2014年11月30日日曜日

銷魂@終わりの始まりだったのか

前回の2度目の手術時から体調が優れず、何度も心拍数が下がり死にかけた。
そして、前回の更新時に述べた痒みは、黄疸の症状のように感じていたが間違いないようだ。
酷い黄疸のかゆみを経験した者にしかわからない事だが、正に体中を虫が這いずり回るような症状で、かゆみを通り越して苦痛になり、脳や神経付近に達した時点で発狂しそうになる。
私は我慢強い方だと思うが、全身麻酔で意識を落とすか殺してくれ、と無意識で叫んだそうだ。

昨夜、心筋梗塞のような症状が出た後に、私は死にそうになった。
死を目前に迎えた人が、耐えられない苦痛と緩和の麻薬を味わった後に、凄く幸せそうな表情を浮かべた、という記述をよく見かけたが、自分がそれをこんなに早く味わうとは思わなかった。
当初はフェンタニルの使いすぎで筋肉が緊張した程度だと思っていたが、体が硬直して手足は冷えきり、体中の悪い箇所が全快で痛みを発した。
同時に看護師達は心拍計をつけて、移動式にレントゲン車が来て撮影をし、医師達が様々な処置をしてくれ、耐えろ・頑張れ、という言葉を聞きながら、心拍数が下がっていき体があり得ない早さで硬直をした。
その後はよく覚えていないが、体がバウンドして気付いた時にはフェンタニル等でキマリまくった多幸感一杯のお花畑状態で目が覚めた。
前日と今日の採血結果を比較してわかるように体調は激変した。

11/29
11/30-1
11/30-2


今日はマンモグラフィだけとなったが、どうやらステントを入れた部分が膨張して胆管が詰まっているようだ。
胆管周辺の腫瘍が動脈を圧迫して、弱りきった心臓に悪さを起こしているのかもしれない、という所が今の所見だ。
明日も採血をして改善されないようであれば、閉塞気味の十二指腸からはアクセスできない為、横っ腹に穴を開けて胆汁をドレナージする処置をする予定だ。
これにより大幅に改善されるとは毛頭思わない。
今回入院した目的の一つとしてあった、肝臓付近の主要切除及び胆管のバイパスが成し得なかった事が全ての原因だろう。

このブログを読む人達に私がどれ程の知識を持ち、どのような気持ちで今迄耐えてきたかは想像できないだろう。

私はいつだかに、私は知りすぎた、という言葉を残した。
それは、医学書での勉強、医者友達との意見交換、学会の出席、google先生、同病者や似た病気の方々の軌跡を辿ってきたからこそ、医師と対等に話す事ができて、多少のゴリ押しや駆け引きがあったものの、双方納得した上で治療に取り組む事ができた。
希望等といった甘いものは端から眼中に無く、中途半端な絶望という物が先立った賜物だろう。
これにより怖いもの知らずになり、今迄何だってひるむ事なく、ある意味で楽しんで挑戦できてきた。

化学療法で使える薬がなくなり、今回の入院で私は勝負に出た。
この勝負は私に希望を与えかけた。
絶望しかしらない者が希望を掴みかけた時に、奈落の底へ突き落とされる今は、希望を失う恐怖感が強くなってきた。
何でこう思ったのかタイプしながら考えているが、単純に自分の身体が危険を察知しているのだろう。

私が大嫌いな運任せになるが、ここから這い上がる術はまだ幾つかある。
誰にも結果はわからないが、諦めたらそこでお終いだ。
よって私は諦める事はしない。
今回の絶望・恐怖感・希望等も人間らしくていいじゃない、と思う余裕がまだある。
時間が経つにつれて心が落ち着き、悔しい・何でだ!、という思いが募る。
何度失敗しても心臓が動く限りは、何度でも立ち上がって刃向かい続けるぜ('A`)y-~
上等だYO!!!!!!!


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2014年11月28日金曜日

2回目の手術@悪夢再来

11/28
前夜から黄疸の時の虫が体中を這いずり回るような感覚や激痛等の耐え難い苦痛を味わい、出勤してくる医師達を待つ間に造影CT等を済ませ、早朝から緊急手術になった。
時間が時間だけに予約で一杯の手術室は使う事ができず、処置室で全身麻酔無しの局部麻酔のみで手術を受けた。
意識全快の中、何をされているか手に取るようにわかった。
そして、初めて自分の臓器が動いている様を見て、字の如く感動・感激をした。
医師に頼んで記念撮影をして頂いた。物好きだね、君は一線を超えているよ、おかしいよ、と笑われた。
前回はドレンを抜いた後に問題が起こった為、今回は慎重に頼む、とお願いをした後にこの有り様だ(;´Д`)
術前から娘が風邪を引いている為、未だ妻と会う事も会話も殆どしておらず、Line等でやりとりをしているだけなので、唐突に画像を送ってみたが、返信はグロだけで覇気が無かった。

