2014年8月31日日曜日

入院前夜から入院迄 - 無事に収監された@黄疸・入院1日目

昨夜は兼ねてからの約束で、退社された方の人生相談?と食事に行った。
何度かお誘いはあったものの、体調不良や予定が合わずお流れになり、約1年半振りに再会した。
相談内容は相変わらずのオイタ好きの賜物?wだったが、何かあればバックアップしますから大丈夫ですよ、と伝えて、鶏肉専門の飲食店で互いの現状報告等をしながら、お付き合いでコップに1mm位サワーを入れて作ってもらったシークワーサーサワーを片手にモリモリ食べて話が弾んだ。

途中でブログの存在を知らない筈の友人から連絡があり、ブログ見たんすけど今から出てこれないすか?、と言われた。
先約があるので終わってからでも良ければ、と伝えると、わかりました、どこに居ますか?、と言われて答えると、◯◯◯◯に適当に来てください。場所取りしておきます、と言われた。
そのままカラオケまで付き合い退院したらオイタをして遊びましょう、と約束をして解散した後に、指定場所に行くと、
都内某所
悪友達が集まっていた。
入店をしてすぐに名前を叫ばれたので動画撮影中止。



悪友の一人の女性へ、近況報告代わりにブログの存在を知らせていたのだが、女性らしい気を利かせた????お喋りで、共通の交友関係にある者達へスピーカーをしていた事が判明した。
私は交友関係が幅広い事が誇りというか自慢でもあり、当日集まってくれた人は、本職・芸術系の職種・彫師・かつてのDJ仲間・クラブ遊び仲間・生粋のジャンキーと、救い様がない駄目な大人達が集まっていた。といっても、ある意味で私も仲間なのだが(;´Д`)
結婚してからもチョイチョイ付き合いはしていたものの、娘が生まれてからは疎遠になっていき、LINE・メール、たまにイベントのお誘いで連絡を取る程度になっていた。
しかし、皆は私のブログを見続けていたようで、挨拶をしてカウンターに座ると、マイクを持ったDJ仲間が、○○さんの明日からのお務めを祝してウェーイ!!、と乱痴気騒ぎが始まった/(^o^)
最初は15人程だったのに、気付くと40人程に増えていて、箱はパンパンになっていた。
#過去に仲間内で最も害の無い者に妻を会わせた事がある。
衝突を避けて誰にでも愛嬌を振りまき初対面の人には高評価をされる事の多い彼女が、ドン引きして固まっていた程の異端ぶり。(今ではあの男の子可愛いと言ってうつつを抜かしているが。)

爆音の中で皆と挨拶や互いの近況報告をしていると、久し振りにブースに立った兄貴を見たいコールで、先に回していた人に挨拶を交わし、サポートをお願いして、私の好みとは違う音楽ファイルを漁り目星を付けて、原始的な本能に響くような選曲をして1時間近く遊ばせてもらった。
#動画は友人が撮影、音楽に合わせて縦揺れしている。
手元を写してくれと言ったのに、光が上手く当たる所に立たなかったせいで何が何だかわからない。
実名を呼ばれまくリングで、この程度しかうpできる動画が無かったorz
#別アングルから上がり状態を撮影してもらった。
自分のチョイスとプレイでAGEAGEになるのは嬉しい。

本職から銀座の店を開けて待たせているから行こう、と誘われたが、数時間後に入院するから勘弁してよw妻に怒られるよ、と言うと、丸くなったなー、と残念そうに言われ、皆に帰るね、と挨拶をすると、お務めご苦労様です!!、と皆に敬礼と握手をしてもらい、T君にベロチューをされてやっと開放してもらえた?w
外に出ると新聞配達のバイクがブイブイ言わせていた。
集まってくれた、みなさんありがとー。
超楽しかった。

私はもう33歳だけど、まだ33歳で、普通にその辺にいる一般男性。
先が見えているからこそ、私だって遊びたい・飲みたい・踊りたい・仕事で目標を達成したい。
何も考えないで息抜きすればいいじゃん?、と言ってくれた君達に感謝する。
私の周囲は、お前は仙人になれ、とでも言うような、無茶ぶりをする方達ばかりなので救われたよw
お酒は一滴も飲めなかったけれど、33歳を皆と楽しめて良かった!!出所したら大箱で遊ぼう!!!ウェーイ!!
赤目でグリグリながらも55分遅れで無事に収監されました!!
目の前に酒があっても飲めないとはorz
カシスオレンジのカシス抜き、カルーアミルクのカルーア抜きを飲んだw
本当かって?
採血結果が全てを語っている。
フィリピン産?
トウモロコシをガーリックで炒ってあるもので美味しい。
お土産に開封済みの物をもらったw
わっぱ回されました(;´Д`)
シャワー等様に、すぐ外せるようにユルユルにしてもらっている。
写真で見ると明らかに肌が黄色い。。。。。。。
近い将来に娘がこの文章を見て悲観するかもしれない。
しかし、これが父であり私であり私の好きな漢の姿だ。
私は真面目君な良い子ちゃんが大嫌いなんでね。
ただし、私と同じようなタイプの男には近付かないように(‘A`)y-~
君を真っ直ぐに見てくれる男であれば、頭が回らなくてもお金がなくても良い。
君が足りないものを補えばいいだけの単純な話だ。
妻と義母には逆らえない駄目親父より。


泥棒のように家の鍵を開けて、ゆっくりと静かに侵入した。
妻は何も言わず迎えてくれた。
腹が空いていて食べ過ぎたせいか、肝臓付近が腫れているように感じた為、ルルドでマッサージをしたのだが、そのままソファーで寝てしまったようだ。
寝心地が悪くて娘の隣に移動をして横になり、1時間近く彼女を眺めていたと思う。
背中とお腹が痛み出したので丸まっていると、妻が寝ぼけながらか不明だが背中をグイグイと押してマッサージをしてくれた。
ありがとう、と言った後の記憶がないので寝落ちしたのだろう。
2時間程眠っただろうか、黄疸の痒みというのか、体の中を何かが這いずりまわる様な気持ちが悪い痒みで目が覚めて、丸くなりウンウン唸っていると娘が起動した。
◯◯ち、いたー。と言った後に、再度スリープモードに入った。
帰宅する迄の自分を振り返って、駄目親父過ぎて申し訳なかったorz

その後、妻が起床して、入院が決まった日にお願いをしていた、すき焼きを作ってくれた。
私が半分近く食べたように思う。
4人用位の土鍋の筈だが、食欲があり過ぎる(;´Д`)
野菜は下に沈んでいる。
糸コンと葛切りは、娘と私の好物。

