2012年12月31日月曜日

痛み、食事、睡眠について(12月下旬) / 御挨拶

食事
ストレス??季節的なもの??
とにかくモリモリ食べた。
揚げ物、肉、寿司、お菓子と高カロリーの物をたくさん食べた。
何を食べてもどこも痛まない。
白米とおかずだけで何とかなるようなので、12月27日から糖分の摂取制限を始めた。
年明けから3月迄は厳重な食事制限をしていく。
摂取量は腹8分を維持している。

水分
摂取量は約1.5L/1dayと少なくなった。
あまり飲み過ぎると下痢になるので、心が勝手に調整をしているようだ。

体重
体重は3kg程増えた。
CTを見ても脂肪が増えた///////

排泄
便秘は無いが、水分の摂取量減少と比例する便になった。
毎日排泄がある。
排尿は抗癌剤投与翌日以外は健康時と変わらない。

睡眠
睡眠は8時間程になった。
寝起きは改善された。
たいして疲れもしていないはずなのに、疲労感がとれにくいように感じる。
消化に負担がかかると疲れるようだ。

痛みと不快感と薬

抗癌剤投与日と翌日以外は強い痛みはなかった。
他は新しい問題点に記述する。
薬は5FU関連・吐き気止め以外は服用しなかった。

新しい問題点

抗癌剤の耐性化が懸念される。
咳き込んだり鼻を啜ると、膵臓付近に痛みが走る。
独特のみぞおち辺りの不快感がたまに出る。
対策は抗癌剤の投薬量を増やすか、別の抗癌剤への切り替え?
増やした体重を有効活用して+αの対処をしていきたい。

前回の問題点
十二指腸付近の違和感は解消された。
スノーボードに行く前日に食べた焼肉で調子を崩したのを引き摺っていたのかもしれない。
塩気の多い物を食べると十二指腸辺りがしみる事があったが翌朝には改善された。
CRP値と比例する結果となった。
経過を観察する。

娘ちゃん
音の鳴る玩具をたくさん持っているが、どこを押したら何の音楽がなるか覚えたようで、玩具箱で音楽を鳴らして踊ったり手を叩いたりして、音が鳴り止むとまたボタンを押しに戻る姿はDJのようだ。
今迄はアンドロイドのプレイストアでDLしたガラガラ等のアプリを起動して、彼女に渡していれば勝手に飽きるまで遊んで、飽きると放りっぱなしてどこかに行っていたが、最近は一緒に遊ぼう、というニュアンスですぐに手元に返してくる。
練乳チューブ等のキャラクター付きの遊べそうな物は何でも私に渡してくるが、彼女の望む行動を選択しないと、癇癪を起こして叩いたり泣いたり忙しない上にしつこい。ネタがないんだ、これ以上どうしろと言うのだ。。
バイバイと手を振ったり、指を使ったサインが沢山できるようになってきた。
重要な作業や急ぐ時の1割だけハイハイをして9割方は歩くようになった。
転びそうになっても、しゃがみ込んでグッと堪えて立ち上がり、自信を持って歩く姿を見て、自分が恥ずかしくて情けなく思った。
格好良すぎるぜ娘ちゃん!!
私は危険だったり意味がないからと言って、彼女が興味を持った物を取り上げる事をしていない。
彼女にとっては三色ボールペン1本でも新しい出会いだ。
彼女の可能性を限りなく広げてあげたい。
気持ち悪かったり、体調が良くなくて座り込んでいると、満面の笑顔で下から覗き込んでくれる事が度々あった。
動物園や遊園地のようにワクワクさせてくれ、シナモンのように甘辛く、ソルのように暖かく明るい彼女の存在に感謝する。
/dunkelbunt - Raindrops & Elephants (Full Album)


あとがき
体調を整えて健康時に近い状態で、一区切りになるこの日を迎える事ができた。
膵臓癌と余命を伝えられてから、医師の消極的な姿勢、緩和ケアの案内、貰った当日に破り捨てた妙な冊子、自分の弱さ、何もかもに腹が立った。
何とかしてやると意気込んで、少し寄道はしたものの、早々に標準治療から落ちこぼれた割りには良い舵取りができたと思う。
たくさんの方に迷惑をかけながらも、食事と寝起きが当たり前にできて、期待通りではないが娘と遊んでやる事もでき、来年からは社会復帰しようと思える状態まで立ち直る事ができた。
手術に持ち込む為に治療をするナンセンスな事に励む馬鹿らしい日々は終わりを見せてくれない上に、この半年の途中結果は厳しいもので、このままだと残された時間は決して多くはないはずだ。
新しい事に挑戦をして上手くいかない事は今まで何度も経験をしてきた。
それでも諦めずに挑戦し続けて、大きくない目標だが達成し続けてきた過去に恥じない行動をしていきたい。
怯む事無く、前へ進み続け、望む結果を手に入れてやる。
頑張るぞヽ(´ー`)ノ

