2013年8月24日土曜日

2回目のハーセプチン+TS-1+ゾメタ休薬 / 未知との遭遇

8/23
血液検査の結果は概ね良好だったが、赤血球及び白血球の数値が今迄と比較すると明らかに戻りが悪かった。
CEAは緩やかに上昇を続けている。
医師と今後の治療について相談をするつもりだったが、娘ちゃんの手足口病の話題から脱線してしまい、一番知りたかった部分を聞き忘れてしまった。ハーセプチンが使える膵臓癌の予後はとてつもなく悪そうに感じているのだが、経過を追ったデータはあるのだろうか?
ゾメタは月1の点滴の方針に決まった。
ハーセプチンの副作用を調べると初回に限り発熱をする方が多いようだが、私の場合は2回目でも38度前後まで発熱をした。
初回時の発熱はインフルエンザに近い症状だったが、今回は風邪でだるい程度で外を出歩ける程度だった。
少量なのにTS-1の副作用が強まってきたのか、立ちくらみや貧血症状が強くなってきた。
今迄も左腕から手先にかけて倦怠感や痛みを感じる事があったのだが、今回の治療後から左手が慢性的に痺れ始めた。ペッドボトルの蓋を開けるのも難儀をする。
マッサージや痛み止めを飲んでも解決できない。
次回の診察で今回の化学療法が有効か判断ができる。



8/24
度々コメントをくれる大目玉さんが東京に来るとの事で、何度か連絡を取り合って宿泊先のホテルに会いに行ってきた。
病気の者が集まると、苦労話やどちらがマシか探りあう話題になりがちだが、そんなレベルの低い話題は出ず彼は私が作った目標(応援クリックをお願いしている内容)に共感してくれて、彼ならではの視点でアドバイスをくれたりと有意義な時間を過ごせた。
変わり者の二人だが、長いお付き合いになりそうな予感がした。
ホテルの朝食(ビュッフェ)をご馳走してくれた(^ρ^)ご馳走様でした!!
大目玉さんの印象:頼れば全力で応えてくれそうだが、しつこそうなので喧嘩はしたくない(;´Д`)
次はギロッポンでキャバりましょう兄貴('A`)y-~


大目玉さん / 私
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2013年8月10日土曜日

160日ぶりに化学療法を再開したが / 高熱で熱帯夜

8/8
化学療法を受けている病院の医師から、悪い知らせが1点と、良い知らせが2点あると言われた。
悪い知らせは、術後の挨拶に行った時にも話題にのぼったもので、I型コラーゲンCテロの数値が高いので骨に集積している疑いがある、今はまだ骨転移という段階ではないが、念の為に予防的な処置をした方がいいだろう、と言われた。
良い知らせは、腫瘍マーカーは基準値内で安定している事と、分子標的薬が使える事だった。
膵臓癌患者の2-3%しか反応しないHER2蛋白定量(+、20.5)が反応したようだ。
前者はゾメタ、後者はハーセプチンを提案された。
抗癌剤は前回の話し合いでGEM+TS-1+アルファ(アブラキサンが有力だった)を予定していた。
今回の報告を軸に抗癌剤について医師と話した結果は、医師はGEM低量単独をプッシュ、私はTS-1単独をプッシュした。
術後はTS-1の方が良い結果が出ているのに、何でGEMをプッシュするのですか?、と聞くと、下痢が辛いでしょう、できるものならGEM+TS1+アルファでやりたいですよ、と言われた。
君は何でTS-1をプッシュするの?、と聞かれたので、これ以上の下痢は有り得ないし、今はまだ体力が無い上にGEMにトラウマがあるので、良いレポートが出ていてコントロールがしやすいTS-1+アルファにしたい、もう少し体力が戻ればGEM併用を再検討したい、と答えた。
その後、話は脱線したが、これから2週間に1度、ゾメタハーセプチンを点滴、TS-1・20mg1錠を1日3回の7日で一週休薬に決まった。
何でこうも未承認薬を使わねばならないのかorz
落ちこぼれ体質を恨む。

点滴は2時間程で終わり、点滴中は特に違和感を感じなかったが、会計を終えて休んでいると、胸が締め付けられる感じと、顎から鼻にかけて後ろに引っ張られるような違和感を10分ほど感じた。
帰宅してすぐに目が赤い事を指摘されて、何か悪い事をしてきたのか?、と聞かれた。
鏡を見ると目は真っ赤で、時間が経つにつれて眼圧が高くなり、まともに目を開けていられない程に痛くなりだした。
その後に発熱が始まり、翌日夜中まで上記と共に続いた。
朝方には発熱で限界点を超えたようで錯乱した。
いつからかはっきりしないが、高熱の為か油切れのロボットのように、ギシギシとした感じで体中が痛くて動けなくなり、平熱になるまで鈍痛が続いた。
一日中エアコンで室温管理をしているが、発熱のせいで体中が熱く、風にあたるとチクチク刺されるような感覚があったり、タオルケットから出ると大量の汗が一気に乾かされて凄く寒かった。
動けるようになって測った体温は37.6で、今迄の経験からMAX39度半ば程まで上がったように感じる。
点滴から27時間程が経過して日が暮れた頃、動けるまで熱が下がり私がモゾモゾしだすと、娘ちゃんが近寄ってきた。
彼女の中には私が眼鏡を外して横になる=相手にしてくれない、という図式があるようで、たまに朝寝坊をした私を起こすように、眼鏡をチェストの上から取って私が掛けられる状態にして、はいどうじょ、と渡してきた。
この辺から体調は点滴前の状態に戻り始めて、彼女はそれを見抜いたかのようにテンションを上げて、ここぞとばかりに私にまとわりつきだした。相変わらず可愛い。