昨夜から娘は違和感を感じていて、朝から落ち着かず私が行く所について周り、寝室のベッドに腰を掛けてシャツを畳んでいると隣に座って、◯◯ちいなくなるのさみしいよー、と行って私を撃沈させた。
抱きしめて、頬や手の甲にたくさん口付けをして、ママ達のお話と言う事をちゃんと聞くんだよ、◯◯ちが帰るまでに、アレとコレができるようになっておいてね、と言うと、わかった!!、と力強く返事をしてくれた。
粗方済ませていた入院用の一式を鞄に詰めて、外出する妻の身繕いが終るのを待った。
妻にシャツが無いと言うと、自分であそこに置いたじゃないと怒られ、今日か明日にお見舞いにいくからと言われたので、迷惑だから来なくて良い、と言うと、妻にそんな性格だから病気になるのよ、ダンボール捨てて行って、と言われてヽ(`Д´)ノプンプンしながら出発した。

新橋乗り換えでゆりかもめ線を目指しながら、病院に到着してお茶をする為の友として三軒巡ってシュークリームを買った。
ゆりかもめ線は台場付近まで激混みで、ヘッドフォンを付けて周囲の音をシャットアウトした。
念願叶ってゆりかもめ線の先頭に乗ることができたw
11時迄に来院するように、と入院手続き書に記載されてた。
用意が遅かった妻のせい?
いや、私が新橋でオヤツを迷ったせいだ(;´Д`)
病院に着いて病棟の受付に着いて挨拶をすると、お帰りなさい、と迎えられた。
ただいま宜しくね、と言って個室へ案内をされたが、お気に入りの看護師が異動をしていて、お気に入りの医師が退職した事を知った。
後者は風の噂で聞いていたが、前者はorz過ぎる。
今回の担当は、膵臓の手術をした時に、お気に入りの看護師の弟子としてついてまわっていた方で、始めての採血が私だった、という縁の深い女性。

今日と明日の説明を受けて、身長・体重・血圧(昼上121昼下74夜上128夜下81)・体温(昼夜36.7)を測定して、採血をするように言われています、と言われて血を盗られた。
お気に入りの看護師であれば、血を差し出した、の表現になるのに。ギギギギギ
個室良いでしょう?、◯◯さんは個室の方がお似合いですよ、と小馬鹿にされたのか営業をされたのかよくわからなかった。
個室は高いけれど、集団生活及び行動が大の苦手な私には最高だ。
余計な音が殆ど聞こえず、誰も室内の空気を乱さない。
退院まで特別措置扱いをして、この部屋に置いてくれないかな(;´Д`)
というか、電動ベッド最高!!!!!!!意味も無く動かして遊んだ。

昼食前に医師が部屋を訪れ、明日の処置及び検査についての説明を受けた。
その後に昼食。
酢飯が食べたくなりシーチキンマヨの手巻きをコンビニで購入した。
午後ティーストレートは私のお気に入り。

完食!
+
小腹が空いたので、おやつ代わりにコンビニで握り寿司を買って食べた。
昼食後に届いた採血結果。
回復を始めている。
生命力の強さ。

夜遊び何のそのwwwwwww
夕食。
完食!

今回は手術をしない限りは普通食との事なので、食事を用意する側の方の為に、メニュー一覧と日々の食事を掲載したいと思う。
黄疸の症状があっても、食事を摂れるのであれば通常食との事だ。
参考にされたし。
それと、今回は業務日報代わりにブログを更新します、と上司に伝えているので、病院食日記が始まるよー。
#9/1は絶食。9/2の昼食からリスタート予定。


明日は黄疸を解消する為の処置(ERCP+ENBDENPD)をする。
その後に黄疸が落ち着き次第、検査と並行してステント留置で終了か、再発していても切除できそうであれば胆管等を腸にバイパスをする手術と、他の部分も処置をすると思われる。
早ければ(結果が、1良い場合2悪い場合)10日程で退院、遅い場合(転移したもの等を切れる場合)2ヶ月近くの入院となる。
前者の1良い場合は、現時点の大きな疑問点で、薬を服用したり何も処置をしていない割にCRPの数値低い事。これが功を成す事を願う。
前者の2悪い場合は、3ヶ月~1年で死亡する事を念頭に置いて行動していく。
#期待薄だが化学療法が上手くいき、現状維持ができるのであれば、年齢的に2年位はいけるのか?
遅い場合は、地獄の日々に逆戻りして負のスパイラルに陥る可能性あり。
#摂食障害からの回復に半年は掛かると思われ、その間の体力不足で化学療法に耐えられない?

興味3/4、期待1/4
鼻チューブは本気で嫌だが、栄養状態が良いので排泄した胆汁を飲まなくて良さそうな事は救いだ。
明日の検査結果が良い事を願う。
今日は娘が朝にBSで聞いていたAve Mariaで締める。
これはきっと何かの縁だ。
ora pro nobis peccatoribus…

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検査結果が良い事を願ってくださいorz


/Ave Maria - Tomás Luis de Victoria

2014年8月30日土曜日

黄疸の経過 - 夏の思い出

黄疸については、同病の方も参考になると思うので残しておく。

8/28も黄疸が引く事は無く、寝起きから脳症のような症状があった為、自力での回復は望めないと判断を下した。
9月は予定が詰まっているので、化学療法を第一優先にしてスケジュールを立てていたが、黄疸を解決しないと投薬はできないだろう、と思いながらも、化学療法を受けている病院へ電話をした。
黄疸が出ているが化学療法を受けられるか?、の問いに対し、解決してから来院するように言われた。
そのまま、がん研に電話をして消化器外来に回してもらい、事情を説明して電話で問診をされた。
今から来院できないか?、と言われたが、諸事情で無理、と言うと、担当医が手術中の為、確認を取って折り返す、と言われた。
40分位で折り返しの連絡があり、去年の手術前に丁寧なやり取りをしてくれた医師からの伝言を伝えられ、翌日できるだけ早く来るように言われ、腫瘍マーカーを含めた採血をお願いして電話を切った。