今日は緩和ケアの方達と今後についてのミーティングをした。
ある意味で、終末期へ向けての準備、といった感じだが、私のゴリ押し交渉のようなものだった。
今迄の経過等は後程に記す。
#26日に前回のOFF会で知り合ったピンパルさんが診察ついでに見舞いに来てくださった。
愛のあるプレゼントを頂戴しまして、まことにありがとうございました!!!!!!!

#MNPで携帯がデザリング出来なくなり、モバイルルーターが前回の記事をうpした直後に壊れた為に更新ができなかった。代替え機が本日届いたので、落ち着き次第、お食事日記がはじまるよー。

もっと読むに開腹後に縫合する前の写真を残す。
グロ注意。


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2014年11月23日日曜日

経過@不時着

手術日の深夜から高熱と血圧低下に悩まされた。
40度近い熱が約2日続き、血圧は上が70-80位で精一杯。
しっかりしなさい、と何度も言われ、心臓を押されたり、経験した事が無い数の点滴を同時に入れられていたが、昨夜のピークを境にやっと落ち着きを取り戻した。
辛かったorz

まだ画像を確認しながらの詳しい術後説明は受けていないが、癒着が酷くて動脈が千切れるリスクがある為に肝臓を持ち上げる事が難しく、胆・肝付近へのアクセスはできなかったようだ。
胃腸のバイパス・他の目標は達成し、腹膜播種は無く、腸を含め目視できる臓器は無事だろう、と簡単な説明を受けた。
お腹の中は膿だらけだったようで、お腹の中をしっかり洗浄してくれたそうだ。
術後の家族への説明時に、今後は痛みをとる緩和に励むようにアドバイスをされた、と言われた。

膵体尾部切除術をした時の膵液漏れに悩まされた日々に比べれば、現時点での痛み・苦痛は半分程しかない。
あの時は続けて3回手術をしたので余計に辛かったのだろう。
硬膜外と血管の2箇所からフェンタニルを注入できるようにしてくれているが、自らのプッシュは手術当日だけだ。
私の信頼を裏切らないフェンタニル様。

連日の高熱で喉が枯れて声を発する事は難しいが、今日はしっかり自分の足で立って病棟を歩いた。
4日前に離床したという私より10歳上の方を追い越してやったぜ('A`)y-~
医師・看護師からも若い上に慣れているから流石ね、と褒めて頂いた。
明後日位には点滴棒が無ければ病院を脱走できそうな勢いだ。
手術前に比べると、頭の回転、体調ともに結果は上々と言いたい所だが、課題は残ってしまった。
現象の移り変わりと思えば取るに足らない事だ。

ここ数日で深い場所に落ちてしまった。
孤独感を通り越して言葉では表現できない気持ちだ。
これはエゴの崩壊か。
体は何とかなりそうなので、早期退院を目指して頑張ろう。


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/Left Alone - Mal Waldron



2014年11月21日金曜日

手術当日@生還

たくさんのメッセージと応援クリックありがとうございました。
手術室で意識が戻った時に最初に発した言葉は、今何時ですか?、だった。
記念に傷の写真をもっと読むに貼っておきます。
派手にやられたぜ(^q^)



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2014年11月20日木曜日

入院 + 手術前日@wakemeup!!

11/19
入院をする前に会社に立ち寄り挨拶をした。
駅まで歩いて電車に乗ったものの具合が悪くなってしまい、3駅で降りて嘔吐した後にタクシーに乗り換えて病院に向かった。
入院手続きと採血を済ませて病棟に移動。
おかえりなさい、と歓迎?されて病室に案内された。
休む間もなく、あれよあれよという間に、体中が管だらけになった。
車椅子に乗せられて術前の検査を次々に行った。
呼吸テストでは、担当の方にそれで精一杯なの?、と呆れられ、心電図の検査ではXの項目が沢山出ていた。
その後は記憶が定かではなく、誰かのしっかりして、という言葉を最後に、意識がはっきりした時は11/20の朝方だった。
輸液のお陰でチャージ完了、驚く程に頭がしゃっきりwwwwwww