ゾメタの副作用が殆どのようだが、心臓に持病があるのでハーセプチンの副作用予防に定期的に検査をする事にした。
骨転移の疑いについてまだ想像の域でしかないが怪しいと感じる部分は、何か異常があると常々感じていたのは左腕だ。
これはいつかの記事にも記載したが、膵臓付近が痛いと思い病院に通い始めた頃から、比例するように左腕がしびれたり痛みだした。
手術後の胸水を抜く前に医師達に相談をしたが真剣には相手をしてもらえず、胸水を抜けば少しは楽になるかも、と言われた程度だった。
腕だけの問題なら最悪の場合は切り落とせば済む話なので諦めもつくが、これ以外の場所(特に下半身の神経周辺)だと大きな問題だ。胸水が溜まった事を念頭に、膵臓から左腕にかけての臓器とリンパ節等を特に注視して左半身に重点を置いて近いうちに別の病院で検査をする。
副作用はFOLFIRINOXに比べると足元にも及ばないものだが、この体力不足の状態では地味に辛かった。
TS-1の副作用は前回同様に気付きもしないレベルで、強いてあげるのであれば、TS-1の服用再開迄は限界に近い便意があっても腹痛に耐えながら少しは我慢できていたものが、限界に近付くと我慢ができなくて少し漏らしてしまうようになった程度だ。これは多くの方に見られる下痢の症状に該当するものだろう。
また肌色が死体のような色になっていくのだろうか。。
前者は用事がある時、睡眠前等にはTS-1を避ければすむ話だが、オムツ以外の前向きな姿勢をとれるように試行錯誤したい。
後者は入院をしている間に一皮むけて肌は綺麗になったので考えないようにする。

はー。また未知との戦いだ。。
しかし、化学療法ができなくてモヤモヤしていた気持ちが晴れた。
体に悪いとわかっていてもイケナイ薬に手を出してしまう、立派な抗癌剤ジャンキーに帰り咲いた。




8/9
がん研の外科医の診察を受けた。
医師からは、前より顔色が良くて元気そうだね、良かったよ、と言われた。
化学療法を再開した事を伝えて、前回のおさらいと今後の方針を話し合った。
検査と経過観察はがん研で行い、化学療法は引き続き別の病院で行いたい、と言うと快諾してくれた。
採血結果は良好だったが、プレアルブミンの値が低い事を指摘された。
しかし、アルブミン値はチャートを見ると上昇を続けているので、腸が吸収できていてベースがしっかりしている証だから良しとしよう、腫瘍マーカーは緩やかに上昇を続けているが、まだ焦る段階ではないし、私達が提案したかった治療をご自分で選択されているので、今後も注視していきましょう、と言われた。
骨転移について相談をするとPET-CTをやってみよう、と提案された。
いつが良い?、と聞いてきた程なので、今はそれほど問題ではないのだろう。
視点を変えてみると、今はもっと大きな問題が目の前にある、と言われているように受け取れた。
9月・12月とCTを撮る事になった。



院内にあるコンビニ前の椅子に座って、ポカリスエットを片手に朝食代わりにたけのこの里を食べていると、入院中に仲良くしていた私服姿の看護師に声を掛けられた。
退院して何キロ痩せたの?格好良くなったね(笑)、元気そうには見えないから元気?とは聞かないけど(笑)、お菓子食べていいの?、と言われた。
お礼に、夜勤上がりで疲れているだろうに相変わらず綺麗だねー、自分の体が良いと思ったら何でもするようにしている、今日会えたのも何かの縁だからデートしない?体にいいと思うんだ、と軽く言うと、今時デートって(笑)、と始まり、10分程雑談をして別れ際にLineのIDとメールアドレスを教えてくれた。
キタコレ!!、とIDを登録してみると、入院中にLineで繋がった看護師の一部とこの娘も繋がったorz
こうなってしまうとやる気は失せて、よろしくねー、の挨拶も絶賛スルー中。
世の中うまくできているもので、なかなか悪い事はできないものだなぁ。
*教訓:今後はメールアドレスの交換だけにしよう。アドレスまで教えてくれる娘は脈ありだ。それに知らない方が良い事もある。
娘ちゃんに悪い気がしたので、罪滅ぼしの為に病院のコンビニでお土産を買った。