御挨拶
月なみの挨拶になりますが、献身的に支えてくれる家族、回復すると信じて待ってくれている仕事仲間、心配して生存確認をしてくれる友人、ブログを見てくださる方々の反応、僕に関わる全ての方々に心からお礼を伝えたい。
特に、今迄を肯定してくれたI夫妻の心遣い、生きるチャンスを与えてくれた義母の手助け、信じ続けてくれる妻の思いは、僕の大きな活力となり助けられました。
ありがとうございました。

十分に休ませて頂き、自分が出来る限りの治療を行う事により、体力を取り戻して先がある程度読めました。
年明けから社会復帰をして、恩返しの意味を含めて、次世代へのみちしるべを作っていきたいと思います。

国内の膵臓癌を抱えるブロガーは網羅しており、皆様の経過を日々追わせて頂いています。
沈む淵あれば浮かぶ瀬もあり、と言います。
厳しい局面に立たされている方々を始め、同じように不安を抱える皆様が、一時でも安らぐ瞬間を得られる事を切に願います。

幾度となく励まされたHONDAのCMで今年を締め括りたいと思います。
皆様、良いお年を。



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2012年12月28日金曜日

7回目のFOLFIRINOX / 医師(意気)消沈?

診察室に入るなりCTの結果を尋ねられ、コメントと画像のプリントとデータの入ったディスクを渡して、2名の医師と話した内容と自分の意見を伝えた。
あまり余計な事を言わない医師なので顔をよく見ながら話していると、参ったなという心象が見て取れる表情を浮かべた。。
膵臓と腫瘍の影が思ったより綺麗な形をしている事と、壊死している可能性が無いともいえない事から、腹腔鏡で見てみたいね、と言われる。
オペや放射線について何か言われたか?と尋ねられ、年明けに外科のカンファレンス結果を聞きに行くので、その特に放射線治療について意見を伺おうと思っている事を伝えた。
取り敢えず今日はFOLFIRINOXをやりましょう、と言われて診察が終わった。
部屋を出る際に、体の調子が良い状態で正月を迎えられる事に礼を述べると、何を言ってる?次の正月も迎えてもらいますよ、と言われ、ポジティブな発言が嬉しかった。
年末最後の営業日?だけあって患者でごった返していた。
個室で投与を受けて1/3は寝ていた。

痛み
投与日の夜から翌朝まで膵臓と肝臓の背中側に激痛が続いた。
特に帰宅してからの痛みが酷くて、どこまで痛みに耐えられるかチャレンジしていると、知らぬ間に産卵時のウミガメのように涙が出ていた。
久しぶりに堪えたorz
痛み止めは飲まないで乗り切った。
末梢神経障害
指先の震えは少なくなってきたが、硬直するような状態が続く。
油切れのロボットみたいだ。
書物をする時に意識しないとペン先が震える。
吐き気
抗癌剤の投与が終わって車に戻る間に2回吐いた。
いつもより吐き気が強く、3日目の今日も吐き気で気分が優れない。
便秘・下痢・排尿
抗癌剤の投与日から下痢になるが、腹痛で苦しむ程ではない。
投与翌日の朝一の排尿は真っ赤だった。
2回目の排尿は赤黒く、3回目の排尿は濃い黄色になり、
3日目から少し濃い程度の尿になった。
初日の真っ赤な尿を見て、小さい事を気にするのは野暮と思い見なかった事にした。
頭痛・脱毛
脱毛と頭痛は無し
精神障害?
特に無し。
立ちくらみ=骨髄抑制
今回は酷い立ち眩みはなく、へたり込む事はあっても復帰が早い。
以前より倒れる回数は減った。
鉄分ウェハースのお陰??

今回の一連の結果は、改めて厳しい現実を突きつけられるものだった。
腫瘍が壊死している可能性があるという意見は、CTを読んでも線維化及び石灰化した部分が見当たらない上に、壊死している割には綺麗すぎる濃い色を見せている事から期待は抱かない事にする。
早々に使えなくなったGEM、効果の薄かったTS-1、期待していたFOLFIRINOXの途中結果、加えて大きな希望として見ていた腫瘍マーカーの鈍くなりだした推移から、来年は更にシビアな舵取りが必要になりそうだ。
確信は得られていないが、最近の体調の変化を見ていると、以前の状態に戻りたがりそうな動向を感じている。前回と今回の抗癌剤投与まで少し日が開いたのだが、以前に感じた事のある痛みや違和感に襲われた。これは抗癌剤VS腫瘍がイーブンになってきたと判断してもいいのかもしれない。
若いと進行が早い=耐性がつくのも早く、癌細胞の進化も早いという事なのだろうか。
FOLFIRINOXで腫瘍マーカーを3月迄に基準値内に持って行き、放射線治療→腹腔鏡で確認→可能であればそのまま摘出、の算段を取っていたが、年明け早々にも腫瘍マーカーの結果をもって、別の抗癌剤に切り替える等の効果的な治療を検討せねばならないようだ。
6月頃を思えばここまで復活できただけでも御の字だ。
まだ勝算はあり積極的な治療は意味があるはずなので、患者のプロとして細かくデータを分析し、最善の道を選択して良い結果を出したい。

これで年内の病院通いは終わり。
清々した。
2012.12.30/16:50

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2012年12月27日木曜日

イケイケ医師の診察 +がん研の診察 + 寄道 / リンパ節転移??