8/29
所要を済ませて、採血時間に合わせて病院へ向かった。
採血後に消化器外来受付付近に近付くと、看護師が私の名前を呼び歩いていた。
手を上げて合図をすると、大丈夫ですか?具合が悪いようでしたら別室へ案内しますが?、と言われたが、ここで待ちます、と伝えると、何かありましたらすぐに呼んでください、と言われて診察時間を待った。
どうやら医師が気を利かせてくれたようだった。
その後に別の看護師が来て、酸素・血圧・体温を測定して問診があった。
痛みについて聞かれたが、どこが痛いかわからない、今日は痛み止めを飲んでいない、と伝えて、服用している薬を説明すると(;´Д`)のような表情をされた。
同時に痛みレベルを示す表情マークのついた定規のようなものを出されて、どこですか?と聞かれ、わかりません、と率直に答えると再度(;´Д`)のような表情をされた。
わからないものはわからないのだから仕方が無い。
PCを触りながら本を読んで待っていると、予約時間を10分程過ぎた頃にPHSが鳴り、中待合室に入るとすぐに診察室に案内された。
地下Pに居ても呼び出しが届くようにしてくれば楽なのに。
外科の担当医に症状を伝えて近況報告をして、すぐに採血結果を印刷してもらった。
肝臓や胆嚢に関わる数値より先に腫瘍マーカーに目がいった。
腫瘍マーカーのCEACA19-9は、ビリルビン上昇と共に上る事もあると見た記憶があるので、化学療法で抑えこみ程度は出来ている事がわかった事が不幸中の幸いだ。
41-449 42-706 43-250 44-83 45-138
 



医師に飲酒が原因の可能性はあるか?、と確認をしたが飲酒が原因ではない、それ程に肝臓が弱っていれば、この程度の数値におさまらない、多分、肝不全で今頃入院している、と言われた。
OFF会の飲酒が原因であれば、家族の前から行方不明になって、ブログをそっ閉じする所だったぜwwwwwww
CTの予約を入れたり忙しそうな医師を尻目に、採血結果と睨めっこをしながら、問題箇所にマーキングをしていき、頭の中の引き出しを全開にして答えを探した。
肝門の周りに腫瘍が出来て胆管かリンパ節に転移?、等の良からぬ事ばかり考えた。
CTの予約が取れたのですぐに撮って来るように言われ、CT用の問診票と承諾書を渡されて看護師付き添いで移動をした。
画像診断?の受付に行き書類を提出し、中待合室に入るとすぐに呼ばれて撮影となった。
造影剤を入れる針を3回挿しなおして撮影が終わり、小腹が空いたのでコンビニに行こうと思った瞬間にPHSで外科医の元に戻るように指示をされた。

中待合室で待つこと15分。
診察室に通されると医師がCT結果をマウスでタイミングを変えながら見ていた。
立ったまま眺めていると、肝内の胆管がいきなり無くなった事に気付き、閉塞ですか?、と聞くと、肝内胆管の拡張と下部胆管閉塞だね、と言われた。
レポートは?、と聞くと、まだ上がってきていないようだ、と言われたが、ステント留置は避けられないと判断した。
ステント留置の他に切除できる部分があれば一緒にお願いできますか?、と聞くと、入院をして検査をして判断をしましょう。それにしても、肝臓に明らかな転移が無い方が不思議だ、ただ場所が場所だけに転移は覚悟しないとね、と言われて、他にも処置についてゴニョゴニョを話した。

いつから入院をすれば良いですか?、土曜日は夜に予定があるので、出来れば月曜日にお願いしたい、と伝えると、ビリルビン値が高いので肝不全が怖いが食事は採れているから気をつけて頂ければ月曜日でも良いかな?、君なら判断がつくでしょう、と言いながら、ステント留置の処置を出来る日がいつか内科の医師に確認をとり始めた。
結果、内科の都合を優先して、月曜日のステント留置、日曜日入院と決まった。
病室はどうする?、と聞かれて、0円ベッドでお願いします、と言ったが、結局空き部屋が無く、くいさがったものの個室に入る事になった。一泊3万円也。
高すぎるぜ。
娘に絵本を何冊買えるんだ。
その辺の洒落たホテルに泊まれる金額だから、がん研付近のホテルから通院したい位だ(;´Д`)

その後に入院申し込みを済ませて、画像診断のレポートと院内処方でアタラックスを貰い、会社に立ち寄って上司に報告をして連帯保証人欄に記入をして頂いた。
珍しく揚げ物を食べたいと体が欲したので、てんやでがっつり食べて帰宅した。
まだ今の所はグレーだ!!!!!!!


7月下旬頃から体力・気力が回復を始め、同時に去年の手術後から抱えていた酷い下痢も通常の内服薬でコントロールできるようになり、下痢止めとして処方されていた麻薬のアヘンチンキの服用をやめた。
手術後から胆汁のコントロールが上手くできておらず胆汁と胃液の嘔吐を繰り返していたが、数カ所の病院で解決策を探るもこれといった手は無く、ステントを留置する位しか答えがみつからなかった。
アヘンチンキと嘔吐でコントロールができて、一般食を摂れているのであれば急を要す事ではないと判断をしていた。
8月に移り、排便に関してはアヘンチンキの服用が完全に必要が無くなり、下痢は続いているものの、以前のように食べてすぐ排泄するような事は無くなりサイクルができていた。
反して、アヘンチンキの服用をやめると同時に、黄疸の症状が出始めていたが数日で症状が治まるを繰り返していた。
近い内に大きな岐路に立たされそうだ、と感じていた矢先にこれだ。
食事も少しずつ摂取量が増え始め、8月半ばには同年代の男性程は食べられる事ができるようになり、歩く速度も人並みに戻って、やる気満々になったばかりだったのに。。。。。。。
希望の光が見えたと思ったら、また暗いトンネルに再突入だ。
うまくいかねー、はーorz

私は病気を患ってから、持ち前の情報収集力で国内外問わず、自分が対応できる言語であれば、胆膵に関わる治療と軌跡を調べてきた。
世の中には知らなければ良い事もあるというが、私は知りすぎてしまったが故に自分の置かれた状況がどのようなものかわかっているつもりだ。
満塁逆転ホームランを打てるような、幸運に恵まれた人間であれば、このような病を患う事も無かっただろう。
しかし、最後まで希望を捨てず、これからの一連が少しでも良い方向に転ぶ事を願うばかりだ。
体力低下後に、黄疸症状が出て手出しができに状態に陥らなかっただでも儲けものだ。


28日の夜、体中が痛み、痒みと普段の3/4程しか回らない頭で考え事をしながら横になっていると、もう休みたい、と口に出してしまった。
病気を患らった事で、事ある毎に妻に対して言い訳をしているように感じる面もあって、治療内容や心境はブログを通してしか伝えていないに等しい。
私の口から出たこの言葉が、どれだけ彼女を傷付けて不安にさせただろうか、と思っていたが、翌日の病院リアルレポのやり取りではいつもの感じだった。30日にはゴミ捨てに行けと怒られたりと、全く心配無用だw
といっても、彼女の真意を他人の私が汲み取る事はできない。
お互い大人なのだから、今後も自己責任の上で生活を送っていこうと思う。
KY妻対私の攻防戦。


