刻み込んだ。
予後が悪い?、使える薬がもう間もなくなくなる?、そんな事は自分に関係無い。
標準治療から早々に落ちこぼれてFOLFIRINOXに挑戦した時のように、有効とされる薬を探してモルモットになりながら、延命できる治療が出てくるのを待ち続けるだけだ。
病気が発覚してから長生きしたいなんて微塵も思った事がない。
一秒でも長くこの世に居座ってやる。

医師に余命らしきものを伝えられながらも何とかクリアしてきた。
しかし、今回はたくさんの人に頼らないとクリアできない事は明白だ。
私の周りにいる友人・知人、そして家族、迷惑を掛けるかもしれないが、後生だと思ってあと少しだけで良いので手を差し伸べてください。
私が死んでしまうと困る方はたくさんいらっしゃるでしょうwwwwwww
そして、この駄文を読んでくださるインターネットのお友達へ。
食事内容、薬、治療等、以前より情報をオープンにしていくので、私が誤った道を歩んでいると感じれば軌道修正のアドバイスをお願いします。
#食事療法・化学療法の話題はお腹いっぱいなので不要です(;´Д`)

また長くて暗いトンネルに再突入だ。
今回の第一目標は4ヶ月後に生存している事だ。
私ならきっと巧くやるさ。
何とかして次のステップを踏んでやる。
きっとそうなる事を信じて。

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#18日~22日まで相談や検査の旅をするので次回更新予定は来週早々です。
ブログの更新及び返信が遅くなってしまったので、お詫びがてら女性にサービスショット(上半身裸///)を公開します。
私の1年半前の状態を知っている人は驚く事でしょう。
栄養、食事についても記載がありますが、私の偏見による記載内容なので参考にしないでください。自分の覚書としての意味も含めて記載しています。
人によっては画像がちょいグロなので観覧注意。


2013年9月18日水曜日

4回目のハーセプチン+TS-1+ゾメタ休薬 / 体調急降下

夜中から緑や黄色の液体を吐き続けた。
とても体調が悪い。
化学療法をしたくない、と本能が訴えてきた。
病院についたが、足が重くて

#ここまで打ち込みをして体調を急激に崩してブログの更新が止まった。
化学療法は受けたようだが記憶がないのでこのままアップロードしておく。
この時に病院から渡された血液検査は後ほどうpする。
2013/11/20

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2013年9月4日水曜日

3回目のハーセプチン+ゾメタ+TS-1 / 心境の変化??

血液検査の結果はCEA以外の数値が若干悪化した。
CA19-9は体調により上下しやすいので、今後はCEAを軸に治療の効果を確認していく事にした。
今迄の経験から判断すると、強い効果は無く、強いて言うのであれば効果的だと判断できないように思う。前回の診察時に聞き忘れた事を尋ねた。
膵臓癌にハーセプチンを使った統計データは手元には無く、私に残された時間については想像通りの答えが帰ってきた。
医師との話が終わって化学療法の部屋に移動すると同時に、終わったよと看護師に起こされるまで眠り続けた。
帰宅中から体温が急上昇して関節が痛む。
ハーセプチン由来と思っていたが、ゾメタ由来のものだったのかorz



腕の痺れは強くなり左手でペッドボトルの蓋を開けたり簡単な作業をする事が難しくなってきた。
睡眠中も肩や腕が痛くて目覚める事が増えてきた。
近頃よく足を運んでいるマッサージ店の方には、左腕の骨がゴツゴツしてきたけどどうしたの?、と聞かれる始末だ。
日に日に弱っていく体と精神を軸に自分を客観的に考察すると、自分の精神が肉体に敗け始めた印象を受ける。
抗癌剤=体に良くない、と解っていても肉体の得るメリットと精神的な満足感に耽溺していく自分を見ると、肉体が精神を凌駕して自己主張を始める様を象徴しているように感じる。
FOLFIRINOXやアブラキサンで辛いながらも人体実験を楽しみながら生きようと勇んでいた時とは明らかに違い、ただ惰性で生きているしかない今をどのように打破すればいいのか答えを探さねばならない。
手術前と違ってすぐに命を取られる事は無いけれど、いずれくるその時に向かって後悔の念を抱かないように、治療・生活・目標・仕事と達成していきたい。
9/12(木)に膵臓癌を見つけてくれたイケイケ医師の元を訪ねて、近況報告と徹底した検査をする予定だ。
手術前より早いペースで潰せる問題はすぐに叩き潰して、万全の体制で次の不幸に備えよう。
諦める理由と必要が全く無い事はわかっているので、一日、一週間、一ヶ月と時間が経つに連れて、私の曇った気持が晴れる事を願う。