病気が発覚してから初めてアラームがなる前に目が覚めた。
シャワーを浴びて09:30にイケイケ医師の元を訪ねた。
順番待ちは3人だけだったが、待ち時間が異常に長く感じ、Sっ気の強そうな医師に焦らされているのか、とイライラしながら待った。
診察室に呼ばれて席に着くと経過の質疑応答があり、撮影技師の見解を聞きながらモニターに映されたCTの結果を眺める。
腫瘍の大きさは軽度の縮小が認められ、臓器に目立った転移や胸水・腹水は認められなかった。
リンパ節に1cm程の影があり、腫瘍か炎症かはっきりしないが、前回と前々回の画像には写っておらず、腫瘍の可能性が高い事を伝えられた。
正月を迎えるのは難しいと思っていたので、それだけでも十分だ、と言うと、そうだねと返事が返ってきた。
足の早い病気が縮小傾向に転じて、体調が良くなっているだけでも良い結果と受け止めましょう、希望が無くなった訳ではないから、と言われた。
次回の予約をどうするか尋ねられたので、がん研のカンファレンス結果を聞いて今後を相談したいと伝えた。
**さんのお陰で無事に正月を迎えられそうだ、ありがとうございます、と礼を言うと、僕は本当に何もしていないから、と胸キュンする返事が返ってきて、CTのデータが入ったディスクを渡された。
診察室を出てPCにデータを取り込み、CTの結果をじっくり見ながら残念だと独り言が出た。


昼食と連絡等を済ませて、がん研付近で車内を片付けながら時間を潰した。
予約の1時間前にデータの入ったディスクを受付に渡して、人気の無い席に座ってミルキーを口の中に放り込み続けて15:10の診察を待った。
予約時間より30分近く早く呼ばれて診察室に入ったが、医師の表情はぱっとしたものではなく、低いテンションで経過の質疑応答が始まった。
体調は良く、何も気にせずに食事をしており、痛みも殆ど無い事を伝えた。
CTの結果を見ながら、消滅に近い状態か、手術に持ち込める可能性の高い結果を想像していたが、中学生が小学生に変化した程度で残念だ、外科医にデータを渡して、手術をする気があるか聞いてみるので時間を下さい、と言われた。
リンパ節に転移の疑いがあるそうです、と伝えると、そんな小さな事を気にするな、というような空気が流れた。
何か薬を持って帰る?と尋ねられ、何もいらないと答えると、リパクレオンも?と聞かれて、薬は何も飲んでいません、と返事をすると驚いた表情でそれは素晴らしい、と言われた。
1月11日に血液検査と外科と内科の予約をして、正月を迎えられる事に礼を言って診察が終わった。


病院帰りの足で会社に行き、上司に結果を伝えた。
今後はどうなるんだ?と聞かれ、今使っているFOLFIRINOXからアブラキサンに変更するかもしれないが、GEMとの併用なので肝臓をまた悪くする可能性があり難しい局面ですと伝えると、体ごとassy交換してもらえよ、と言われた。
サンタクロースは来なかったし、メーテルが迎えに来てくれて、家族ごと小旅行に連れて行ってくれないかな。。と思いながら、目前にある課題を聞いた。
電話が鳴り続けて慌ただしかったので、次の予定があるので明日来ます、と伝えて会社を出た。
昨日は午後から出社して、上司の夢が叶った現場に立ち会った。
忙しくて叶った夢を楽しむ余裕は無さそうだが、おめでとうございますと心から言えた。
夢に共感して叶える為に一緒に歩めた事を誇りに思うと供に、叶った夢に着けられた数字に込められた上司の気持ちが憎くて、素直に格好良いなと思えた。


淡い期待は抱かず、悪くなっていなければいい、と思う程度で今回の結果を待ったが、画像を見て落胆したのが正直な意見だ。
贅沢なのはわかっているが、悔しくてたまらない。
前回9月のCTでは不変で、その時のマーカー値は初期から半分程下がったものだった。
今回のCTは前回のマーカー値と比較して約1/100になっているので、腫瘍は最低でも半分位にはなっていると思っていた。
CTの撮影したタイミングが多少違うようだが、15-20%程度しか減少していない。
同じタイミングなら5%-10%程度の変化しかないように思う。
四の五の言っても仕方がない。
結果がどうであれ、自分にできる事を続けていくだけだ。