娘ちゃん小喜び。
ベネッセのしまじろう教材のような、グッと心を掴む何かが足りない。
がん研に行った時は必ずレジ前の子供用品売場にしゃがみこみ、娘ちゃんが喜びそうな物が無いか漁っている。

やっと一息つけると思ったが、そうは問屋が卸さなかった。
掛かり付けの病院が一箇所だけだった場合は、骨と臓器への転移が明らかになった状態からの対応になったのだろうか。
がん研の担当医の態度から接するに把握していなかったように思うが、まさか、わかっていたけど手術する為に内緒にしていたんだよねテヘペロ☆なんて言いださないだろうな(-_-;)
早期発見早期治療の為には、掛かり付けの病院が2-3無いと安心できない事と、CT等の人の感覚による作業は勿論の事、何かしらの事実がそこにあると教えてくれる数値の大切さを改めて感じた。
腫瘍マーカーが基準値内にある事と、肝臓も数値・機能共に今は問題無いからと、気持ちは勝手に落ち着いていたが、肝臓と肺を通り越してまさかの骨転移疑い(;´Д`)
これは私にとって腹膜播種(まだ無い)を告げられる程の衝撃だった。
しかし、私の思いとは裏腹に反抗期に突入して悪性に育ったとしても、すぐに命に関わらず、必死に治療を探さなくても対処ができる事であるのなら今更どうでもいい。
万が一、悪い結果を招くのであれば、娘ちゃんがJKになり何度目かの反抗期に突入した時に、ノリの良い日本人気質で、相乗りする程度の成長速度であってほしいものだ。
これ位の緊迫感がある方が、だらしのない自分にはちょうどいいのだろう、と解釈した。
若くして膵臓癌になるような運の悪い奴(体に欠陥がある)がこのまま逃げ切れるとは思っていなかったが、せめてこれ以上の問題が起きない事を願うばかりだ。
何にせよ、体調を戻して化学療法を再開する短期目標をクリアできて、予防治療までできている事は有難い。
病院帰りに会社に立ち寄ったが、私抜きでは厳しそうな局面に突入し始めた。
夏も遊びもこれからが本番!?!?!?!?!?
今こそ私の出番だwwwwwwwww
俗にいう神様が存在するのかわからないけれど、自分の中にいる困った時だけ現れる都合の良い神様、色々とチャンスを与えてくれてありがとう!!!!!こういってはアレだが、今後とも何卒宜しくお願い致しますorz

どんなに強く望んでも、ごく普通の体という金では買えない素晴らしいものが二度と手に入らない事は百も承知だ。
術後は死に向かって歩くのではなく、走っていかないといけない事を感じていた。
体と心を休ませようなんて甘い考えは一切捨てた。
亀より遅くてひんしゅくを買うかもしれないが、何事も(特に欲求)自分本位ヨロシクで出せる限りの全力疾走でいくぜ('A`)y-~
頑張れ!!へこたれるな!!私ならできる!!何とかしよう!!絶対に!!何よりも安全第一に!!
明日、明後日と時間が経つに連れ、少しでも良い事があるに連れて、いつも通り嫌な部分は忘れているさwwww

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/Rip Slyme - 熱帯夜 歌詞 ちょっとHなのでお子様やその手の物が嫌いな人は再生しない事★

2013年8月6日火曜日

日進月歩 / リスタート!!

6月28日
生還した挨拶と今後の治療の相談の為に、化学療法を受けている病院に行った。
医師は私の得た結果をとても喜んでくれて、見た事の無いテンションと笑顔を見せてくれた。
手術のレポートを事前にFAXしていたので、治療の話になると一刻も早く治療を再開したいと思っているが、今の君の状態だと無理だから、体調が戻ったら再度連絡をくれ、と言われた。
診察が終わり採血をしていると、お願いがある、と言われて説明を受けた。
先生の頼みなら何でも応じますよ、と答えると、手術で口のオモリも軽くなったのか?、と笑われた。
後日、体調を崩し始めて辛かったが、約束通り医師の願いを達した。
その際に、28日の採血結果を見て、ちょっと怪しいね、と言われ、医師が考えている治療を伝えられた。
またあの辛さが戻ってくる、と思うと少しげんなりした。

#
手術で切り取った膵臓をパラフィンブロックで送ってくれば、分子標的薬が使えるか調べますよ、と言われたので、後日がん研にお願いをして送ってもらった。

7月2日
飲食が殆ど出来なくなった。
薬を飲む為に水を飲んでも吐き出しそうになり、薬が胃から無くなる時間まで嘔吐を我慢する生活が始まった。
回復を信じて、アイスクリーム、ジュース等の高カロリーの液体でしのぎ始めた。
ウィダーインゼリーならいけるだろうと思って買い込んでみたもが体が受け付けなかった。
ウィダーインゼリーは消化が良いと思っていたが、嘔吐したものを見て意外と消化が悪い事がわかった。


