2013年12月30日月曜日

2回目のイリノテカン+アブラキサン - 他12月まとめ

12月11日 - がん研:漢方サポート科
体調不良で前回の診察をドタキャンした為、次回の予約が入っていなかったので、診察予約と採血と処方箋を求めてがん研に電話をした。
担当の医師は休診日で処方箋を出せない、と言われたが、私のカルテに何かが記されていたようで、すぐに医師に連絡をとって折り返します、と言われた。
外科の連中に適当に診察をされるのかな、と思っていたが、折り返しの電話で漢方サポート科の医師が午後から会議に出席するので待たせるかもしれないがお会いしたい、と言っていると伝えられた。
指定時間前に受付と採血を済ませて、入院患者を検査へ運ぶ看護師に声を掛けられながら、温かい場所でホットレモンを飲んで時間を潰した。
予定時間通りに診察室に呼ばれ入室してみると、いつも従えている研修生の姿はなく、漢方サポート科の医師だけだった。
質疑応答を済ませて今後の方針を尋ねられ返答をした。
君のこの採血結果の良さは何なのだろうね、趣味は何なの?、どこでそんなに知識を蓄えたのか?、等と普段はしないラフな雑談をしていると、話の途中で、化学療法に恵まれている環境が羨ましいよ、と言われた。
くだらない決まりのせいで、医師が歯がゆい思いをするのはどなたでも同じなんだな、と思いながら、医師からのアドバイスに耳を傾けた。
次回の予約表と採血結果を渡され、頑張りなさい、と言わて診察が終わった。
処方箋ゲット!!!!アヘンチンキが無い3日間はなかなか辛かったぜ。




12月13日 - 化学療法
採血結果は良好。
腫瘍マーカーに大きな変化は見られず歓迎しない方向に走りだしている。
前回の化学療法から2週間が経過したが、化学療法後の3日だけ痛みが和らぎ再燃した。
医師にこの旨を伝え、体調の変化を伝えた。
イリノテカンをベースにアブラキサンは維持する事になったが、投薬量を増やして様子を見ることに自分で決めた。
投薬後の3日程は今までに無い吐き気と倦怠感に悩まされ、起き上がる事もままならずほぼ寝て過ごした。
長時間横になる事で消化液が逆流してくる事と、化学療法の副作用??で吐いては横になるを繰り返した。
4日目に気分転換に体を動かし始めると緩やかに治まりだした。
この記事をタイピングしている18日も痛みは無いが、体調は思いもよらない方向に傾き始めた事を感じる。



- 途中経過省略 -


12月24日-25日
ショートケーキ2個とモンブランとチーズケーキを1個ずつ買って帰宅した。
娘は誕生日ケーキのロウソクを上手く消す事ができなかったけれど、その後に一人で懸命に練習を重ねた成果で、クリスマスケーキのロウソクは自分で消す事ができた。苺のショートケーキが気に入ったようで1個近くを食べてしまった。
寝る前に玩具をお片付けしないとサンタさんが家に入ってこれないよ、と言うと、ハイッ!!と良い返事をしてお片付けを頑張った。
クリスマス=サンタ=賑やかな歌と踊り=楽しそう=好き!!、程度の認識のはずなのに、何が彼女を駆り立てたのか考えたが答えが見つからなかった。
日付が変わった25日に邪魔で片付けていた本部プレゼントを仕込んだ。
久しぶりに見た本部の中に何かがあるのがわかったようで寝起きからソワソワしていて可愛かった。
残念ながらまだ早かったようでプレゼントにあまり関心を示さなかった。
(絵本+ディズニー鉄板映画のDVD9枚)
私の妹からシルバニアファミリーの人形と家のセットが届いた。
これにはがっつり喰い付いた、負けたぜ。

自分には・・・。。。。。。。
今年もサンタつかえねー。
おまけに、楽しみにしていたモンブランが起床すると消えていたorz
幼少期から困らせるような我侭を言った覚えは無いのだから一度位はサプライズを届けて!!!!!!!