煙草を吸いにマンションの屋上に上がり、雲一つ無い空を眺めたが月が霞んで見えた。
出口の見えないトンネルはまだ続くようだ。
夜は長い。
考えよう。。

/Chopin - Nocturne op.27 No.1 - Vestard Shimkus

(リンク先 - youtube - Arthur Rubinstein - Chopin Nocturne Op. 27, No. 1 in C sharp)


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造影CT画像






2012年12月26日水曜日

明日はCTの結果

相変わらず私の所にはサンタクロースが来なかった。
明日のCT結果が最高のプレゼントになる事を祈る。
こんなに明日が待ち遠しいのは久しぶりだ。


ハイヨー!シルバー!!!!!!!
買い物帰りにけやき坂のイルミネーションで記念撮影をした一コマ。
サンタの写真の方は、初登場の義母様。


/モンゴル800 - ドキドキ



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2012年12月16日日曜日

痛み、食事、睡眠について(12月上旬) / お礼 + お知らせ

食事
朝食を摂る気力が湧かない事が多く、必要なカロリーが摂れそうにないので、精進料理のような食事の採用は見送った。
タンパク質を良質の卵で摂るように気をつけている。
牛肉は本能が避けるようで、豚肉や鶏肉が多かった。
飴や砂糖を使った菓子を食べることが増えたので意識して減らしていく。
7カ月ぶりにご飯をおかわりした!!
摂取量は腹8分を維持している。

水分
約1.5L+排泄分の摂取は心がけているが、水分の総摂取量は減った。

体重
体重は維持できた。

排泄

便秘は無し。
食後に腹が緩くなり、トイレに行けば排泄ができる。
便の状態は悪くない。
尿は健康体と変わらない状態になった。
赤黒い尿が出る事は無くなった。

睡眠
睡眠は6-7時間程になった。

痛みと不快感と薬

肝臓付近に抱える鈍痛は続いている。
GEMの投与時に抱えていた刺痛や殴りつけられるような痛みではなく、染みるような痛みで、特に食後15-45分で強くなる事から十二指腸を強く疑う。
背中が張っているが運動不足が原因と思われる。
激痛は無く、痛み止めを飲みたいと思うような状態にはならなかった。
膵臓癌が発覚した時から続いていた、しゃっくりとみぞおち辺りの不快感は無くなった。
薬は5FU関連・吐き気止め以外は服用しなかった。

新しい問題点

体に大きな変化を感じだした。
たくさん食べると食後に腹が張る事はあったが、食事量が少なくても腹が張る事が増えた。
比例して背中も張る為、十二指腸以下の部分に問題がある事が想像される。
多目に食事を摂ると、野菜が主体でも消化に時間がかかり、十二指腸付近で押し出すような音や動きを感じる。
膵臓付近に抱えていた違和感は軽減されている上に、腫瘍マーカーの推移から腫瘍の圧迫が原因ではないように思う。
キーワードは炎症の筈なので、よく考えて適切な処置をしていきたい。
便秘からは逃げ切ったが、食事・水分の摂取に制限が必要な状態になった。
原因は5FU(ゼローダ)だと思われる。
FOLFIRINOXはレジメン通りだとCVポートを設置して投薬をするが、私はイリノテカン+オキサリプラチン+ロイコボリン+アバスチンを点滴で入れて、5-FUは点滴翌日からゼローダで代用して10日間服用している。
よって一般の抗癌剤を投与される方に比べると休薬期間は0に等しい。
吐き気等の副作用が強くなってきたので、投薬量を見直して問題を早期解する。後4カ月はFOLFIRINOXから遠ざかる訳にはいかないので、自分をよく見つめてギリギリのラインを保っていきたい。

娘ちゃん
動物が好きなようでテレビに映るとキャーキャーわめくようになった。
暖かい日に動物園に連れて行って反応を楽しみたい。
少し前まではハニワのように手を挙げて寝転がっているだけだったが、ふと見ると一丁前に立ってよちよち歩きをしている。
手を繋ぐと15M程は歩けるようになり、先導をする事も多くなった。
床に這いつくばってソファー等の下を見たり、フローリングの隙間をほじったり、天井まである棚の隅を観察したりと、彼女の視線の先には面白いものがたくさんあり、毎日新しい気付きを与えてくれて、爍爍たる彼女の笑顔は私を心から和ませてくれる。
私が寝ていると泣きながら叩いて起こされる事が何度もあった。
その時の表情は、いつもの不満そうなものではなく、不安を示すものだった。
私にしか見せない笑顔の存在にも気付いた。
私と彼女だけの関係性が出来上がってきた。