7月7日
アイスクリームやジュースも受け付けなくなり、地獄の5日間が始まった。
食べることは勿論、飲む事もできなくなり、前回入院した時の症状に輪をかけた酷い有様だった。
アヘンチンキを増量して吐き気止めと一緒に飲んで下準備をして、他の薬を少量の水で飲み込んで消化されるであろう時間まで嘔吐を我慢して胃液を吐く日が続く。
起きている間は1時間に2-3回吐くので、トイレ前の廊下で横になるような日があった。
痩せすぎて便座に座ると尻が痛くて、体の水分が全て水便で出ているような感覚を味わった。
上からも下からも黄色、緑の液体が出続け、尿は1日に100ccも出ない上に見た目は真黒で便器は赤茶色に染まった。
病院に行け、と散々言われたが、前回の入院前と同じ症状なので、入院してしまうと時間が無駄になる、自力で脱しない限り繰り返す、と思い拒否した。


7月12日
がん研の外科医の診察を受けた。
診察室に入るなり医師から、大丈夫か?、と言われた。
栄養状態は数値上だと良好だけど何を食べているの?、と聞かたので、今まで食べた物と直近の症状を伝えると、不思議だなぁ、若さかなぁ、と苦笑いをされた。
大丈夫ではないけど何とか生きています、死にそうなんだけど何とかなりませんか、と訴えると、採血結果を見ながら、入院を強く勧める、このままだと死ぬよ、とあっさり言われた。
入院をして現状が大きく変わる処置が出来るのか?、と問うと、水分と栄養補給程度しかできない、と言われた。
それなら自力で何とかしたい、薬について調べてきたのだが、と言うと、私は外科医なのでこれ以上の知識はない、漢方サポート科に良い先生がいるので、ホームランを期待して受診してみたら?、と言われた。
人気がある先生のようで、PCから予約がすぐに取れないから後日にしようかと言われたが、念の為に外科医が漢方サポート科の医師に直接連絡をすると言い、そのような状態なら今から見ます、と言ってくれたそうだ。
外科医が忘れているようだったので、お腹のパイプはどうしたらいいですか?、と問うと、まだ少量の膿と出血があるが、そろそろ大丈夫だと思うからついでなので外しましょう、でも普通はカラカラに乾いてから外すんだどね、と不安材料を言いながらパイプを抜き、パイプが抜け落ちなちないように縫いつけていた糸を抜糸した。
抗癌剤治療についての話題も出たが、今の状態で抗癌剤なんて死んじゃうよ、と言われた。
診察室を出る時に、いつでも入院できるようにしておくから、限界だと思ったらすぐに入院しなさい、と言われた。

漢方サポート科の待合室に移動をして30分程待った。
担当医は著名な方で、診察室に入ると助手が2名いた。
外科医から連絡が入ってすぐに3名で私の履歴を見てくれて、色々な事を想定して私を診察室に呼んでくれたようだ。
現在の症状、改善要望、今後の治療予定等を細かく聞かれた。
数字だけで判断をせず、人の話をよく聞いて、細部まで汲み取って理解をして話したり道を広げてくれる、経験豊富な先生という印象を受けた。
血液検査の結果は栄養状態の割には良好だが、赤血球濃度が高く脱水状態にある事を指摘された。
排尿の状態を伝えると、このままだと数日以内に腎不全になり、透析が必要になるよ、入院をして点滴をしなさい、このままだと死ぬよ、自分でも限界がどこかはわかっているよね?、と言われた。
前回の入院時の症状と同様で、食事より水分摂取に問題があるのは明白だと思うので入院するつもりはない、自分で点滴が必要だと感じれば自分で対処するので今日は帰ります、と答えた。
薬について調べてきたのですが、と処方して欲しい薬を伝えると、処方薬の見直しをしてくれた。
術後から調理された物を食べると、味をバラバラに感じてしまい何を食べても美味しくない、と伝えると、電位?(自分のメモ書きが汚くて読めない)の問題かな?。もう少し様子見をしてみてください、と言われた。
嘔吐については胆嚢が無くなり、胃の動脈を再建して胃がゆるい状態で、胆汁が胃に逆流してのものかもしれない、とコレとコレと薬を勧めてくれた。
漢方はおまけ程度に出しておく、と言われた。
一日最低でも300ccは排尿をする事、後2日排尿が無ければ連絡をする事、明らかに問題があれば連絡をするので採尿をして帰るように、と言われて診察が終わった。
採尿が終わって会計口に向かおうとすると、医師と見習い医師が私を探していた。
水とポカリスエットでは水分が足りないと思うので、腸が吸収しやすい水の作り方を教えてやる、と言われてメモ書きをもらった。
WHOで認定されている水のようで、今流行りのOS1に似ているようだ。(後日の診察で電子カルテを除くとOSの作り方を教えたと記入してあった)
排泄した分だけ飲んでいれば脱水にはならないから、と言われた。
挨拶をすると助手の方に、随分と詳しいようですが医療従事者ですか?、と聞かれた。
苦笑いをして違います、今日はありがとうございました、と答えたが、心の中で必死なだけだよ(;´Д`)、と思った。

プロ2名に死ぬよ、と言われると流石に少し不安になった。
が、自分の考え通りの新しい武器をもらえた事で2-3日内に結果を出せばいいだけだ、と思えた。
相変わらずプラス思考の自分が大好きだ。
ポジティブシンキングは愛情に守られ、ネガティブシンキングは真実に守られている!!!!