/DJ BL3ND - WINTER MIX

Dear Santa Claus, 
wassup? I never understand wassu are doing! Try not to make waves, up to u. May the force be with u...
regards. hd
ps, a little bird told me, he's the Best mazafacka.


12月27日 - がん研:CT
CT結果は黒々としたグレー。
来月のPETで他に転移があるかを調べて今後の身の振り方を考える。
その半面で、採血結果は良好。
腫瘍マーカーは前回の約半分になり、手術前は効果が定かではなかったが、イリノテカンとアブラキサンの有効性が明らかになった。
肝臓が弱い自分にとってジェムザールの代わりになるイリノテカンは有難い。
約一ヶ月の休薬期間を設ける次回の採血結果で、イーブン=不変になれば前回の投薬量で早い段階に基準値内に持っていく事ができ、別の薬か次回の採血結果を元に算出できる最低限(大凡標準の20%程度??)の投薬量でも維持できるかもしれない。
外科の医師とはかなり話が脱線してしまったが、3月にまたお会いしましょう、と内科にバトンを渡された。
漢方サポート科の医師は私と話す事が楽しみのようだがちっとも嬉しくないorz
ワクチンについて医師を紹介して頂く事になった。
*メモ:そろそろ便を固める薬を飲み始めてもいい頃だと思うので次回の診察時に相談をする。
同日に予定していた化学療法は諸事情で休薬した。
前回の化学療法から13日で痛み襲来。




おまけで約半年の採血結果のチャートを残す。






統括
4月に手術をしてからは、元の状態に戻す為に試行錯誤を重ね、新たな問題にモグラ叩きを繰り返しているが、まずまずのコンディションで33歳の誕生日を迎える事ができそうだ。
採血結果は健康体に近い状態を維持しているが、消化器を筆頭に全身の機能が衰えだしている事を実感し始めた。
今使っている化学療法のアブラキサンは間もなく使えなくなるはずだ。
その時迄に良いポイントに持ち込めていなければ、自分に残された化学療法は武器どころか盾にすらならないだろう。
医師達と先駆者が残してくれた情報とGoogleのお陰で取り返しがつかなくなる一歩前で軌道修正をできているが、あと2-3ヶ月で次の手を踏まないと一気にあの世行きの去年と同じ状態だ。。。。
化学療法以外の治療で、自分に該当する効果的な治療と論理的で目新しい治療は見当たらない。
強いて挙げるのであればワクチンで、年明けにワクチン摂取について意見を伺う場を設けて頂いているが、これを使う時期や付随する問題を熟考した上で行動せねばならない。
痛みが酷い時は自分が満足できる生活レベルを保てる量のオキノームやオキシコンチンでは対応が追いつかなくなってきた。だが、レスキューに頼る事をやめてみると、慣れたのか諦めたのか定かではないが、一見普通に生活はできている。
これ以上の痛みレベルに行くとポートからフェンタニルを注入する事も検討せねばならない。
幸いにも食事は人並みに摂れて体重は維持できている上に筋肉もついてきたので、便通と血流に気をつけ、秋にはToulouseへ行けるように頑張って生きたい。
今年は守備に徹した一年だったように感じるが、失敗しても諦めないで何度も挑戦を続けて、自分の知恵と力で掴みとった一年であるようにも思う。
この調子でやっていれば今まで通りきっと何とかなるさ('A`)y-~

今年も沢山の方に支えて頂いた。
生きてくれていればそれでいい、と何人かに言われたが、この言葉が一番ありがたかった。
ブログを通じてコンタクトをとってくれる方々と、実際にお会いした方々には、私が何より欲している心の拠り所を頂いた。
特に嬉しかった事は、大目玉さんにカロリーの高い美味しい物を食べたい、と冗談で伝えた時に、すぐに近所で評判のお店に出向いてくれてホールのチョコレートを送って頂いた上に、その後のLineのやりとりの過程で、君の役に立ちたい、というニュアンスの言葉を頂いた事だ。
これは代わりがない素晴らしいプレゼントだ。
膵臓に関する病気を共有する者として戦友であり、どちらが長生きできるかのライバルでもあるが、悪い言い方をすれば接点はそこだけだ。
しかし、互いに深く素性を知ろうとせず、純粋にこの接点でリンクできている事に感謝する。
彼を始め私に関わる方々に対しても言える事だが、どのような感謝の言葉を並べようともそれは単なるキャリアでしかないので、原点に戻りもっと概念的でプリミティブな何かで表現をできないか考えたい。

>>blog readers
今年も拙い駄文を読んで頂いた上に、バナークリックとコメントでも応援をして頂き、まことにありがとうございました。
明けない夜はない、そうです。
良いお年を!!!!!!!