11/20
朝の回診は心臓についての話題になり、午後から専門医が精密検査をすると言われた。
術前説明を受けた時にカンファレンス結果を伝えられた。
体力・技術ともに厳しく難しいようだが、私達夫婦の要望を確認の為に再度伝えた。
場数をこなしてきた医師達も初めての試みのようで、チャレンジしてくれるだけでも御の字だ。
そのお陰か渡された同意書・説明書はは前回の手術時の4倍程ある(;´Д`)

妻同席の術前説明が終わった後に心臓の検査をした。
この調子で普段は過ごしているのか?、と聞かれて、はい、と答えると苦笑いをされた。
夕方に麻酔科の方が全麻の説明と同意書を取りにてくれた時に、フェンタニルが前回足りなかったので今回は多目にお願いします、とオーダーをした。
今回もがっつりキメるぜ(^Q^)
その後に循環器の医師と話して、手術に挑む為のリスクを嫌という程に説明をされた。
お慈悲で翌日の手術の許可を出してもらった。

色々と応対をしていると、仕事で関東に来ている大目玉さんからLINEで連絡があり、急遽お見舞いに来て頂く事になった。
ブログには残せない事を話し、手術が無事に終わった後にチャレンジしたい事等を話した。
私の新お気に入り看護師にお願いをして写真を撮ってもらい、握手をしてお見送りをした。
ありがとうございました!!!!!!!
地獄の沙汰までご一緒しましょう。


膵尾部を切除して再発が懸念された時から狙い続けた、というよりは、術後すぐに狙いを定めた今回の手術。
そんな馬鹿な、何を言っているんだ、と様々な人に何度も言われてきたが、私は今回もチャレンジする切符を手にする事ができた。
肺・肝臓・膵臓・転移したリンパ節・背骨、私を困らせる存在は何もいらない。
開腹をしてもバイパス程度の姑息的な処置しかできない確率の方が高いと思う。
しかし、夫婦で幾度も話し合い、互いが納得するゴールを目指す為に努力してきた。
結果がどうであれ、あの時こうしていれば、という言葉は誰からも出ないだろう。
できる事はやりきったが流石に疲れた。
結果がどうであれ変態を通り越した私はきっと再起するさ。

明日は朝一番で手術室に向かう。
今回の術後報告は自分で行うので、更新待ちをする方は無事を祈っていてくださいorz
これにて術前の更新は終了。
ごきげんよう。


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/Avicii - Wake Me Up 歌詞(和訳)

2014年11月18日火曜日

入院と手術が決まった@ゴリゴリ

今日の診察で明日に入院する事が決まった。
今日は珍しく妻も同行したが、このままでは間もなく死ぬとの事で、今日も医師からすぐに入院をするように促された。
しかし、娘とハグもしないで入院する訳にはいかなので帰宅してきた。
医師は私の心肺能力を懸念しており、体力・時間共に余裕が無いようだ。
入院をして術前検査等を済ませて早々に手術をする事になった。

私は欲しいと思った物は手に入れる。

妥協はしない。
何を欲しててここまで耐えたかは私と神のみぞ知る事だろう。

今更誰とは言わないけれど、私が揺れている時に軌道修正してくれた方々、ありがとうございました。

貴方達が支えてくれたお陰で迷うことなく、自分が望む場所に辿りつけた。
これから怒涛の日々を過ごす事になると思うけれど、私らしいと笑って今後共宜しくお願いします。

>>blog readers
応援クリックありがとうございます。
死ぬ前の担ぎageにはまだ早いぜ('A`)y-~



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/サカナクション - アルクアラウンド 歌詞

2014年11月17日月曜日

10月半ば~11月中旬まとめ

大きなポイントだけ残しておく。

10/20
外科・内科・漢方サポート科の診察を受けて各々に経過報告をした。
外科部長の第一声は頑張りすぎてないか、だった。
外科医として場数を踏んでいる上の意見として、改めて緩和と終末医療について意見を頂戴した。
今後の治療についてどうするか、という話については、私の意見を汲みとって頂く事で終わった。
内科医からは狭窄を疑われ、ステントかバイパスを視野に入れた方がいい事と、異常な高血糖なので即入院を勧める、と言われた。
予定があるため11/3迄は無理な事を伝えると、その間に内視鏡だけでもやりましょう、と翌週に検査する事になり、何かあればいつでも電話をするように、と言われた。
高血糖対策で道具が欲しい、と伝えてインシュリン等を処方してもらい、次週に糖尿外来を受けるように言われた。
質疑応答の後に、バイパスをするならば、膵臓がまともに機能しないようであれば全摘・他のオーダーもありですか?、と投げかけると、外科に伝えておく、と言われて診察が終わった。
漢方サポート科の医師の診察内容は手術前提のものだった。
現状打破する為に必要と思われる薬を伝えて精査して処方して頂き、今後の話をしている中で、明日時間があるから私が胃カメラをやろうか、その方が内科も事前情報があって良いかもしれない、となった。