もう少しで夏が終る。
来年も娘とセミの鳴き声を聞いて、セミの抜け殻を拾って彼女につけてからかったり、一緒に花火を見る事ができるように最善を尽くしたい。
下記は夏の思い出の一コマ。
とても不安そうな表情をしているが、後に彼女にとって良い思い出になったようだ。
超穴場・水上花火大会
開場と同時に駐車場に入れば、車の中からでも間近に花火を見ることができる。
会場から1
50m程先で打ち上げているのだろうか。
人が少ない割に、花火の打上数が多い。
販売している飲食物も衛生的。
in8/16
つこさんの前にずっと陣取っていた。
握手をしてもらったり、アナと雪の女王の歌を目の前で聞けてご満悦。
二人で歩いていて、また来ようね、と娘に言われたが、私が半泣きで答えないでいると、大丈夫よ、と言って私のズボンをぎゅっと掴んでいた。
二人で水風船を取ったり夏祭りを楽しみ、良い思い出になった。
甥っ子君も楽しんでいたようでよかった。

kさん、ありがとうございました。

今年、花火を見に行く事ができなかった人にお裾分け。
スマホ動画なので画質が悪し。多分、PCからのみ観覧可能。




娘だけには弱音を吐き続ける情けない駄目親父だが、今迄通り、大丈夫よ、と言い続けてもらい、寝る前は頭や顎を撫で続けてもらえるように、自分の頭と信頼した医療従事者達に身を委ねたいと思う。
何度目かわからないが、無感動の領域に突入して内面的な死滅が再度始まりそうだ。
無関心且つ無感覚になり私自身が体と心を分離する事で、以前と同じようにゲーム感覚でストイックに治療に励み、仕事も感情抜きで淡々と目標をクリアしていこうとするだろう。

人間に戻りたい、と常々思っていたが、私にはその権利すら無いようだ。
上等だ。
心と体と病の三つ巴の勝負、この馬鹿頭で受けてたとうではないか(‘A`)y-~

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検査結果が良い事を願ってくださいorz


/GREAT3 - モナリザ 歌詞



2014年8月28日木曜日

8/23 好き者で語らnight???in品川のレポートetc

大目玉さんのブログで弄って頂いたので、その過程から帰宅する迄の、私目線のレポートを残したいと思う。また、レポートを読む方は折角の日を台無しにされるような感じで気分が良くないかもしれないが、当日の体調の変化も添えて綴る。
私以外は、キノシタさん大目玉さんがレポートを残しているので、左記の名前欄をクリックすると別枠で開いて見る事ができる。

今回、大目玉さんの読者会と銘打って、私のブログでも参加者を募らせて頂いた。
その際に、立場上の理由で、興味心だけで参加する方を排除したかった為、大目玉さんにお願いをして、参加者の病状・年齢・立場、これらを参加者に証明できるようにして頂いた。
18名の方と連絡を取る手間と心労は、相当のものだったと思う。
お疲れっしたwwwwwww

私が東京在住という事で店舗チョイスは私の仕事とした。
皆様が集まりやすい場所・コースの中で一つだけでも美味しいと思い、気兼ねなく食べられるように食事レパートリーも重要事項として店舗を探した。
利用した店舗情報と食事内容は下記。

響(ひびき)コース改 8,000円(税込)-品川和食-
山形牛せいろ蒸しと桜海老炊き込み飯を食す宴
「島根県奥出雲仁多米コシヒカリ」と「佐賀県限玄界灘直送の天然真鯛」で作る鯛飯に変更+魚等をグレードアップして頂き、飲み放題付き・TAX・部屋料金等を込みにして頂いた。
佐賀県唐津市「川島豆腐店」ざる豆腐
佐賀県山領ファーム 夏野菜冷やし鉢
佐賀玄海漁協 刺身三種と生鮪の盛り合わせ
山形県 山形牛リブロースの土鍋蒸し 野菜味噌ダレ
長崎県 伊佐木 塩麹焼き
穴子あおさ揚げ 天草天日塩添え
秋田県 じゅんさい酢
島根県奥出雲 仁多米こしひかり石釜炊き 
  釜揚げしらす 川海苔 香の物 味噌汁
甘味

大目玉さんとのやり取りで座席配列をどうするのか、と気になっていたのだが、ブログに残されていらっしゃるような感じで、大目玉さんと私が適当すぎると思われてはシャクだ、大目玉さんに恥をかかせてはならぬと思い、色々な大人の事情の思惑があるので嫌がるだろうが私が仕切ろう、と思い、大目玉さんから送られてきた座席表のレイアウトを極力崩さないように、座席配列をある程度決めさせて頂いた。
大目玉さん側は大目玉さんのブログ読者と、女性に多い病を抱えられている方。
私側は情報を求められている方と、私のブログでコメントを頂戴して頂いている方。
その中間に、癌患者のマストとなっておられる癌闘病の根底についてアドバイスができるキノシタさんと、多数の情報を持っておられる眞島さん
キャンセル者分を訂正した当日の座席配列
私も色々な用事や状況がありながらも、自分が納得するまで朝方になろうともお構い無しで、シツコク大目玉さんに確認作業をした。
これが大目玉さんの、私は負けた、というブログの背景ですw
ご対応ありがとうございました。
当初、15名を上限に募集を掛けていたが締め切り日前に到達しそうだった為、事前に店舗に連絡をとって20名迄収容できる部屋をお願いしておいた。


8/23当日
私のブログで私目的の方を募集をしたのだが、当日集まった方は、某会2団体の責任者2名、某テレビ局2名、某出版社1名、と純粋に私に興味がある女性3名。
場所は新宿パークハイアットのジランドールを利用した。
こちらは写真と会話内容の掲載を断られたので写真と詳細は残さない。
もう二度と出版及びテレビ出演の関係で、私に近寄る事が無いだろうwwwwwww
以前に関係を持った、私の時間を無駄にしたがんサポートと、体調不良の中、真摯に対応したにも関わらず都合の良いように編集をした朝日テレビ、人の良心につけ込む身勝手さに嫌気がさしているのです。
事前に殺伐とした雰囲気になる事は伝えていましたが、同席して頂いた女性陣、申し訳御座いませんでしたorz
お土産を頂戴しましてありがとうございました。

