2013年3月31日日曜日

痛み、食事、睡眠について(01月下旬~3月)

食事
FOLFIRINOXが使えなくなる迄は、空腹感があり何も気にせずに健康時と同等の物を食べていた。
アブラキサンに変更した前後から、空腹感が殆ど無くなった。
食事量は3月に入り減少を始め、今時点では食べると吐きそうになる事がある。
無理に食べようと思わなければ、2-3日は食べずにいられそうだ。
食事制限を少しやってみたが、ストイックにしないと意味が無い上に、排便が順調なら必要が無いと判断した。 
色々と食事を試して来たが、子供に食べさせている物を自分も一緒に食べるのが一番だ。
腹6分目-8分目を維持した。

水分
摂取量は約1.5L-2.0L/1dayを維持している。
酒を飲んでも違和感や痛みは無い。
これだけが今の救いだ。

体重
体重は更に増えて、2月末迄にボトムから15kg戻した。
高カロリーの物を選び続けた結果だ。
食べると体重が増える、当たり前の事が嬉しかった。
3月に入ってから食事量が減り、体重も比例するように減りだした。
直近の血液検査を見ると、中性脂肪が多すぎる位になったので、食事量と体重の減少は気にしていない///

排泄・血(NEW!www
排便は食事毎にあり、少し下痢気味だが、便の色は状態が良い。
排尿は問題なし。
血尿・血便は2月中旬頃から頻度が増えた。
下からの出血はインクのように濃い色で、同じ姿勢を続けている時に限り、最近は膀胱が少し痛むようになってきた。
上からの出血(吐血)は鮮血で薄く、歯磨きや咳などで嘔吐く時に限る。
血液検査の結果は落ち着いているので問題視せず。

睡眠
睡眠は3月半ばまで8-10時間程だった。
娘ちゃんに合わせて22時-8時頃まで寝る事が多かった。
3月半ばから横になると、心臓や肺が苦しくて、2日に1度3時間程しか眠れない。
合わせて背中や肩が鉄板のように張る事があり、これも眠れない理由の一つのようだ。
座ったまま眠る事が増えた。
日中は娘ちゃんが容赦ないので、眠たくなってもタイミングを逃してしまう。
歩きながら眠る(意識が飛んでる?)事があったり、フリーズしたパソコンのように瞬間的に落ちる。

痛みと不快感と薬
2月中旬から食後に軽い痛みを背中に感じるようになった。
他は睡眠の欄に記入。
抗癌剤を始めてから(TS-1辺り)から徐々に物忘れをするようになり、今では直近で話していた事もわからず、話が噛み合わない事が気持ち悪い。クリアしようとして僅かに残る記憶を辿るが、情報がバラバラになり過ぎていて意味がわからず不愉快になる事が多い。重要な事は携帯のスケジュールに入れているので忘れる事はない。最初は人の話を聞いていないだけかと思っていたww
薬はゼローダ・セロトーン・デパス以外は服用しなかった。
止血剤は検討したが、抗癌剤と治療を天秤にかけて、限界まで頼らない事にした。

新しい問題点
血圧・心拍が安定しない日が続く。
少しの温度差で心臓がギュッとなり、体温調整もうまくできず、暑いのか寒いのか全くわからない。
1月から新メンバーになった4コンボ(肝臓付近が晴れたような痛み・背中の張り・肩こり・腹痛)が地味に辛い。周期は不定だが、理由は当たりがつき、ある程度は制御ができるようになった。
3月中旬から呼吸が困難になり、溺れるような状態に陥る事が多々あった。
呼吸は浅く早い事が多く、深く吸い込むとゴボゴボと音がする。
手術が決まってからは気が抜けたのか、足腰が一気に弱ってきた。
生まれたてのバンビのようにガクガク震えたり、腰が抜けたように座り込む事が増えた。
他に問題視している部分は、睡眠と吐血の欄に記入。
他にも細かい事は色々とあるが、思い出すだけでうんざりする上に、家族に言っていない事もあるので省略する。
抗癌剤由来のものが多いような気がするが、調べた結果と医者と話す限り(ストレートには言わないがw)は間もなく棺桶行きのようだ。
ただ、良いも悪くもメリハリがあり、娘ちゃんの対応で精一杯なので、あまり気にしていない。
抗癌剤優先の結果だと思う。