10/21
緑チューブを鼻から入れたが、胃から先に進んでいかなかった。
鼻から入れた緑チューブを1時間半もこねくり回されて地獄のような時間だった。
鼻チューブを入れた事がある方は想像してほしい。
もちろん麻酔無し、意識有りだぜ(´Д)
医師のプライドVS私の意地のバトルの結末は、医師のこんな事は初めてだ、との言葉で幕を閉じ、私の意地が勝った。
透視でリアルタイムで観察をしながらの検査だったので楽しかった。

10/29
麻酔で眠らされての内視鏡検査。
その後に糖尿外来の診察を受けた。
直近の採血結果を見ながら、コントロール云々の次元ではない事、すぐに入院するように促された。
自分で解決できるので大丈夫、と答えて、次回に血糖の推移をレポートにして渡す、と伝えた。
他は、手術をする為の条件等を提示された。
#この時点でインシュリン等を使いフルコントロールできるようになっていた。というより、ウィークポイントに気付いていたのでインシュリン注射が無くとも安定させる事がほぼできていて、インシュリンの量を調整して高血糖状態・低血糖状態の実験と確認をしていた。この診察を境にインシュリンは一度も注射をしていない。

11/1
10月中に入院できなかった一つの理由。
娘の幼稚園入試。
面接室に入った時点で私は合格を確信した。
まー当たり前だけどねー(‘A`)y-~
私の娘以上の2歳児はいないだろうwwwwwww
翌朝に速達で届いた一式の中に入っていた。

11/4
内科の医師から、内視鏡が胃から先に進まなかった事と、検査時に判明した新しい問題点と外科からのメッセージを伝えられた。
狭窄についてはバイパス手術を勧められた。
漢方サポート科の医師にもバイパス手術を勧められた。
医師が口を揃えて言った事は、何をして改善しているのか、だった。
タダでは教えられませんねーw、と冗談を言ってその場を濁した。
その後も医師と突っ込んだ話をして、提示された条件を全てクリアした私は選択権を握る事ができた。
ただし、バイパス以外は全ての話が死亡前提(;´Д`)
大人の事情があるので詳細はブログに残さない。
この日を境に体調悪化に拍車が掛かり始め、入院準備の為に病院に行く頻度が増えて今に至る。

採血結果の用紙が見当たらないので、マーカーと血糖値のチャートを残しておく。




毎日痛み等で気が狂いそうで、もっと早く入院をしてバイパス手術で食事だけでもできるようにしたかったが、以前の手術で胃が動かなかった前例がある為、入院期間を計れず全ての予定を済ませてからの入院となってしまった。

予定の中で特に割合を占めたものは娘の事だった。
娘のこれからの人生自分達の命=私達夫婦共通の意見。
健やかに大きく羽ばたくように。
妻から娘に継承された着物。

#11/20記


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2014年11月16日日曜日

瀕死@9月下旬~10月中旬まとめ

9/23に会社のBBQに参加して、皆に励まして頂き、まだ必要とされている事を感じた。
愛の告白?をされたり、よーしやるぞー、と思った矢先に撃沈してしまった。
24日から胃の調子が悪くなり、寝ても覚めても胃酸に悩まされ食事量が減り始めた。
9/26に化学療法を受けてからは体調悪化に拍車が掛かり、口に物を入れるだけで気持ちが悪くなりそこからは一気に落ちていった。
化学療法の副作用とは違う症状と眼圧上昇等から高血糖を疑い、糖分・油分を抑えた食事を採用したが何を食べてもすぐに嘔吐して、高血糖由来の喉の乾きで水分を摂っても胃から先に流れていく気配が無く胃は腫れ上がり、胃の限界値を越えては嘔吐を繰り返した。
嘔吐を繰り返すことで胃がやられて吐血と下血が激しくなった。並行して胃の痛みと胃酸過多によるムカつき、各部の痛み等で生きた心地がしない日が続いた。
十二指腸が狭窄していると早々に判断したものの、胆管のステント留置からの経緯を見ると些か疑問点があり、医師に解決を望んでも体力不足で延命の治療に走るか、理屈では納得できない症状にステント及びバイパス手術を適用になる事は容易に想像できた。
自己回復をする意欲と体感がある中では時期早々と思い、自力で原因追求と回復を目指す道を選んだ。