・処方薬(服用している薬)
アヘンチンキ(麻薬)
カナマイシンカプセル250mg
コレバイン錠500mg
パリエット
リパクレオン(自己判断で中止中:ガスが溜まる為)
漢方 ツムラ半夏瀉心湯エキス顆粒
漢方 ツムラ芍薬甘草湯エキス顆粒
*自己判断で追加:ガスモチン
*レンドルミンD錠0.25mg

*メモ WHO認定経口消液(消液が正しいか不明、字が崩れていて読めない)
1、水1L 2、オレンジジュース100%を100ml 3、食塩4g 4、重曹(ベイキングパウダー)4g、を混ぜて飲む 


7月14日
嘔吐が寝起きの下痢後の1回だけになり、少しだが飲食ができるようになった。
処方してもらった薬が当たった。
呼吸も一日の殆どは違和感を感じず、自分が思うように呼吸ができるようになった。


7月15日
前日に増して体調が良くなっている事を感じた。
術後、初めて腹が空いたと思った。
無性に肉が食べたくなり、近所のケネディーに行き、後は野となれ山となれ、と思いながら脂身の少ないステーキをチョイスした。
肉80gを完食、サラダを完食、小さなパンを1個食べた。
旨かった。
体調不良にもならなかった。
この日から調子に乗って何でも食べ始めた。


7月17日
この為に体調が回復し始めた事は間違いない。

妻の手術に立ち会った。
約5時間の手術は無事に終わった。
彼女がしがらみから開放された事を嬉しく思う。

術後の妻に、不安だから一人にしないで、と言われた。
心の底から不安がっている彼女を出会ってから始めて見た。
ゾクゾクした。

おつかれ。
仲間入りを心から歓迎する。
言葉では上手く伝えられないので、この曲を一字一句一音残さずプレゼントしたい。

/hide-限界破裂 - 歌詞


7月18日
がん研の漢方サポート科の診察を受けた。
体調不良で4時間待ちはきつかった(;´Д`)
診察室に入ると、生きていましたか、というようなニュアンスの言葉を投げかけられた。
薬を飲んでみてどう?、と尋ねられたので、食事量が増えて嘔吐が止まりました、と答えた。
嘔吐が酷い時に、胃に原因があるのは明らかで今まで処方された胃に関する薬を色々と飲んで試した結果、ガスモチンを飲むと多少は落ち着き食欲も少しは出た、と伝えると、ガスモチンは下痢の症状が出る事もあるから新薬を試してみよう、と言われた。
東大でも診察をしているそうで、私と同じ症状の方がいると教わった。
少し希望が持てた。

・追加した薬
アコファイド錠100mg


7月20日
一日1食だが思春期の少女並に食べる事ができるようになり体が安定し始めた。
食べる分だけ排泄があるのは当たり前と改めて気付き更に自制心が強くなった。
食事は食べたいと思う物を食べて摂取カロリーを高め始めた。
魚を全く欲さない。


7月25日
腹の穴が塞がり、ガーゼとテープから解放された!!
しかし、一昨日まで少量の膿が出ていたが大丈夫か?、と思いながら、パイプを抜いた時に医師から言われた言葉を思い出した。
「穴が塞がっても膿と膵液が出続けるなら、炎症を起こして熱が出るし、2回目の手術前に近い状態になるからわかるよ、不調を感じたらすぐに電話して。」
orz


7月28日
栃木県岩舟町の高勝寺で護摩焚きをしてもらった。
今回で護摩焚きをしてもらうのは3回目だ。
前回は御礼と、手術に持ち込めるように。
今回は娘ちゃんが無事に成長している御礼と、手術に持ち込めた御礼と、今後再発しない事と、家族の健康と、商売繁盛を願った。
住職は、ぇえっ!?そんなにっ!?、という表情をしていたが、欲が出てきたのは元気になっている証拠だ。

護摩焚きの用意をしている間に、一人で本堂にお参りをした。
賽銭箱に四十五円を投げ入れ、上記と私を応援してくれた方(ブログに関わってくれている方も!)の幸せを願ってきた。
こう言っては失礼だけれど、根っからの無神論者なので、護摩焚きをして貰いながら、信念こそ力、と自分の願いを体の芯に覚えさせた。
1回目のお参りは山のふもとから寺まで階段を登ったが、2回目と同じく今回も寺のすぐ下まで車で上がった。

#
道の駅で娘ちゃんに玩具を買ったが帰宅中のSAで壊れた。
(娘ちゃんの立場から見ると壊された、になるのかなw)
帰りにホームセンターに寄って修理する部材を買った。
自分に関係の無い事は後回しにしがちな性格だが娘ちゃんの事は別だ。
帰宅して娘ちゃんが壊れた事に気付く前に直そうと思ったが、娘ちゃんが修理を手伝って(邪魔?)くれた。