今年も励まされ続けたHONDAのCMで今年最後の更新を締め括る。


HONDAのどなたか!!!!!!!新型NXの直管仕様をプレゼントしてください!!!!!!!

/[Jazzy Hip-Hop] ~ Moon Escape ~ mixed by HaruYahMan from JP Osaka



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2013年12月6日金曜日

【娘ちゃん】娘の2歳のお誕生日と成長をお祝いした夜【→→→娘】

今年も大きな怪我をする事も病気にかかる事もなく、好き嫌いをしないで何でも食べて元気にこの日を迎える事ができた。
2歳を迎える前に、日常会話は殆どコミュニケーションを取る事ができるようになった。
それでも私・妻・妻母にしか伝わらない事がたくさんあるようで、意思の疎通が上手くいかなくて寂しくなると、椅子に腰掛ける私に長垂掛けて言いたい事を長文で伝えてくる。
私にしか理解できない言葉の殆どが、娘が悔しい思いをした時と悲しい思いをした時の言葉のようだ。

娘からはパパやお父さん等の一般的な敬称で呼ばれたくないと願っていた。
2013年8月11日、私を初めてhdちと呼んだ。
これは妻と、妻の友人と、娘しか呼ばない敬称だ。
お父さん・パパ等の父親を呼ぶ敬称は理解しているようだが、パパは誰?と聞かれても指差すだけでhdちと呼び続けてくれる。
出先でhdちーと大声で叫ばれるのは少し恥ずかしくもあるけれど、君と私の関係性そのものを表した言葉であり、父親として、一人の男として心から嬉しく思う。

言葉を覚え、知恵を付け、女性らしく優しく繊細に育っていく。
音楽に合わせて体を揺らし、大きな声で歌い、自分の意思を相手に伝え、自分の世界を作り、もう立派な人間の仲間入りだ。
道具の使い方、コミュニケーションの取り方、English、Spanish、二人だけの秘密でたくさんの事を教えている。
新しい事を教えている時は、うん!うん!と、目を輝かせながら、真っ直ぐに私を見る。
澱みの無い綺麗な目は、きっと毎日奇跡を見ているのだろう。

犬でも人でも構わない、誰かが君の後をついて行きたいと思えるように、自分に誇りをもって強く生きてほしい。
躓く事を恐れない今の気持ちのまま、元気に育つ事を願う。
安地は立ち向かった先に必ずあるよ。
2年生存おめでとう。
娘ちゃんから娘へ成長した君に、心から愛をこめて。


今年は娘がアップルパイを所望した。
ケーキに割く時間が食事を作る時間に割り当てられたが、イチゴやトマト等の特に好きな物だけを食べて眠ってしまった。
大好きな食材のオンパレートで、配置を考えたり海苔で顔を作ったりと力作だったのに残念。
誕生日プレゼントは、お絵かきボード、シルバニアファミリーの家と雑貨類、姓名それぞれの印鑑、印鑑ケース、通帳1通。
/きらきら星 
初めて一人で歌いきった曲。
物事への理解が深まり、この曲を聞きながら夜の星に何を願うのか楽しみだ。


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2013年12月1日日曜日

1回目のイリノテカン+アブラキサン - 体調の乱高下

2013年11月29日(金曜日)~2013年12月1日(日)