その後、大目玉さんの読者会に当日キャンセル者が発生したとの連絡を受けて、すぐに店舗へ連絡を入れて無事にキャンセル処理が終わった。

16:30品川のワイアードカフェ大目玉さんと少し早めに待ち合わせをして、久し振りの再開の挨拶と握手を交わし、経過やゴニョゴニョを話した。
ここで私はカルーアミルクを一杯飲んだ。
目の前で一生懸命ノートと睨めっこをしている可愛らしいお嬢さんに、敢えて写真撮影をお願いして一枚撮って頂いた。
女性に声掛けする事は私の得意分野wwwウハwwww
約9ヶ月ぶりの再開
17時頃だろうか、新潟から参加されたすずさんが早めに着いた、との事で私達の居る場所に来て頂いて合流をした。
御挨拶と雑談を済ませ、お父様の経過等を聞きながら、私ならどうする、という事を伝えさせて頂いた。
娘宛へのお土産ありがとうございました。

17:40頃に会場の響へ移動をした。
お姉様が来ている筈だ、と思っていたが、誰よりも早く到着していたのは、私のブログにコメントを度々くれるMKさんだった!!
コメントと同じ口調で、初めてお会いした気がしなかった。
MKさんの、私への接し方が芸能人のような扱いで恐縮したが、それだけ本気でブログを読んで、コメントを頂く通りの受け方をしてくれているのだろうと思い、心から御礼をさせて頂いた。

本に判子を押したり会話をしたりと、忙しそうな大目玉さんの代わりに、受付に行き参加者をお待ちしていたが、それっぽい人達にお声掛けをするも全てアテが外れる失態ぶり(´Д)
個室に戻り、到着される女性達へ座席案内と着席のエスコートをしながらご挨拶と握手をしていると、手に負えない位に人が集まりだした為、無言で大目玉さんに丸投げをしてその場を放棄したwwwwwww
お姉様・かんなさん・まさるさんはお会いした事があったので入り口で待ち続け、再会できた喜びを伝えてご挨拶とエスコートをした。
相変わらずお二方はお綺麗で、前にお会いした時よりも艶が増していた。
まさるさんは前回お会いした時に、何かやばいのでもキメてんのかな?、というような目をしていたが、今回は晴々としていた印象を受け、後に理由がわかった。
そして、私がある意味で本日の目玉として見ていた新潟の中年男さんが、こちらの不手際で入り口で手間取っていたので、店員からかっさらってご挨拶を済ませて案内をした。

集合時間前には殆どの方が集まり、17:50頃に膵臓癌ブロガーのドンことキノシタさんがキタ━()━!
妻からくれぐれも失礼のないようにと念を押されていた事と、宜しくお伝えください、と言われていたので、脇目もふらずご挨拶をして妻からの言付けを済ませると、やっと君に会えたよ、前回のオフ会にも参加したかったが出張が重なって参加できなかった、といったニュアンスのお言葉を頂戴して、力強い握手をして頂いた。
そして妻から、お会いしたらすぐに写真撮影をして送るように、と命令されていたので写真撮影をお願いして、貴方にならひれ伏す、とまで妻が言っております、とお伝えした。
写真は送り忘れて深夜になってしまった。。。。。。。

そして最後にパンキャンジャパンの眞島さんが到着した。
失礼は百も承知で残すが、第一印象はその辺に居そうな上品な男性だったが、後である意味でどんでん返しを喰らった。

皆が集まり談笑が弾む中、大目玉さんの挨拶から皆様の自己紹介に移り、普段は表に出せない言葉や感情で自己を表現する皆様一人一人の紹介が終わる度に、心から拍手を送らせて頂いた。
全て大目玉さんに丸投げしていた筈なのに、私に回ってきた乾杯の音頭取りΣΣ(дlll)ズガーン!!
大目玉さんの出版を祝して乾杯、とさせて頂いたが、キノシタさんから、そこは奇跡の言葉を含めた方が良いだろう、とツッコミをされて、現実主義なので、とご本人に聞こえる程度のトーンで返す相変わらずの私っぷり\(^o^)

皆様とお話をしていると、まさかの痛み止め(イーフェンバッカル)切れが発生した(´Д)
そして、同時に黄疸の症状らしき物が出始め、少しずつムズムズし始めた。
普段は痛み止めを飲んでおらず、長時間移動・長時間同じ姿勢を取る事を想定した時だけ痛み止めを飲むようにしている。
私は通常一人か私をよく知る少人数の者としか行動をしないので、大人数の場所で雰囲気を乱す事を考えると血の気が引くような感じがした。
店舗が用意した箸も痛みと震えで上手く扱う事ができず、鞄からマイ割り箸投入。

新潟の中年男性へ治療内容についてアドバイスをする時にペンを走らせるも、手先が震えてしまうので力が入ってしまいゴシック体のような子供の字を書く有り様だった。
酒断ちをしていたであろうに、悪魔の誘いをしてしまい申し訳ありませんでした。
心から美味しいという言葉を聞け、最高の表情をされていたので結果オーライです。

その後も何のそので食べ続けた。
少量のアルコールで痛みを緩和しつつ、食べられる時に食べたいと思ったものを食べるのだ、の姿勢を崩さず、これ食べられないからどうぞ、と言われると遠慮無く頂戴してモリモリ食べた。
ただ、この時に私に食事を譲り続けてくれた千葉県さんが、この会に参加表明された時の文章を思い出し気になって仕方がなかった。
看護師経験があるとの事で、私が重要視している想像力についての話題が出来て、看護に携わる者の身勝手さというか、向上心の無さというか、何とも表現のしようのない意見を伺える事ができた。
落ち着いてお話が出来る雰囲気ではなく、突っ込んだ話ができなくてとても残念だったので、この場を借りてアドバイスを、と作成中にメールが来たので後日メールで返信をします。
べた褒めメールありがとうございます、折角なのでコメントに入れてくださいwwwwww