蝶々は娘ちゃんがそれが何かをしっかり認識して、初めて誰にでも伝わる発音ができた存在だ。
蝶々の歌も大好きで、お絵かきをする時も、チョウチョ!(を書け)、と言ってくる。
この言葉を覚えた時は、チョウチョ!チョウチョ!、が外に行こう、の誘い文句だった。
良い思い出。


とても気に入ってくれたようで雨の中もお構いなしに、まだ帰らないと遊び続けた。
車に乗る時に手放さずに乗り込んだせいで蝶と持ち手の棒がさようならをした。
穴を3箇所あけてステーをボルト・ナットで固定してビニールテープを巻いた。
この部分は二度と壊れないだろう。


8月2日
がん研の漢方サポート科の診察を受けた。
前回のおさらいをして経過を報告した。
これ以上の改善は現状だと難しいだろうね、時間が解決してくれる事を祈ろう、と言われた。
自分でも後は体任せだろう、と感じていたので、特に突っ込んだ話はしなかった。
採血結果と直近のCTを見て処方薬を更に見直した。
水便が少しでも治まるようにロペミンを追加してくれて、ビタミンが足りていないだろうからと2種類出してくれた。
何だかよくわからないけれど、たいしたもんだね、と褒められた。
長期に渡る点滴のせいかもしれないが、脂肪肝だね、シソ油や青魚から油を積極的に摂るように、と指導された。
次回の診察は月末になったので、安定期?に入ったと判断する。

・追加した薬
ロペミンカプセル1mg
25mgアリナミンF糖衣錠
調剤用パンビタン末

ここまでの薬の結果:
下痢については現時点で変化無し。
他の処方薬については体感無し。
食欲が若干増した、気がする。(薬のせいではなく、運動量増加のせいだと思う)
アヘンチンキ・アコファイド・パリエット・ロペミン・カナマイシン・コレバインだけで当面の間はやっていけそうだ。

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前回の退院から約一ヶ月半が経った。
やっと体が安定期に入った。
明日から抗癌剤治療を始めるので、一区切りとしてブログをアップする。

退院後1週間は入院をして充電したエネルギーで命の危険を感じない生活を送れていたが、補充したエネルギーが無くなると振り出しに戻った。
入院をして一時的に回復をしても根本的な解決にならない事を痛感した。
常に脱水症状で腎不全気味になり尿は黒く、脱水のだるさ、相変わらずの食欲の無さで、正に身を削っての生活が続いた。
低血糖の症状も何度か出てしまい、泣きっ面に蜂で限界を感じる事が何度かあった。
7月中旬まで寝たきりに近い状態で、動く事もままならず筋肉は必要最低限を残して無くなり、退院してから体重は最高で約15kg落ちて、一時は40kg台に突入した。
今まで見た事が無い骨が浮き上がってきたり、肉と脂肪が減って座ったり横になって一定の体制をとると体が痛い。
入院中に見舞いに来てくれた人達に会っても、誰かわからなかった、随分変わったな、と言われる。

退院後から約1ヶ月の間に特に苦しんだのは吐き気で、食事は勿論の事、水分をとっても嘔吐する日が続き、最長で5日ほぼ飲食ができない日が続いた。
食べていないので、吐いても緑色・黄色の液体(胆汁や胃液)しか出てこず、喉が焼けるように痛かった。
これは後に薬と体内バランス(特に水分)を正す事で回復したが、腫れ物を触ったかの如く、少しの振動でも吐きそうになる気持ち悪さが続く日々はとても辛かった。
現時点で他の大きな不調は術後から続く下痢で、アヘンチンキを飲み忘れようものなら、腸やら何やらがうねって雑巾をしぼるかの如く腹の中が締め付けられる。
約4時間毎に飲むアヘンチンキの効果が無くなるにつれて、直腸がソワソワして一気に腹が痛くなって下る。
水便でおまけ程度に食べた物が米粒のような状態で出てくるのは変わらず、色々と薬を試しているが若干改善された程度だ。
まだお漏らしも無く、オムツの世話になっていないので、せめてこれが現状維持できる事を願う。
胃から下にガスが溜まりやすい体質のようで、まずはここに注視していきたい。
時間と若さが解決してくれる事を願う。