前回の問題点
1月上旬に感じた痛みは慢性的な物になった。
初期は回復に7日程かかったが、今では2日程で回復するようになった。

娘ちゃん
どこに行っても可愛い、お父さんそっくりね、と声を掛けられる///////
彼女の行動はできるだけ止める事をせず、上手にできれば拍手しながら上手にできたね、と褒めちぎって反復練習をさせ、失敗や格好悪い事をしても笑顔で頑張ろうね、と接し続けた賜物だ。
おかげで物覚えがよく、同い年の子に比べると成長がかなり早いようだ。
凄いねー、と褒めた時の、控えめなドヤ顔と笑顔が可愛いすぎる。
色々な素振りができるようになった。3月半ばからチュッやハーイやワンワン等の声も出るようになり、昨日はアチチも言えるようになった。
いないいないばあっ!の踊りも一通り踊れるようになった。
時計や果物等のいつも目にしている物は、絵や玩具を見せながら名前を教えると、時計は?と言えば時計を指さしたり、果物を置いている場所に連れて行ったりする。
一番最初に覚えた言葉は、チュッだった。私の事をお父さんやパパと呼ぶ人はいないので、何て呼ぶのか楽しみだ。妻の事はゴッド(神)と呼ぶように教え込んでいるww
2月頃からは1日の4/5は意思の疎通ができるようになり、今では◯◯を持ってきて、あそこに持っていって、と言えば、名称を理解している物なら言う通りに行動してくれる。
私が汲み取れない事でも、手を掴んで目的の場所に引っ張って言って指示をしたり、指差しで伝えてくれる。
足を轢かれてからルンバが怖くなったようで、私の腕を持って電源ボタンを入れようとする。これは自分が経験した事のない物に触れる時や、使い方を知りたい時にも同じ行動をする。私は彼女専用のダヴィンチのようだ。
この手を引っ張る行動は一日中で、私が辛くて横になっていても、眠れない毎日を過ごしていても容赦無しだ。
居酒屋の店員のように、はいっ!喜んでっ!!、と対応する私が悪いのだろうがw
しかし、この行動が私がくたばりそうになっても、力を振り絞る事ができる原動力になっているのは間違いない。
2月15日から念願のお散歩デートができるようになった。
試しに靴を履かせてマンションの屋上を歩かせてから2週間程は、玄関から自分の靴を持ってきたり、私の手を引っ張って外へ行こうとせがんできた。とことん歩かせて疲れさせる戦法をとってからは、外に行きたけど抱っこでいい、という感じになった。
歩き始めたばかりの時はバランスが安定していなくて、見ているこちらがハラハラして手を差し出したり掴んでも、段差や不安要素が無いと手を繋いでくれなかった。
一人で歩けるから放っておいてくれ!!、と手を振り払われた(;´Д`)
エイ!エイ!と手を上下に振りながら、ずんずん歩いて行く後ろ姿を見て、成長を嬉しく思うと同時に、彼女が人生を歩き始めた事を感じて、頑張れとしか言えない無力な自分を寂しく思った。

イケイケドンドン!!!エイ!エイ!
後ろ姿(T_T)立派になった!!外歩き2回めの写真。二人で歩いた一回目の外出は私だけの思い出。

3人だと自分から手を繋ごうと手を出してくる。
CM等でよく見る光景で、ハイハイご馳走様、という感じだったが、子供がやりたがる事を体験して初めて知った。

体調不良なので手抜きw 義母様再登場!!

歩き始めると同時に人見知りを始め、外で知らない人に話しかけられたり、1-2歳上の子が近くにいると、下や反対を向いて固まるようになった。特に男性が苦手のようだ。
このような状態の時の表情は明らかに不安を示すもので、私が大丈夫だよ、と手を差し出すと指をギュッと握る。
世の中そんなに悪い人ばかりじゃない。自信を持って笑顔でいればいい。
一日中歌って踊っている、ノリの良い強い君ならきっと大丈夫だから、誰とでもすぐに仲良しになれるよ。
離れ離れになるのはとても悲しいけれど、手術が終わったらたくさん遊ぼう(*´∀`)

The 2 Bears - Be Strong (娘ちゃんがドライブ中に見ているお気に入りの曲)


あとがき
心身ともに優れなかった事、事実が家族にバレると面倒だった事、娘ちゃんとの時間を大切にしたかった事等が理由で更新ができなかった。
やり始めた事が継続できないイライラ感が半端無かった(;´Д`)
やっと次のステージに進めそうだ。
馬鹿らしい話だが、同じ病なら誰もが欲しがるチャンスを、体の状態が悪いながらも、早い段階で手に入れた事を幸運に思う。
手術が決まる少し前から急激に体調を崩し始め、棺桶に両足を突っ込みながらも、手だけは万歳をして諦めずに這いつくばってでも出てやる、というのが現状だろうか。
その反面で、使える薬が無くなり、体調不良でも手が出せない状況もあって、死が目前に迫っている事を少しずつ現実視し始めた。
死んでもいいように準備が整え終わりそうな今、手術が無事に終わっても、自分の心境が良い方向に変化するのか疑問が残る。
余命を宣告された方のブログを見て感じていた事だが、どこか諦めていたり、社会復帰する事が怖かったりと、支援してくれている方々には申し訳ないが、私も例に漏れず同じような心境だ。
病気が発覚して治療を続ける中で、諦めてしまいたい時や、辛くてこのまま死んでしまいたいと思った事もあった。
生き続けようと漠然とした目標は持たず、目標をステージ化して細分化させて達成していく事でモチベーションを保ち、目標達成をゲームのようにする事で楽しみへと変化させた。一人バトルロワイアル状態だ。