皆様と話していると、キノシタさんが私の右隣に来てくれた。
まさるさんが席を離れようとしたが、折角なので座って聞いていて欲しい、と着席を促してキノシタさんとの会話が始まった。
作成されたアプリの事を聞いたり、お仕事の話を聞いたり(私と密な企業も関連)して、ブログの話に移った。
キノシタさんと私のブログは治療以外の話題について、私は結果的にキノシタさんを追っている事、膵臓癌ブログではなく、癌ブログのマストになる為の必要要素等を話した。
キノシタさんと私のブログスタイルを起承転結の言葉で表現すると、キノシタさんのブログは起転結、私は起承転とするとわかりやすいかもしれない。
最後に、妻がキノシタさんに会いたくてたまらないと言っている事、ひれ伏すとまで言っておりますので、チェロのライブ等を催す予定があればお誘いして頂けないか?、と聞くと、蒲田の小料理屋にでも行こう、と言ってくれた。(後日、妻に伝えた所、何を着て行けばいいのだろう!?、と舞い上がっていましたので、折り合いを見て食事をお願い致しますw)
#キノシタさんはブログへのコメントが無くて寂しそうだった。可愛ゆすwwwwwwwアップロードされた内容に関係のある事でしたら、遠慮なく質問や意見のコメントを送ってみてほしい。私もそれを見て勉強したい。この方は本物のツンデレですw

そして、私のブログを一番ストーキングwをしてくれているであろう、まさるさんと少し話す時間ができた。
まさるさんは結果的に膵炎という形で現在も経過観察をされている。
相変わらずコメント欄と同じように私を武神と表現してくれていたが、私の立場から見れば、リスクを長期間に渡り抱えている方こそ私の武神だと思う、前回と比べて目も血色も活き活きとしているように感じるがどうですか?、と投げかけると、前回のOFF会に参加した事で色々と変化した、ある意味吹っ切れた、あれからお酒も飲むようになった、と嬉しい言葉を頂戴した。
前回は漫喫に泊まったそうですが今回は?、と聞くと、今回も漫喫を予定している、と言われたのでご一緒して良いか、と尋ねたが冗談だと思われたようだった。

入れ替わり立ち替わりで色々な病状を抱えた方とお話をしていると、眞島さんが近くに来ている事に気付いた。
質問があるのですが宜しいですか?、とお声掛けをして、私のような治療をしている者が、医師や医師会がグレーとする部分を公表し、もっと沢山の方に選択肢がある事を知ってほしい、と思っている事について意見を伺った。
白黒なんて無い・全てグレーのようなものだ、ゴニョゴニョと意見を頂き私の中で何かが吹っ切れた。
どんでん返しだったw
年間約38,000人(が、死亡する?)中で情報を発信している人が何人いると思う?(0.35%私調べ)、君のような人が増える方が魅力的だ、というようなニュアンスの意見も頂戴した。
眞島さんがパンキャンに携わった経緯を見ると、私のような者が生まれてくるのも自然の摂理という解釈をした。
後に続かせて頂きます。

この頃から黄疸の症状が明らかになり、上半身を始め顔周りが痒くなりだすと同時に、背中の痛みが激痛に変わり姿勢を保っていられず背中を丸め始めた。
箸で料理と掴む事もままならなくなり、焼き魚を頂戴して別皿に移そうとして何度も落とした(´Д)

この辺りで遠方から来られていた方達が退席を始めた。(開始から2.5h程)

千葉県さんと記念撮影をして出口まで見送りをさせて頂いた。

MKさんと記念撮影をして出口まで見送りをさせて頂いた。
と思ったら、優しそうな御主人と一緒に戻って来られた。
御主人も膵臓癌で手術をした方との事だったが、実際に見て話した感じで、大丈夫な部類の人間違いなし、と思ったw
御主人とも握手をしてその場でお見送りとさせて頂いたが、せっかくなら写真をお願いすれば良かったorz

すずさんが新幹線の時間間近で帰るとの事で記念撮影をして頂いた。

同時に、かんなさん・眞島さん・すずさんと記撮影をして頂いた。

すずさんを出口まで見送って席に戻る途中で、自分の状態を計る為に目の写真を撮ると、白目が黄色くなっていた。黄疸で間違いありません、ありがとうございます。
また芯まで届かない痒みに耐えなければならないのか、と思うとうんざりした。
目は口ほどに物を語ると言うので隠蔽工作w
その流れで、眞島さんキノシタさん大目玉さん・私・ぴんぱるさんの5名で記念撮影をした。(ぶれていて掲載できない(;´Д`))
大目玉さんの立ち姿が新宿の二丁目にいそうな人っぽくて気に入った写真を掲載しておくwwwwwww
大目玉さんが指でハートマークを作っている真意は??
眞島さんとキノシタさんから君は偉い、と言われたが、必然なんだ!、と返せなかったw

席に戻り、話しに夢中で食べられなかった料理を掻き込んだ。
目出度い席なので、敢えて鯛飯をチョイスしたのだ。お米が美味しかった。
そして飲み続けて痛みの緩和を促進する。
場の雰囲気はお開きモードで、残った者で記念撮影をした。
左上から、
新潟の中年男さん、ぴんぱるさん、ねこまたぎさん、キノシタさん、まさるさん
私、かんなさん、capeさん、ムクムクさん、さかなさん
眞島さん、お姉様、大目玉さん、りかさん、smoochymaniaさん
違っているようでしたらご指摘をお願いします(;´Д`)

大目玉さんに二次会の場所を探すように頼まれたので、Google先生から朝方まで営業をしている近場のバーを紹介してもらった。
会費は約3,000円位になりそうだけどOKですか?、と聞いて承認して頂き予約を済ませた。
その後、新潟の中年男性さんを出口まで見送る際に、大目玉さんに目配せをして二人で見送った。
ご自分の納得される治療を手中に収められるように、と深々とお辞儀をして見送りをした。
◯◯君はビジネスマンだね、そんなに俺は腰を曲げられない、と言われたが社畜の賜物です\(^o^)
席に戻り、デザートにがっついていると、そろそろ行くよ、と言われた。
この時にはキノシタさん眞島さんはすでにいなかったorz
和食が美味しかった。


二次会に利用した店は下記。
Bar segredo(バー セグレド)
参加者
ねこまたぎさん・smoochymania さん・かんなさん・りかさん・お姉様・大目玉さん・さかなさん・私・まさるさん
店内が暗かった為、写真撮影は断念した。名前の配列は私から見てソファー奥から私の右まで。