/Billy Joel - The Longest Time(リンクはビリー・ジョエルのyoutubeオフィシャル) 歌詞


あとがき
漠然とした不安感と抗癌剤の副作用から相変わらず精神面はネガティブで、普段は苦にならないパソコンの起動すら億劫に感じていたが、意外な出来事から脱出できた。
立ち眩みが酷くて横になっている時に、娘ちゃんが泣きながら叩いて私を起こそうとした。
彼女をなだめながら、もしこのまま起き上がる事がなければ、彼女は処理できるのかと考えたが、出掛けた私を待ち続けて、いずれ存在を忘れていくのだろうと思った。
待ち続ける彼女を想像するだけで悲しくなる。
彼女は私が居て当たり前の存在と認識しているはずだ。
彼女と同じように、妻を筆頭に上司・仕事仲間・友人等の私をよく知る者は、失速した今回の件を必ずクリアすると思ってくれている。
治療開始から半年以内に次のステップを踏めなければ、33歳を迎えるのは厳しいと意識付けて邁進する事で様々な問題を乗り切ってきたが、精神面のケアが出来ていなかった結果は自己欺瞞をして現実逃避をしていたとしか思えない。
人に生かされている現実を蔑ろにしていた事に改めて気付き、私が何度も向き合った筈の責務に対しても信憑性を欠く結果を招いてしまった。
恥ずかしてく自分を小突いてやりたくなった(;´д`)
これで何度目かわからないが、またも1歳の小娘に突破口を作られた。
多分、私が自ら率先して死を受け入れる時は、娘ちゃんが私以外の男に興味を持った時だ。
その時までは、抗癌剤ジャンキーでも、ステントだらけのサイボーグでも、臓器がなくて薬漬けの生活でも、何でもいいから生き延びようと改めて決意した。
母方が糖尿病家系なので根本的な原因は排除できていないと思うが、腫瘍を一気に大きくした原因は排除したつもりだ。
精神的な問題をクリアできれ、後は適切な治療をしながら自分の治癒力を信じるだけだ。
造影CTの結果を見る迄は束の間の休息を楽しもう('A`)y-~

ブログを読んでくださる方へのメッセージ
先日、エビデンス社が発行している、雑誌がんサポートの取材を受けました。
取材依頼の連絡を頂いた時は乗り気ではなかったのですが、病気が発覚してから同社のWEBにはお世話になったので恩返しと、おとなチャレンジ・プロジェクトに役立つのではないかとの思いで取材を受けました。
女性に恋心を抱かれると今は対応ができないので写真はお断りしましたwwwwウハwwww
先方には、色々な人の目にとまるように皆様にクリックをお願いしている、おとなチャレンジ・プロジェクトにも興味を持って頂いたようで、今回の一連を足掛かりにして一歩踏み出そうと思います。
人目につきそうな時期に改めて記事にしますが、ランキングに入る足掛かりを作ってくれたブログ村の膵臓癌カテゴリーと癌腫瘍カテゴリーのウォッチャー、日々応援クリックをしてくださる方々に、まずはお礼とお知らせをせねばならないと思った次第です。

この結果は、私の存在だけではなく、皆様のお力添えに寄って得られたものです。
このような機会を頂き、感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます!!!!!!!

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2012年12月13日木曜日

診察 / 腫瘍マーカー先月比約74%減 + 寄道

血液検査の結果は、ノンストップで抗癌剤を続けている割には良い結果だった。
骨髄抑制に伴うものだと思うが、今朝から背中に違和感を感じているので、次の抗癌剤投与迄は厳しい日々を送る事になりそうだ。

採血が終わって診察の呼び出しまで椅子に座って眠り続けた。
PHSで呼び出されて医師の部屋に向かうと、机には血液検査の結果と腫瘍マーカーのチャートが置いてあった。
体調についての質疑応答が終わり、腫瘍マーカーが下がり続けている事に驚かれた。
CTのデータはいつ貰える?と尋ねられたので、27日の午前中に受け取る予定と答えると、次回は27日の午後に来てください、と予約を入れられた。
いつになく乱暴だなと思いながら、4月位までは抗癌剤を続けないと良い返事を頂けないと思っていると伝えると、いつも優しいゆっくりした口調の医師が少し声を荒げて、待つ必要はない、君の結果を話題にして良い答えが出せるカンファレンスをしたい、と言われた。
待つ必要はない、と言った真意がよくわからなかった。
場数を踏んできている担当医に対して、三途の川の水先案内人のような印象を持っていたが、私を生かしてくれようとしている事が伝わってきた。
深々と頭を下げて感謝の言葉を伝えて診察が終わった。