病院に行きたくない気持ちが先走り、気分が優れず足取りが重かった。
気分転換を兼ねて妻からおさがりで貰ったコートを羽織って行った。
病院に着くと関西方面のナンバーが着いた車が数台いて駐車場所が無かった。
看護師から呼ばれている名前や話の内容を聞いていると、私とメールのやり取りをしている方のようだったが真相はいかに??
受付に行き診券とCT画像が入ったメディアを渡して、コインパーキングに駐車してくるので診察時間をずらしてくれるように伝えると、心遣いをして頂き病院前の駐車スペースを確保する事ができた。

診察室に通されるとCT画像がモニターに映りだされていた。
レポート内容を伝える前に怪しいと言われる部分に着目をして、採血結果を見ながら3週は開けたくないけど、あなたはどう考えている?、と唐突に言われた。
この病院の採血結果の方が精度が良い筈だが、がん研とほぼ同時期に採血をしたにも関わらず、CA19-9の値差が大きい事に焦点を置いて、これらの化学療法について医師と話し合った。
長丁場になる事は間違いが無いので、使える薬をいかに残していくか、今ある薬で今の症状を抑える事に適した薬剤は何かにスポットを当てて、使い回しが効くオーソドックスなチョイスをした。
ハーセプチンは血液検査の結果を見ながら適時追加していく事にした。
イリノテカンを使うのであればFOLFIRIの選択もあるが、TS-1の無効化と下痢の症状を抱えている事から採用を見送った。
次回の採血結果(約4週後)を見て、FOLFIRINOX+αに戻るか検討する事にした。

薬剤の選択後に話題になった事が体調の変化だった。
10月半ばから背中に熱さを感じ始めて下旬には痛みに変わった。
これらは食後に感じていた事で、膵体尾部切除後の隙間に腸が入り込んでいる事もあり、消化にかなり気を使った食事にしていたものの、消化後も粘度の高い物を食べると神経を圧迫されているような感覚に襲われ痛みを誘発した。食事量が少しずつ増えてきている事もあり、この時点では様子見する事を選択した。
11月上旬~中旬にかけて、上記の症状が食後だけではなく、日中に活動している時にも起きるようになった。
11月中旬~当日にかけて、呼吸が出来なくなる圧迫感と痛みに襲われるようになり、夜中も背中の痛みや呼吸困難で何度か目が覚めるようになった。
CTを撮った際に腹水と胸水の有無を聞いた意図がここにあり、胸水が溜まっていた時のように溺れて呼吸ができないような状態に近いものがあった。
腸が何かを圧迫しているだけではない事と、以前とは比べ物にならない早さで体が変化していて、去年と比較してもレンジ幅が狭まり全く余裕が無い事に戸惑いを感じていた。
これらを医師に伝えると、今まで経験なさっているのですから何が原因かはおわかりでしょう、頑張りましょう、と言われ、この日も個室に通してくれた。
相変わらず何度も針を抜き差しをして絆創膏だらけになった。
点滴中は心此処にあらずで、どうか一発で効いて今抱えている不調から脱せるように、と願い続けた。
点滴は2,5h程で終わった。



化学療法が終わった後に、いつも小さなご褒美としてマックシェイクのバニラを買っていた事を思い出して、ドライブスルーに寄るも注文をしながら嘔吐した。
これが引き金になり、首都高が渋滞していて2時間近くノロノロ運転をしている道中で何度も吐いた。
途中のPAで下痢の為に30分の足止めを食らう。
会社に立ち寄り何かをして自宅に戻った。
帰宅して何をしたのかよく覚えていないが14時間近く眠った。
以前のように長時間横になっても胆汁が逆流する事が無くなった。
起床してみると体の至る所が痺れているものの、背中に痛みは無く調子が良いのでスノボーでも行くか!!、と思っていると一気に具合が悪くなり始めた。
貧血の様な状態で目眩が酷くて寝込んだ。

翌日(今日)も14時間近く眠り、やっと調子が戻り始めた。
薬が有効という事が判って安心した。
はー、散々だったぜ。
俗に言う終末期に近い痛みと苦しみをまた味わい始め、これから先こんな調子が続くのかと思うと、もう人間を辞めてしまいたい。
でも辞められないんだなぁ('A`)y-~

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/やくしまるえつこ - nekomeshi 歌詞