店に着くまで皆様を先導して、空になった一升瓶を持ち歩く。
品川駅前を一升瓶を持って女性陣を先導する怪しい男性。
後ろからは、どんだけw、のようなニュアンスの言葉がw
周りから見れば、タチの悪い酔っぱらいに映っただろうが、記念にボトルシップを作ろうと思っていたのです。二次会が終わると一升瓶が無くなっていたけど(TдT)
お店につくとhdさんっぽい、と後ろから声が聞こえた(;´Д`)
店舗に入ると見たことがある風景で、いつだかベロベロに酔い潰された時に年上の女性に連れ込まれたbarだったorz

barでは並んで二席に別れたが、私側に座った方達の飲み物に迷い、面倒だったので大目玉さんがカードで払うはずと思い、遠慮無くシャンパンのボトルをオーダーさせて頂いたw
女性の力強さを感じながら会話をしていると、痛みがMAX+黄疸の症状で倦怠感が酷くなってしまい、まともに座っていられなくなってきた。女性陣を前にして非常に申し訳ないと思ったが、背中が痛くないように体制を崩して、どこぞの社長張りの態度で会話をした。
お気遣いして頂いた方、すみませんでした。このような背景があったのですが、強がりな私は女性の前で痛いとは言わないのです(‘A`)y-~
途中から、私のバックボーンの話をしたり、命に限りがある者として配偶者にどう接するべきか、等のお話というか私が一方的な質問をするに近い形だった。

さかなさんから、ブログに対して第三者からの批判の声等についてどう思うか?、と問われたが、別に気にしない・同じ立場になれば嫌でもわかるだろうから放置している・同じ土俵に立った時に私と勝負をして勝てる訳が無いと思っています、とお答えをしたが、さかなさんの話し方や姿勢にツボってしまった///
私、女性の年齢や外見はあまり気にしないのですが、声と姿勢にめっぽう弱いのですwwwwwww
真っ直ぐに綺麗な姿勢の女性は勿論の事、会話の際に投げかけをする時、猫のように体を柔らかくしならせて話されるとたまりませんwムハーw

終電時間が近付き、その場で立って皆様のお見送りをした。
姉様に、また近いうちに会うから今日は抱擁をしませんね、と言われて萌えたw
皆様、出口までお見送りができず申し訳ありませんでした。

女性陣で最後まで残ったメンバーは、かんなさんとsmoochymaniaさん、男性陣は大目玉さんとまさるさんと私だった。
ここで衝撃の出来事があった。
smoochymaniaさんの本名の読み方が想定外で、自分の学の無さを痛感したorz
手術後に腫瘍マーカーが上昇した並の衝撃だったw
ここから、私が皆様に人生相談というまさかのターン。
私が話下手でバックボーンを上手く伝える事ができず、結果的には納得する答えが出なかった。
これを題材にして、私のブログでオフ会募集を近々してみたいと思った。
女性陣が帰り、大目玉さんとまさるさんと私の3名になり、自分達が何をしたいのかと話したり、まさるさんが我々を武神と表現をするが、私からすると貴方の方が長期に渡りリスクと戦っている先輩だ、と伝えてまさるさんを讃えたり、私と男として感性が似ていて面白いと感じたりと、気付くと時刻は3時近くになってお開きとなった。
当日、着用していたネクタイはまさるさんにお守りとして差し上げた。
ここまでが大目玉さんの、今日も、私は負けた。東京読者会、初日。というブログの背景。


漫画を読みたい事と、まさるさんに聞きたい事があったので、予定通り漫喫で朝までご一緒させて頂く事にした。
タクシーに乗り込み途中で大目玉さんを見送り、まさるさんが利便性の良い大森に移動をして漫喫に入店をした。
入会手続き等を済ませて、フリードリンクのコンポタージュを持って、まさるさんとソファー席のカップルシートにレッツギョー。
古谷実の漫画で読んでいないものをピックアップして、漫画を読みながら小一時間眠って、6冊を40分程で読破するとまさるさんが目を覚ました。
まさるさんに、娘が親離れをするタイミングはいつですか?、等の質問をして回答を頂き、他は特に喋りもせず、何かの御縁で時間を共有できている事を嬉しく思った。
男は無駄口を叩かない事が一番だw。
始発時間が来たのでチェックアウトの手続きを済ませて、店主らしき人に記念撮影をお願いした。その後、大森駅までまさるさんと歩き、力強い握手をして頂いて見送りをした。


その後、小腹が空いた事もあって、大森の信濃炉に久し振りに足を向けた。
病気がわかってから基本的に酒断ちをしていて、約1年半振りに訪れた店だが、おやじさんは私を覚えていてくれた。
たくさん荷物を抱えて結婚式か何かの帰りかい?、肝臓悪い色してるなー、と言われた。
相変わらずレトルト感満載のカツカレーを頼むと、ビタミンCたくさん取れよ、と酒が殆ど入っていないレモンてんこ盛りのレモンハイをご馳走してくれたw
朝まで飲んでいたであろう駄目な大人達の話に耳を傾け、皆様と撮った写真を眺めながらカツカレーを完食した。
チューハイを頂く前に写真を撮ったので、飲み物の写真は無し

帰宅したのは8時近くだった。
独り言第一声は、握手をし過ぎて掌が痛い、だった。
シャワーを浴びて、一眠りした後に妻の親族の葬儀に参列させて頂いた。
精進落としの料理も感謝の意を込めて完食した。
#同日に娘と死について話をした事、8月中旬から妻と死生観について話した事を後ほどブログにまとめたいと思う。
後日談だが、久し振りにお会いした私の病気を知らない妻の親族から、指先は黒い上に肌は黄色いから病院に連れて行った方がいい、と言われたそうだ(;´Д`)


大目玉さん東京オフ会26日分にも参加させて頂き、その際に23日に日付違いでキャンセルとなったアンリさんともお会いする事ができた。
食事を済ませて、二次会にアンナミラーズを利用したが、私とTさんはケーキを食べた。おじさん二人でシュールw
別れ際に力強い握手をしてくださったTさん、不安で一杯になったであろうKさんを始め、大目玉さん、アンリさん、この度は同席させて頂きありがとうございました。
ホテルまで大目玉さんを送り、また会おうね、本当にありがとう、と言われ、握手をして、またお会いしましょう、とお別れをした。
大目玉さんからは、物事を達成する力強さ、何かに挑戦しようという姿勢、おおらかさ等、たくさんのものを見せて頂き学ぶ事ができた。
こちらこそ、本当にありがとうございました。
これにて、232526大目玉さんと約束をしていた事も全てクリアしてやっと一息がついた。

今回のオフ会を終えて。
癌患者の集いは、ある種の品定めで、自分の状況の方がマシだ、と思う為のものでもあり、結局は闘争心・競争心が根底にあり、あまり良いものと感じていなかった。
しかし今回、23日・26日と出席をして、私の価値観が大きく変わった。
辛い気持ちを共有できるのは、癌患者本人達と、その家族達でしかなく、故にそこに場数を踏んだだけの医師や何とかサポート係員などには、到底達する事ができない意見交換の場となる事がわかった。
病状や立場上、あまり表立つ事はできないけれど、今の病状を抱えている私だからこそ募集ができるオフ会等を開催してみたいと思った。
性格上、ディープな内容で参加者を絞ってしまうと思うが、興味があれば是非参加して頂きたいと思う。
普段は無口に近いので、よく喋ったものだ、と自分でも感心したのが最終的な感想だw
引き出しだけは沢山あるぜ('A`)y-~