>>娘ちゃん
君がいつこのブログを目にするかわからないけれど、私が沈んでいる時に決まって近くにいてくれるのは君だ。
正直、仕事だけで精一杯になり、家族や君の事すらどうでもいい毎日を過ごしているけれど、君の笑顔を見たり笑い声を効く度に嬉しくもあり、心が凍りつきそうになる程に悲しくなる。
父親になっても自分本位は変わらない(;´Д`)あまり遊んであげられなくてごめん。

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2013年8月24日土曜日

2回目のハーセプチン+TS-1+ゾメタ休薬 / 未知との遭遇

8/23
血液検査の結果は概ね良好だったが、赤血球及び白血球の数値が今迄と比較すると明らかに戻りが悪かった。
CEAは緩やかに上昇を続けている。
医師と今後の治療について相談をするつもりだったが、娘ちゃんの手足口病の話題から脱線してしまい、一番知りたかった部分を聞き忘れてしまった。ハーセプチンが使える膵臓癌の予後はとてつもなく悪そうに感じているのだが、経過を追ったデータはあるのだろうか?
ゾメタは月1の点滴の方針に決まった。
ハーセプチンの副作用を調べると初回に限り発熱をする方が多いようだが、私の場合は2回目でも38度前後まで発熱をした。
初回時の発熱はインフルエンザに近い症状だったが、今回は風邪でだるい程度で外を出歩ける程度だった。
少量なのにTS-1の副作用が強まってきたのか、立ちくらみや貧血症状が強くなってきた。
今迄も左腕から手先にかけて倦怠感や痛みを感じる事があったのだが、今回の治療後から左手が慢性的に痺れ始めた。ペッドボトルの蓋を開けるのも難儀をする。
マッサージや痛み止めを飲んでも解決できない。
次回の診察で今回の化学療法が有効か判断ができる。



8/24
度々コメントをくれる大目玉さんが東京に来るとの事で、何度か連絡を取り合って宿泊先のホテルに会いに行ってきた。
病気の者が集まると、苦労話やどちらがマシか探りあう話題になりがちだが、そんなレベルの低い話題は出ず彼は私が作った目標(応援クリックをお願いしている内容)に共感してくれて、彼ならではの視点でアドバイスをくれたりと有意義な時間を過ごせた。
変わり者の二人だが、長いお付き合いになりそうな予感がした。
ホテルの朝食(ビュッフェ)をご馳走してくれた(^ρ^)ご馳走様でした!!
大目玉さんの印象:頼れば全力で応えてくれそうだが、しつこそうなので喧嘩はしたくない(;´Д`)
次はギロッポンでキャバりましょう兄貴('A`)y-~


大目玉さん / 私
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2013年8月10日土曜日

160日ぶりに化学療法を再開したが / 高熱で熱帯夜

8/8
化学療法を受けている病院の医師から、悪い知らせが1点と、良い知らせが2点あると言われた。
悪い知らせは、術後の挨拶に行った時にも話題にのぼったもので、I型コラーゲンCテロの数値が高いので骨に集積している疑いがある、今はまだ骨転移という段階ではないが、念の為に予防的な処置をした方がいいだろう、と言われた。
良い知らせは、腫瘍マーカーは基準値内で安定している事と、分子標的薬が使える事だった。
膵臓癌患者の2-3%しか反応しないHER2蛋白定量(+、20.5)が反応したようだ。
前者はゾメタ、後者はハーセプチンを提案された。
抗癌剤は前回の話し合いでGEM+TS-1+アルファ(アブラキサンが有力だった)を予定していた。
今回の報告を軸に抗癌剤について医師と話した結果は、医師はGEM低量単独をプッシュ、私はTS-1単独をプッシュした。
術後はTS-1の方が良い結果が出ているのに、何でGEMをプッシュするのですか?、と聞くと、下痢が辛いでしょう、できるものならGEM+TS1+アルファでやりたいですよ、と言われた。
君は何でTS-1をプッシュするの?、と聞かれたので、これ以上の下痢は有り得ないし、今はまだ体力が無い上にGEMにトラウマがあるので、良いレポートが出ていてコントロールがしやすいTS-1+アルファにしたい、もう少し体力が戻ればGEM併用を再検討したい、と答えた。
その後、話は脱線したが、これから2週間に1度、ゾメタハーセプチンを点滴、TS-1・20mg1錠を1日3回の7日で一週休薬に決まった。
何でこうも未承認薬を使わねばならないのかorz
落ちこぼれ体質を恨む。