病院帰りに会社に立ち寄る。
上司にわざわざ来たのか?と尋ねられ、病院帰りですと答えると不服そうだったw
上司と仕事の話や雑談をしている中で、私の直近の言動に矛盾を感じる、と言われた。
3週間ほど気分が優れなかった事を伝えると納得したようだった。
お腹が空いている時と眠たい時以外は、いつでも真剣な上司が大好きだ。
こんな事を言うと生意気だと怒られそうだが、私がいなくて相当に苦労しているようで、上司を含めて皆の成長幅が凄い。
特に上司は大人の余裕に拍車がかかった。
先輩、諦めたらそこで終わりだ。ボスと私を見習いなさいw
このご時世に贅沢な悩みを抱えている会社を誇らしく思った。
年が明けて1回目の抗癌剤治療とカンファレンスの結果を持って、フルタイムは無理だが少しずつ復帰しようと思う。

膵臓癌を伝えられてから、気持ちの問題で初めて泣いた。
前回泣いたのは、東京に越してきてすぐに生活を共にした、愛猫のミイちゃんが死んだ7年前だった。
へなちょこだけど日本男児なので、普段は涙を流す事もないし、泣くなんてみっともなくてとんでもない。
そんな自分が子供のようにエンエンと車の中で一人泣きじゃくった。
泣いた理由はよくわからないし、知ろうとも思わない。
悲しい涙ではないようだし、すっきりしたからそれでいい。
とてもリラックスできた。
引き続き頑張ろう。
男だってたまには泣いてもいいんだ(TдT)
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2012年12月12日水曜日

6回目のFOLFIRINOX / GEMとFOLFIRINOXの副作用比較

腫瘍マーカーは下がり続けており、体調と気分の良い状態で投与を受けた。
イリノテカンの点滴が始まると同時に手に汗をかき、吐き気がこみ上げた。
今回はアバスチンを追加した。

痛み
痛みは無し
末梢神経障害
指先が震えてタイピングや細かい作業が難しい日が続いた。
投与から5日程経つと改善される。
吐き気
抗癌剤を投与中から吐き気がして帰宅中に何度か吐きそうになるが持ちこたえる。
帰宅して盛大に吐いた。
それ以降は吐き気止めが無くても大丈夫そうだった。便秘・下痢
便は緩いが腹が痛くなるような事はなかった。
水分摂取量の調整でクリアできる事がわかった。
便秘は無し。
頭痛脱毛
脱毛は止まり、健康時と見た目は変わらない。
滴投与後から翌朝まで頭痛が続き、痛み止めを飲もうと思うほど酷かった。
精神障害?
帰宅して時計を見ても時間がわからなかった。
家族に時間を聞いても意味がわからず理解できなかった。
テレビに映る18:40の数字を見ても何の事か意味がわからなかったが、気にしても仕方がないと思い食事をしていると回復した。
食後に休憩をして横になると酷い頭痛が始まり、頭の中で走馬灯のように記憶がグルグル回り、船酔いのような状態になり辛かった。
アバスチンの投与を受けた時だけこの手の事が起こるようだ。
立ちくらみ=骨髄抑制
点滴の投与6日目から立ち眩みと腰の痛みと背中の張りが増えてきた。
同時に風邪もぶり返して体調は悪くなった。
10-13日周期で繰り返している。
これなら食事と鉄分とアスピリンで乗り切れそうだ。

FOLFIRINOXの3回目の投与から副作用は安定しているようで、アバスチンの投与時以外は特に目新しい副作用はなく、抱えている問題が酷くなる事はない。
ジェムザールの標準量の投薬に比べると副作用はかなり楽な事がわかった。
腫瘍マーカーの推移と倦怠感の軽減が比例している。
倦怠感は抗癌剤理由ではないのか?
・FOLFIRINOXの副作用の辛さ
吐き気>物忘れ>手足の痺れ>腹下り>点滴当日のキマった感の辛さと倦怠感
吐き気は点滴後数日でクリアでき、ゼローダの調整と吐き気止めで全く気にしなくて済む。物忘れは精神的ショックが大きいだけで日記を付ける事でクリアできる。手足の痺れはご愛嬌程度で血流を良くすると楽になる。腹下りは便秘に比べると心身共に楽だ。倦怠感はジェムザール時の1/10程度しかなく寝込む事は無い。
・ジェムザールの副作用の辛さ
倦怠感>肝臓の負担>便秘>点滴当日のキマった感の辛さと激痛と倦怠感
倦怠感がある時は全く動く気にならず、寝込む事で床擦れにも悩まされた。肝臓は投薬中止になった程なので致命的だった。便秘は心身共に弱らせた上に体の回復を遅らせた。点滴当日の激痛は相当なもので、帰宅してすぐに寝込んでいた。
FOLFIRINOでQOLが上がる理由が不明確だったが、薬剤の組み合わせにより便秘が無い事と肝臓への負担が少ない事が大きな理由なのだろうか。
ゼローダの恩赦が大きいように感じる。