去年に自分が瀕死の状態だと認識した時に、食べるか食べないかで自分の命の期限を決める事ができる安楽死の自殺許可権をもらった気分になった。
今回も以前と同じく、食への興味を失い、噛む事すら面倒になり、日を増す毎に衰弱していく体と精神は、このまま死にたい、と思わせた。
胃が殆ど機能していない状況で食べたいと思う事すらなかったので、この気持ちは去年の絶望的な立ち位置の時よりも強く、嘔吐が止まらずにトイレの前で寝込みながら言葉になって口から出てきた。
去年は立ち位置は悪くても、チャレンジできる治療が少なからずあり希望があったが、今回は医師に相談をしても症例が少なくこれ以上の対応ができないと言われ、今迄の経験と知識からは希望を持てず、知と未知との狭間の葛藤に悩まされ続けた。
そんな心とは裏腹に、生きようとする本能は非常に前向きで、やる気の無い頭と体を明るい場所へ導いてくれた。
一番弱っている時は室内でも一歩踏み出せ、あともう一歩と思いながら歩いていた。
回復を明らかに感じだしても、外を歩いても老人にぶっちぎられ、歩くのが遅くて娘に引っ張られるような始末だったが、食事が採れるようになると約3週間で小走りできる程度まで回復をした。
体調が上向くと同時に、今更ながら概念における真実と誤解を理解して、死んだら地獄、生きるも地獄、どちらにせよ地獄なら、生きてもっと先にある何かを見たい、と思えるようになった。
周りから見ると虫の息のようだったようだが、試行錯誤しながら確実に一歩ずつ前進できた。
食事量・運動能力は健康な人と比べると足元にも及ばない現状だが、自力で飲食ができて、行きたいと思った所に行けるようになってきただけでも御の字と思わねばならないのだろう。

食事は退院してから基本的に一日一食が続いている。
最初は味覚がおかしくて食べる気がわかず、それに加えて下痢と嘔吐を恐れてからの事だったが、術後にできたこのサイクルで体調が安定しているので特に考えない事にした。
BMIはぎりぎり標準値内に戻り、ホウライエソっぽいが今の姿が気に入ったので現状維持できるように努めたい。
8月に入り味覚は普通になり、匂い・味が合わないという事で食事が摂れない事は無くなった。
もう、目で食べる生活には戻りたくない。
食のボキャブラリーは豊富なはずだが、体は肉・揚げ物・生野菜と、癌患者・消化器に不具合がある者の食事メニューには相応しく無い物ばかりを欲する。
旨いものはカロリーが高く、まずかったり特に何も感じない物はカロリーが低く、無理矢理カロリーを高めている物は体の負担になる事を体がしっかり体感した。
一日何回にも分けて食事をしろだの、体の負担にならない食事だの、そんなのは今のところはクソ食らえ。
食べたい時に体が欲するものを食べろ、しかし量は考えろ、野菜はなるべく多く摂れ、脂身の肉はやめておけ、これが今の私の中にある決まり事のようだ。
化学療法を再開するとまた変化があるだろう。
一日2食はいけるようにならないと人付き合いもままならないので改善したい。
水分摂取はポカリスエットと水が主で、尿は一日500-1000mlは出るようになった。
基礎代謝分のカロリーは未だ摂取できず、水分量も少なくて喉の乾きを感たり、尿が濃くなる日が多い。
まだまだ先の話になるが、水分を吸着しやすい物も口に入れるように気をつけたい。

術後4ヶ月になるが未だに化学療法を再開できていない。
自分では大丈夫、と思える所まで体力が戻ったので、明日から化学療法を再開する。
遅くなってしまったが、幸いにもマーカー値は基準値内なので、いつものギリギリセーフになる事を願う。
今でもジャンキーみたいなものだが、また抗癌剤ジャンキーの生活が始まる。
この体調に抗癌剤の副作用がプラスされるなんて考えるだけで萎える。
仕方がない事もあると割りきろう。

まだ出社ができず、病院帰りだったり出掛けたついでに会社に寄って会話をする程度だが、やっと出社できる準備ができてきたように思う。
色々とリミットを感じたので、化学療法を始めて体調を見ながら出社する事に決めた。
とりあえずは今の段階で毎週月曜日は出社する事にした。
迷惑を掛けるだろうが、自分に出来る事を頑張りたい。
要所要所で餌をくれる皆様どうもありがとうございますw

!!娘ちゃん!!
娘ちゃんは赤ちゃんから幼児になった。
私から見た赤ちゃん時期の娘ちゃんの印象は、赤ちゃんがヨチヨチ歩きをしている等の甘っちょろい表現は似合わない、生きる為に日々ストイックにトレーニングをする一流選手のような人間の形をした獣だった
ストイックな日々を過ごすモチベーションは、向上心というような高尚なものではなく、好奇心や本能に刷り込まれた目的を達成する事の快感の為なのか、と悦に浸っている娘の表情を見て思う事があった。

最近では、試行錯誤して目の前の課題をクリアしたり、自分で道具を使って食事を楽しむようになってきた。
自分一人でできない事は、身振り素振り宇宙語でどうしたいと訴えて、人の手を借りる事を覚えた。
補助便座を買ってからは、ベネッセのしまじろう教材に更に感化され、排泄した事を伝えてくるようになり、トイレに連れていけと表現するようになった。
まだ排泄前に便意を伝える事はできていないが、しー(尿)・おしり(便)という言葉と動作で便意を伝えてきた時はおむつをつけたまま補助便座に座らせて練習を始めた。
排泄の真似が終わると、ウォッシュレットのボタンを押して、トイレットペーパーを引っ張って拭く真似をしたりと、準備は万端のようだ。