点滴は2時間程で終わり、点滴中は特に違和感を感じなかったが、会計を終えて休んでいると、胸が締め付けられる感じと、顎から鼻にかけて後ろに引っ張られるような違和感を10分ほど感じた。
帰宅してすぐに目が赤い事を指摘されて、何か悪い事をしてきたのか?、と聞かれた。
鏡を見ると目は真っ赤で、時間が経つにつれて眼圧が高くなり、まともに目を開けていられない程に痛くなりだした。
その後に発熱が始まり、翌日夜中まで上記と共に続いた。
朝方には発熱で限界点を超えたようで錯乱した。
いつからかはっきりしないが、高熱の為か油切れのロボットのように、ギシギシとした感じで体中が痛くて動けなくなり、平熱になるまで鈍痛が続いた。
一日中エアコンで室温管理をしているが、発熱のせいで体中が熱く、風にあたるとチクチク刺されるような感覚があったり、タオルケットから出ると大量の汗が一気に乾かされて凄く寒かった。
動けるようになって測った体温は37.6で、今迄の経験からMAX39度半ば程まで上がったように感じる。
点滴から27時間程が経過して日が暮れた頃、動けるまで熱が下がり私がモゾモゾしだすと、娘ちゃんが近寄ってきた。
彼女の中には私が眼鏡を外して横になる=相手にしてくれない、という図式があるようで、たまに朝寝坊をした私を起こすように、眼鏡をチェストの上から取って私が掛けられる状態にして、はいどうじょ、と渡してきた。
この辺から体調は点滴前の状態に戻り始めて、彼女はそれを見抜いたかのようにテンションを上げて、ここぞとばかりに私にまとわりつきだした。相変わらず可愛い。

ゾメタの副作用が殆どのようだが、心臓に持病があるのでハーセプチンの副作用予防に定期的に検査をする事にした。
骨転移の疑いについてまだ想像の域でしかないが怪しいと感じる部分は、何か異常があると常々感じていたのは左腕だ。
これはいつかの記事にも記載したが、膵臓付近が痛いと思い病院に通い始めた頃から、比例するように左腕がしびれたり痛みだした。
手術後の胸水を抜く前に医師達に相談をしたが真剣には相手をしてもらえず、胸水を抜けば少しは楽になるかも、と言われた程度だった。
腕だけの問題なら最悪の場合は切り落とせば済む話なので諦めもつくが、これ以外の場所(特に下半身の神経周辺)だと大きな問題だ。胸水が溜まった事を念頭に、膵臓から左腕にかけての臓器とリンパ節等を特に注視して左半身に重点を置いて近いうちに別の病院で検査をする。
副作用はFOLFIRINOXに比べると足元にも及ばないものだが、この体力不足の状態では地味に辛かった。
TS-1の副作用は前回同様に気付きもしないレベルで、強いてあげるのであれば、TS-1の服用再開迄は限界に近い便意があっても腹痛に耐えながら少しは我慢できていたものが、限界に近付くと我慢ができなくて少し漏らしてしまうようになった程度だ。これは多くの方に見られる下痢の症状に該当するものだろう。
また肌色が死体のような色になっていくのだろうか。。
前者は用事がある時、睡眠前等にはTS-1を避ければすむ話だが、オムツ以外の前向きな姿勢をとれるように試行錯誤したい。
後者は入院をしている間に一皮むけて肌は綺麗になったので考えないようにする。

はー。また未知との戦いだ。。
しかし、化学療法ができなくてモヤモヤしていた気持ちが晴れた。
体に悪いとわかっていてもイケナイ薬に手を出してしまう、立派な抗癌剤ジャンキーに帰り咲いた。




8/9
がん研の外科医の診察を受けた。
医師からは、前より顔色が良くて元気そうだね、良かったよ、と言われた。
化学療法を再開した事を伝えて、前回のおさらいと今後の方針を話し合った。
検査と経過観察はがん研で行い、化学療法は引き続き別の病院で行いたい、と言うと快諾してくれた。
採血結果は良好だったが、プレアルブミンの値が低い事を指摘された。
しかし、アルブミン値はチャートを見ると上昇を続けているので、腸が吸収できていてベースがしっかりしている証だから良しとしよう、腫瘍マーカーは緩やかに上昇を続けているが、まだ焦る段階ではないし、私達が提案したかった治療をご自分で選択されているので、今後も注視していきましょう、と言われた。
骨転移について相談をするとPET-CTをやってみよう、と提案された。
いつが良い?、と聞いてきた程なので、今はそれほど問題ではないのだろう。
視点を変えてみると、今はもっと大きな問題が目の前にある、と言われているように受け取れた。
9月・12月とCTを撮る事になった。