腫瘍マーカーの推移と体調、吐き気等の一過性の副作用が強くなってきた事から、CTの結果を持ってメリットとデメリットを再確認して投薬量を調整していきたい。
物忘れが酷くなってきた事と、手足の痺れや色素沈着から血流がキーポイントのような気がする。
若さに任せるのもここまでのようなので、細かい部分まで突っ込んで対処をして、抗癌剤を継続していきたい。
2012.12.22/23:50

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2012年12月6日木曜日

★祭☆り★だ☆(有)娘ちゃんの1歳をお祝いしnight!!!!!!☆ワッ★ショ☆イ★

娘ちゃん1歳お誕生日!!!
・・・・・・・

産まれる2日前から仕事を休んで病院に泊まり込み、この世に出てくるのを献身的に応援したが、どうしても休む事ができない3日目に、後ろ髪を引き千切られる思いで離れた2時間後に産まれた。
すぐに送られた写真は、宇宙人のようで気色が悪く、そのうえ私に似ている事もあり、ぁあアァッ。。。と、少し落胆したのは内緒。
去年を振り返ると、産まれて来る前から、都合の良い手下生活が始まっていたのだ、と思う。

病院に姿を見に行くと、一人だけ別室のカプセルに放り込まれていて、黄疸が出たり不安要素が盛り沢山で落ち着かなかった。
退院してからは、鼻風邪2回、熱でぐったりする事1回、妙な湿疹が出て泣き叫び夜中に病院に担ぎ込む事1回。
動きすぎなのか体重が少し少ないようだが、大きな病気をしないで、優しくて可愛い元気な子に育ってくれた。

1歳記念の貢物は、ビブ3枚と可愛いキッズテント。
早く見せてあげたくて、全て誕生日前に開けてしまった。

本部ゲットだ!!娘ちゃん(^ρ^)


大きなお友達はこの日が本当に嬉しい。
娘ちゃん専用のロボット兵として引き続き職務を全うしたい。

フェリスクンプレアニョス!!
未来に幸あれ!!


/HAPPY BIRTHDAY/FELIZ CUMPLEAÑOS BILINGUAL 4 BOY


娘ちゃんへのプレゼント(お布施)ですが、今回はバナークリックで結構です。
先にお礼を言っておきます。ありがとうござますっ!!!


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皆様にお願いするのもアレですが、彼女の健やかな成長と幸せを願ってあげてください。

*今日は仕事に出掛けるので、帰宅してからの様子を後で付け加える。

2012年11月30日金曜日

痛み、食事、睡眠について(11月下旬)

食事
健康な人と変わらない食生活を送っている
体調が悪くても空腹になり、食べたいと欲するのは嬉しかった
衰えた消化器官は満腹に対応できない事がわかった
肉などの消化の悪いものは刺激を与えるので控えていく
摂取量は腹8分に決めた
先人の言う事は正しいものが多いと感じる
来月から長期戦に持ち込む為に今迄の経験で食事を構築していく
論理的な考えも必要だが、体が何を欲しているのか耳を傾けながら調整していく

水分

水分の総摂取量は変わらず
寒くなってきたので意識付けないと水分の摂取量が減ってしまう
肌のかさつきや便で判断がつくようになったが、排便の基本の水分補給を疎かにしないようにする

体重

上旬に増えた体重は維持できた
カロリーを多目に取り更に増やそうとしたが、消化器官の疲れか自力ではできなかった
一応クリアできたと評価する

排泄

排便は問題なし
クリアできた
激痛が走った後と抗癌剤の投与後の尿は赤黒い
他の時は薄い黄色の尿になる

睡眠

風邪がこじれないように一人で寝るようになった
体調を崩してからは眠たくてたまらなかった
会社に行って話しをしていても気を抜くと眠りそうになった
風邪が抜けてくると、肝臓付近に感じる熱い痛みで、眠気が限界にならないと眠れなくなった
明け方まで起きている事が多く、バランスが崩れているように思うので打開策を考えねばならない
目覚めが悪く、呼ばれているのはわかるが、声が凄く遠くて夢の中にいるような日が続く
この状態の時に手首の脈をはかると大丈夫かと思うほどに遅い
まさかの冬眠!?(T(ェ)T)

痛みと不快感と薬

慢性的な痛みは更に和らいできたように感じるが、肝臓付近に感じる鈍痛は無くならい
ここに何かあるのは間違いないが、事実を知るのが少し怖い
食後の激痛は無くなったが、何を食べても腹8分以上になると鈍痛が始まる
牛肉や天ぷら等の消化に手間取る物は翌日に腸が痛む
電光石火のような激痛や痙攣を膵臓・肝臓・腸で感じる事が何度かあった
今回は風邪と抗癌剤の副作用を抱えていたので、複雑過ぎて原因が解明できず悔しい
内臓が痙攣する痛みを久しぶりに体感して堪えたorz
激痛が走る度にCA19-9が高値にあった時の痛みを思い出し怯えてしまう
薬は5FU関連の薬・吐き気止め・アスピリン・抗生物質(クラビット500mg*3回)以外は服用しなかった
痛み止め目的での服用は無し