8月上旬から発生した黄疸について。
情報を求められている方と真剣にお話したいと思っていた事と、妻の親族の葬儀が控えていた事もあり、翌日にお酒が残らないように気をつけていた。
少し前に花火を見に行ってチューハイを飲んでから特に黄疸の気配を感じていたので、自分なりに自制をして酒を楽しんだが、たまには飲みたいと銘打って募集した今回の件で、酒が飲めなくなった事を実感して、また出来なくなった事が一つ増えた。
大目玉さんとの待ち合わせでカルーアミルクを1杯。
読者会では、おちょこ4杯程と、まさるさんが持参してくれた、朝日酒醸の洗心をコップ1杯位。
二次会では、シャンパン1杯とカルーアミルク2杯を飲んで、後はひたすら水を飲み続けて代謝を考えた。
私の治療への取り組み姿勢や、バックボーン・性格を良く知らない方は、自分と家族の為に酒量も自制できないのか、と思うだろうが、現状の限界値の判断や不具合箇所の早期発見の為の意味合いも含めて自分の状態を計っている。
社会に携わっている男には相手に合わせて酒を嗜め無いと触れる事ができない領域というものもある。
自分を分の悪い場所に置いて問題を解決してきたからこそ、医療従事者には考えつかないような回復をしてきたのだ。
周りから見ればくだらないかもしれないけれど、これが私の美学だ。
このような事を述べているものの、メールで
息子のように心配して頂いた皆様方、本当にありがとうございます。
これで私が酒を飲む姿も見納めとなる事だろう。しかし、カルーアミルクはジュース扱い也。
黄疸の理由は酒・取り置きされていた食材の細菌・ステントを促されていた胆道の詰まり、出ては消えてを繰り返す肝臓の影等、様々な理由が考えられる。
8月に入り、アヘンチンキを服用しなくても良い状態になったのだが、それまで抱えていた胆汁のアンバランス感は解決できておらず、手術後からこの部分は殆ど改善されなかった。
上記のアヘンチンキが不要になった事で、今迄は下痢で強制的に排泄されていた胆汁が体内に留まり、飲食に反応をして黄疸反応が出たり治まったりの日々が続いた。
肌色と症状から閉塞性黄疸と急性肝炎を疑ったが、閉塞性黄疸の症状が持続している。
あと4日、幾ら掻いても芯まで届かない痒みと倦怠感と頭がはっきりしない状況が続くようであれば、入院をして処置したいと思う。
これがクリアできないようであれば、今後の積極的な治療を断念せねばならない。
閉塞性の黄疸であれば、そう遠くないと思っていた最期も現実視せねばならない。
そうでないとしても、化学療法の予定日までに間に合うといいのだが。。


最後に。
私は手術後から、自分の本当にやりたい事をやる、と決めた。
というより、今回の一連で、やっていいんだという事にとうとう気付いてしまった。
ごめんなさい、誰にも私を止められませんwwwwwww
達成できるかわからないけれども、声を上げる事で誰かが意思を引き継いでくれるかもしれない。
皆様にクリックをお願いしている、おとなチャレンジプロジェクト、と題した、知る権利を誇示できる、何かしらの団体をこの世に登場させる事(できれば既存の団体に任せて私は資金集めや、ポジションゲットで終えたい)、私以外にも表面化していない情報を持っている方に声出しをして頂き、生きる為の知る権利をアピールしたいと思う。
8月25日に国立がん研究センターが、がん診療連携拠点病院等院内がん登録全国集計を出したが、私達ブロガーが残すような本当に知りたい軌跡を辿る術は無く、化学療法に対する信頼できるエビデンスや、稀な奏功例を示すだけで明確な対照性データが掲示されていない。
何故、もっと情報を細分化して、患者自身に選択肢を与えないのだろうか。
いずれは開示されていくだろうが、今でしょ、の精神で取り組んで頂けるように動きたいものだ。

その前に、厳しい状況の中でも誰かを助けようと動いている、パンキャンjapan眞島さんを称える行動及び恩返し(恩売り?)から始めたいと思う。
第一弾として、寄付金受付ページのコメントにマーキングコメントを入れて、妻に生活費用に持たせているクレジットカードの今月ゲットしたポイント分(1,300円+1,700円)を寄付した。
他にもブログ伝で寄付者がいるようなら、私のカードのポイントゲット分を寄付してみたいと思う。
少なすぎるって?
リターンがあってこそ投資金額も増えるってものです(´д`)

追い金分






    


私のブログフリークの方で、クレジットカードのポイント分などを寄付しても良い、と思われる方がいらっしゃいましたら、眞島さんを称えるテロ募金をお願いします。 
パンキャンジャパン@寄付についてのページ。
#寄付者に対して税制上の優遇措置がある、認定NPO法人を目指しているようなので、一人辺りの年間寄付額は3,000円以上が望ましそうです。

癌患者であっても、欺瞞に満ちた社会を修正して、正しい道標を作る事ができるはずだ。
病気になると自分に目線が行きがちだが、私は日本国家を構成する一員として、社会貢献をする事で、自分の生のエピローグに花を添えたい。
やりたい事ばかりで達成できるのかわからないけれど、私は思いを達成して形にできるまで挑戦し続けるのみだ。
まー駄目なら駄目で今の時代であれば、きっと波紋のように共鳴して広がるさ('A`)y-~

#
今回のオフ会は、私がブログを始めたからこその皆様との出会いだったと思っております。 
お会いできた皆様から、新しい視点・感情・疑問を吸収できた事を心から感謝致します。
また、娘と私(妻も含め)への多数のお土産を頂戴致しまして、誠にありがとうございました。
皆様にお渡したお守りは、妻と結婚式を挙げる前から参り続けている、赤坂の日枝神社まさる守というものです。
知力、治癒力・運等、何事にも勝るように、との思いで選択して、娘とお祈りをして参りました。
皆様の御健闘と御健勝を心からお祈り致します。
この度はありがとうございました。

賽銭箱左の方に御守が入った袋がある。
娘の祈祷料をいつか徴収に伺いますwwwwwww
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