言葉も発し始め、娘ちゃんからの意思の伝達は9割方は理解できるようになってきた。
毎日新しい言葉を覚える彼女が眩しすぎる。
単語は様々な物を理解しているようなので、根気強く助詞を教えていけば思ったより早くに会話ができそうだ。
とは言っても、彼女の話している事は私が一番理解しているようで、自分の意思が伝わらない時は私を引っ張って翻訳をしろ、とアピールしてくる。
しっかり発音ができている言葉の中で一番可愛いものは、自分で開けられない物を持ってきたり、扉等の普段は禁止されている所まで手を引っ張り、あ け て、と間を開けてしっかり発音してくるものだ。
これを言われてしまうと、娘ちゃんには好ましくないものでも開けてしまう。
まだしっかり発音ができていない言葉の中で一番可愛いものは、抱っこをして欲しい時に両手を上げて、あ っ こ、と間を開けて何故か恥ずかしそうに小声で発音するものだ。
体調不良でもこれをやられて抱っこせずにはいられない(^ρ^)
私や妻に対しての固有名詞は未だ発せられる事はないが、妻の母に対しては、おばあちゃん、と発するようになった。
外では◯◯ちゃんパパ・ママと呼ばれる事はあるが、私と妻は互いに名前で呼び合っているので、私達の事をどのように呼ぶか楽しみだ。
DQNっぽいがニックネームか名前で呼ばれたい。
それが叶わないのならせめて、お父ちゃんかオヤジと呼ばれたい。
パパとかまじ勘弁だ(;´Д`)
自分がパパと呼ばれている事を想像するだけで恥ずかしい。

幼児に成長すると同時に私との関係性も変化した。
今までは奴隷のような扱いで、自分の欲求を満たす為には手段を問わないような姿勢だったが、私が入院して留守をしている間と、退院後は寝込んでいる私に無視に近い対応をされて幼心が傷付き、彼女なりに何かを思い大きく成長したように感じる。
私の体調が悪くて横になっていると、近寄ってきて一緒に横になったり、近くに玩具を持ってきて一人遊びをするようになり、起きろ、遊んでくれ等の無理強いをしなくなった。
私が元気そうにしていると、以前と変わらず抱っこしろとせがんだり、一緒に遊ぼうと玩具のある所に引っ張っていく。
知性の無い獣が人に成長して、幼いながらに論理感を学び、場の空気を読む事ができるようになった証だ。
私の扱いも上手くなり、抱っこをしていると片手で私をしっかり掴み、片手で私の頭や顎を撫でながら、あっち、こっち、何をしろ、あれを取れ、と指示をしてくる。
私以外の者と外出をすると殆ど自分で歩いているそうだが、私と出掛けた時は歩き飽きるとすぐに抱っこをしろ、両手を上げたりしゃがみこんですぐに動かなくなる。
彼女の欲求を満たさないとしつこくされるのが面倒くさいと思っているので、クレームは出る前に想定して処理!!の精神で行動している気なのだが、娘に対して甘いと言われる。
他にも要素があり、それに全く自覚が無い自分が招いている事なのだろう。。。

最近は夢の中でも娘ちゃんと一緒の事が多い。
夢でも私は娘ちゃんを抱っこをして守る役目ばかりだ。
与えるだけで自己満足をして、子供に対し色々とやっているんだという思考を持つ脳足りんの親が多い世の中だが、彼女だから何かを創れるという存在になれるように、私の拙い知識と経験でも継承できるといいな。
想像するだけでハラワタが煮えくり返りそうになるが、彼女を大切にしてくれる人が現れるまで、ずっと彼女を守り続けられる、いつでも頼られるよき理解者でありたい。

日に日に可愛さと憎さが増していく。
奴隷でもオマケ扱いでもいいから、ずっと娘ちゃんのそばにいたい。

檜原村で初めての川原遊び。
凄く楽しそうだった。
未知との遭遇。
私が寝ていると、一人で遊び疲れて眠ってしまったそうだ。


膵臓癌と診断をされて、余命を伝えられながらも自分には関係ないと思い、治療を始めて約一年が経過したが、病は気からと常々思う。
好きな言葉の一つの、できるか・できないか、ではなく、やるか・やらないか。
生きるか・生きないか、を決めるのも自分自身。
どこで一区切りをつけるかなんて人それぞれだけれど、失敗は許されないので、小さなチャンスを逃さず、自分が決めたポイント迄は歩き続ける。

膵臓癌と伝えられた時、抗癌剤治療を始めた時、自分に使える抗癌剤を探していた時、抗癌剤の効果が殆ど無くなってきた時、家族に黙って治療をしていた時、手術ができると言われた時、手術の為に入院をした時、手術をした後、入院中、退院をした後と、目に映るものは同じはずなのに、見え方・感じ方がその都度に変わっていった。
明日の夕方にはまた何か変化を感じるだろう。
夕焼けが綺麗だった。
今日は海を見ながら少し考え事をした。
さようなら、今日までの自分。
退院をしてから今迄の自分はあまり好きでは無かった。
頑張れ。

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この先グロ画像注意。腹のパイプがあった部分のビフォアアフター画像。