新しい問題点

抗生物質の副作用で急激に腹が張り、圧迫されて消化器官の動きが鈍くなり苦しかった
FOLFIRINOXによる骨髄抑制も要因にあると思うが、根本的に体力が無い事がわかった
立ち上がって10歩程歩くと力が抜けて座りこんだり、切れかけの電球のように視界がゆっくり点滅する事が何度かあった
目眩がして横になる→眠気は無いのにいつの間にか寝ている(気を失った?)→娘が泣いて(多分、玩具を取れと言っているのに言う事を聞かないから)起こそうとするが反応せず、家族が慌てて私を起こす事が1度あった
声掛けされているのはわかっているが、声が遠くてよく意味が理解できず、娘の泣き声もどうでもよくて面倒くさく感じた
娘の泣き声を聞くと居ても立っても居られない私が、どうでもいいと感じた事は本当にショックだったorz
この2週間は棺桶に片足を突っ込んでいる気分だった
風邪ですらこの状態と考えると恐怖心を抱いた
大丈夫なのかw

娘ちゃん

子供の集まる場所で、自分より幼い子や同じ大きさの子の頭を撫でていた
抱いていると、私の頭も撫でてくれたり、胸をトントンと叩いてくれる
私が自分の携帯を少し貸して、とお願いをしても、強く掴んで離さず跳ねながら泣いて怒る癖に、子供の集まる場所で自分が遊んでいる玩具を無理やり取られても泣く事はせずあまり気にしない素振りをするようだ
甥っ子との関係を見ていても、自分が下の立場だと認識しているようなので、人付き合いは問題なく構築できる事がわかり、複雑な気持ちだが安心した
/引用:優しいそぶりずるいでしょ、ねぇ、君のトラップため息がでちゃう:MEGU・TRAP
11月19日(月)20:30頃に初めて歩いた!!
とても得意そうな満面の笑顔で、勇気を持って二歩、三歩と足を前に出す姿が格好良すぎて眩しかった(TдT)拍手しながら褒めてあげると調子にのる
これを堺に成長のペースが更に加速して、顔が大人っぽくなってきた
廊下に出るのが不安で一人では移動しなかった彼女が、体調を崩して別室で眠っている私の所に一人で来るようになった
22日に寝ていると抗癌剤で黒くなった私の指先を触りながら見ていた
何を思って眺めていたのか真意はわからないが、違いに気付ける事に成長を感じ、嬉しくて頭を撫でた
少しでも早く、抱える厄介な問題からおさらばして、彼女が望むだけ抱っこをして指差す方向に連れて行きたい

/Kormac - Wash my hands


あとがき
今回は反省すべき点が多くあった上に、風邪で体調を崩してナーバスになってしまった
相変わらず新しい問題が次々と湧いて退屈をしない日々を過ごしているが、もう普通の体と心ではない事を嫌になるほど突きつけられた
体調が良くなっていく事に胡座をかき、自惚れて余裕をかましていたのかもしれない
風邪ですら命取りになる事を認識した
自力で排便の改善に力を入れ続けた結果、時間は掛かったが思惑通りに、消化器官を筆頭に体全体が少しずつ回復してきている手応えを感じた
FOLFIRINOXによる改善点は数えきれない程あり、特に感じるのは腫瘍による圧迫と痛みの軽減だ

体が回復していくと同時に、緊張感が薄れて精神面の弱さが表立ってきた

私はあまり表情が豊かではない方だと思うが、寂しそうな表情をしている、と指摘されてショックを受けた
少し前迄は自分で見ても本気な目をしてるように感じたが、最近はやつれて覇気の無い目をしている
かなり軽減されたとは言え、体に感じる不快感や痛み、抗癌剤による疲労、先の不安に対し、自分では気付かないストレスを溜め込んでいるようだ
解決しようと考えたが、孤独感の一言に尽きる
これについては言及しない

持っていた服の9割が着れなくなり、普段着はサイズが合いそうな方々に譲ったが、スーツはサイズが合う人がいないので全て処分した

スーツを処分する時に悲しみか怒りかわからない感情を抱いた
後の事を考えて生きる以外の欲は無くなっていたが、最近は食欲と物欲が湧いてきて洋服等を買いだした
これでデートができそうだ
一歩前進

オセンチな事を考えても仕方がない

明日の事を思い煩うな、今日の事は今日で足りる、の精神で少しの間を乗り切ろう(´Д`)

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