院内にあるコンビニ前の椅子に座って、ポカリスエットを片手に朝食代わりにたけのこの里を食べていると、入院中に仲良くしていた私服姿の看護師に声を掛けられた。
退院して何キロ痩せたの?格好良くなったね(笑)、元気そうには見えないから元気?とは聞かないけど(笑)、お菓子食べていいの?、と言われた。
お礼に、夜勤上がりで疲れているだろうに相変わらず綺麗だねー、自分の体が良いと思ったら何でもするようにしている、今日会えたのも何かの縁だからデートしない?体にいいと思うんだ、と軽く言うと、今時デートって(笑)、と始まり、10分程雑談をして別れ際にLineのIDとメールアドレスを教えてくれた。
キタコレ!!、とIDを登録してみると、入院中にLineで繋がった看護師の一部とこの娘も繋がったorz
こうなってしまうとやる気は失せて、よろしくねー、の挨拶も絶賛スルー中。
世の中うまくできているもので、なかなか悪い事はできないものだなぁ。
*教訓:今後はメールアドレスの交換だけにしよう。アドレスまで教えてくれる娘は脈ありだ。それに知らない方が良い事もある。
娘ちゃんに悪い気がしたので、罪滅ぼしの為に病院のコンビニでお土産を買った。


娘ちゃん小喜び。
ベネッセのしまじろう教材のような、グッと心を掴む何かが足りない。
がん研に行った時は必ずレジ前の子供用品売場にしゃがみこみ、娘ちゃんが喜びそうな物が無いか漁っている。

やっと一息つけると思ったが、そうは問屋が卸さなかった。
掛かり付けの病院が一箇所だけだった場合は、骨と臓器への転移が明らかになった状態からの対応になったのだろうか。
がん研の担当医の態度から接するに把握していなかったように思うが、まさか、わかっていたけど手術する為に内緒にしていたんだよねテヘペロ☆なんて言いださないだろうな(-_-;)
早期発見早期治療の為には、掛かり付けの病院が2-3無いと安心できない事と、CT等の人の感覚による作業は勿論の事、何かしらの事実がそこにあると教えてくれる数値の大切さを改めて感じた。
腫瘍マーカーが基準値内にある事と、肝臓も数値・機能共に今は問題無いからと、気持ちは勝手に落ち着いていたが、肝臓と肺を通り越してまさかの骨転移疑い(;´Д`)
これは私にとって腹膜播種(まだ無い)を告げられる程の衝撃だった。
しかし、私の思いとは裏腹に反抗期に突入して悪性に育ったとしても、すぐに命に関わらず、必死に治療を探さなくても対処ができる事であるのなら今更どうでもいい。
万が一、悪い結果を招くのであれば、娘ちゃんがJKになり何度目かの反抗期に突入した時に、ノリの良い日本人気質で、相乗りする程度の成長速度であってほしいものだ。
これ位の緊迫感がある方が、だらしのない自分にはちょうどいいのだろう、と解釈した。
若くして膵臓癌になるような運の悪い奴(体に欠陥がある)がこのまま逃げ切れるとは思っていなかったが、せめてこれ以上の問題が起きない事を願うばかりだ。
何にせよ、体調を戻して化学療法を再開する短期目標をクリアできて、予防治療までできている事は有難い。
病院帰りに会社に立ち寄ったが、私抜きでは厳しそうな局面に突入し始めた。
夏も遊びもこれからが本番!?!?!?!?!?
今こそ私の出番だwwwwwwwww
俗にいう神様が存在するのかわからないけれど、自分の中にいる困った時だけ現れる都合の良い神様、色々とチャンスを与えてくれてありがとう!!!!!こういってはアレだが、今後とも何卒宜しくお願い致しますorz

どんなに強く望んでも、ごく普通の体という金では買えない素晴らしいものが二度と手に入らない事は百も承知だ。
術後は死に向かって歩くのではなく、走っていかないといけない事を感じていた。
体と心を休ませようなんて甘い考えは一切捨てた。
亀より遅くてひんしゅくを買うかもしれないが、何事も(特に欲求)自分本位ヨロシクで出せる限りの全力疾走でいくぜ('A`)y-~
頑張れ!!へこたれるな!!私ならできる!!何とかしよう!!絶対に!!何よりも安全第一に!!
明日、明後日と時間が経つに連れ、少しでも良い事があるに連れて、いつも通り嫌な部分は忘れているさwwww

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/Rip Slyme - 熱帯夜 歌詞 ちょっとHなのでお子様やその手の物が嫌いな人は再生しない事★