しかし、高血糖由来の倦怠感が酷く、体調の変化についていけず。
後に見た採血結果の通り乱高下を繰り返していたようだ。
意識は朦朧とし、一日中横になり、食事は殆どとれない日々が続き、声はかすれて発する事もままならなくなり、生活が一変した。
自力で立ち上がる事もままならず介助をしてもらっていたが、この頃には娘からは目に映るけれどそこにはいない人のような扱いをされ、妻からは、お願いだから死なないで、と言われる有り様。
高血糖と栄養不良で目の前がかすみ、日を増す毎に衰弱していき、起き上がろうと思って体を起こそうとした瞬間に気を失ったり大変だった。
この間は胃を休める為に必要な時間と思い食事は諦めて、高血糖と体調不良の原因と改善策を考え続けた。
狭窄であれば胃を押す事で多少は流れると思い、食後や水分摂取後は胃を押して無理矢理流そうと試みて反動で吐いてみたり(;´Д`)

試行錯誤する中で、5-7hスパンで狭窄している部分が緩んで流れていく事に気付いた。
このタイミングに合わせて食事時間と水分摂取量を調整して、最低限必要であろう400kca/dayの摂取を目指した。
3日程このサイクルを繰り返す事で、自力で立ち上がり家の中を動き回る程度はできるようになったが、足の筋力が無くなり自宅から出る事が出来なくなっていた。
この時点では確定診断ができず打開策が無かった為、折角の高血糖なので問題を解決する為に過去の採血データ・日記を漁り精査を始めたところ、私のウィークポイントに気付いた。
このウィークポイントを排除し、食事内容や自分の癖を見直して不足分を補う事で、毎食後嘔吐は変わらず体調は安定しないものの、高血糖症状からは少しずつ脱し始め、減り続ける体重は反転してキープ程度はできるようになった。しかし、反動の低血糖症状が日に何度も現れる日が続き、体調不良に覆いかぶさって生き地獄を味わった。
この頃に意を決してコンビニまで歩いたが、帰宅途中の坂を半分程上がった所で足が震えて動けなくなった。
悔しいやら情けないやらでその場に座り込みガン泣きしてしまった。
この悔しさをバネに階段の昇り降りで基礎体力を取り戻し始め、自力である程度は動けるようになった。

10月半ば迄に通院した痕跡はあるが記憶が定かでは無い。
家から出る事が難しく、がん研迄は行く事ができなかったので予約は全てキャンセルしたようだが、誰かと接触して造影CTは一度行っている。
入院を促された時のメモには、長期入院になる事と対処療法しかやらない、ホスピス等と連携を取っていく、となっていて、ああそうか、もう一般的には死ぬ側なのかと思ったが、今までの過程で生じた疑問を解決できておらず納得できない私は帰宅する事を選択したようだ。
この時点では手術の話はまだ出ていない。

振り返ると意地でしかなかった約1ヶ月だが、私は標準治療から漏れた時点でレールの上を歩かないと決めた。
このブログを読む娘と後続者には馬鹿で不器用な男に映るかもしれないけれど、命をかけて一度掲げた方針を簡単に変えるような不安定で信頼を置けないような男にはなりたくない。何より妻が愛した男の姿と違う。
例え選択を誤ったとしても、孤独感を募らせてしまう事になっても、自分が一度決めた事。
苦しい時こそ歯を食い縛れ。
これが私の美学。 

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10月半ばから現在迄はもう少し落ち着いてから更新する。
どれだけ痩せたか記念に写真を残しておく。

2014年11月10日月曜日

連絡

沢山の非公開希望の応援メッセージありがとうございました。
また、ご丁寧な探りメールを頂いている方々に返信できず申し訳なく思います。
瀕死の状態から少し回復をして手術に向けて入院準備中です。
9月末からの流れを近々まとめたいと思います。

私と連絡がとれなくなって困っている方へ。
LINEのIDを乗っ取りされてしまいました。既存のIDを削除して同IDで再登録していますが、検索をOFFにしているので再登録希望者はメールを下さい。
キャリア変更をしてキャリアメールが無くなりましたので、私への連絡はgmailか直電かTelegramでお願いします。
Telegramは電話帳登録で自動的に共有されると思います。
登録してメッセージを頂いても反応が鈍いと思いますが空気を読んでください。

もう駄目そう、と医師達に思わていたけれど、予定をこなすため為に無い知恵を絞って取り敢えずは自力で命を繋いでいます。
40kgを切りそうな私がこれからどうなるか。
想像するだけで萎えるぜ('A`)y-~

#この記事は次回更新時に削除します。
#コメントを頂戴したので残しておく。11/16


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