我慢しないで不調を言え、と言われるけど、いくら考えてもそんな事はできない。
喉仏まで出てきても、飲み込める言葉なら出さないのが男だ。
それに、私のせいで泣くような事があったら、誰がカバーしてくれるんだ('A`)y-~
どんな関係性にせよ、死なないで、と何人もの女性に泣かれる事が、病気になって一番こたえた。MMKだぜ┐(´д`)┌
手術が無事に終わったら真面目に生きようw

後は野となれ山となれだ。自分の体と外科医を信じて祈るしかない。
やっと体の中がどうなっているかを知る事ができる。
転移があろうが、手術ができなかろうが、何でも受け入れる準備はできている。
あと少しだから頑張ろう。
エイ!エイ!

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2013年3月28日木曜日

入院しろと電話がかかってきた / 大腸セーフ!!!

3/27
13:30
お昼寝しそうな娘ちゃんを抱っこしていると、29日金曜日に入院するように病院の事務員から連絡があった。
金曜日に外来予約が入っている事、医師から詳細を説明されていない事、入院が何故早まるのか理由が不明な事、4月半ばと言われていたので合わせて予定を立てている事、最短でも第一週の4日木曜日か5日金曜日を希望すると言うと、確認をとって折り返すと言われた。
何故すぐに入院しないんだ、予定があるから仕方がない、人の言う事を聞かないから病気になったのに!!、四の五の言うな外科医から連絡があるまで待て、と妻と押し問答をして揉める。


14:10
担当医ではない外科医から電話がかかってきた。
お体が大変の中で予定を立てていらっしゃるだろうに混乱させるような連絡になってしまい申し訳ない、担当医が手術中の為に代理で電話した、いつなら大丈夫ですか?と聞かれた。
そちらの都合もあるでしょうからできる限り合わせたいと思いますが、3日水曜日迄はどうしても動けない、と答えた。
担当の医師から折り返させますが、5日入院で80%決定という事でお願いします、担当医から電話をさせます、と言われた。
恐縮してしまう程に丁寧な方だった。

15:30
病院の事務員から電話がかかってきた。
先程は申し訳ありませんでした、外科医と連絡を取っていますので暫くお待ち下さい、と言われる。
担当医ではない方から連絡があり話した内容を伝えると、連携がうまくとれてなくてすみません、と言われた。

16:30
担当の外科医から電話がかかってきた。
バタバタしてしまい申し訳なかった、と謝罪された。
こちらこそ前回にしっかり確認すべきでした、お手数をお掛けして申し訳ない、と返事をした。
入院日は5日金曜日、手術は8日月曜日に決定します、本来は術前検査の確認を一緒に行うのですが、大変でしょうから電話で済ませますね、と言われた。
肺転移は多分無し。
大腸の生検は問題無し。
CT(膵臓)の陰影は若干の縮小を認めるが、問題箇所は殆ど変化が無い。
胃カメラ検査は、あれ?やってない?何で?、と言われた。
大腸検査を予約したのは私でした?、と聞かれた。
全部◯◯さんでしたよ、何で?って言われてもwwwwwwww、と答える。
直近でどこかで検査した?と聞かれ、前回の生検以降はしていない、と答えると、パソコンから予約がとれないから折り返すします、と言われた。

#
◯◯先生が適当な感じだけど大丈夫かなww、と妻に言うと、最初の説明を受けた時の印象はしっかりした人だった、と言われる。

16:45
1日月曜日に予約が取れたから検査に来て、合わせて入院手続きをしてください、と言われた。
前日の夕食は消化の良い物を食べて、21時以降は何も口にいれないでください、外来に伝えておくので同意書を10分前に取りに来てください、と言われた。
◯◯さんとは入院までお会いしないのなら質問があるのですがいいですか?
問題の血管は肝臓への動脈で合っていますか?yes
CTの変化が無いのに手術をする理由は?の問いに、腫瘍マーカーが下がっている事から腫瘍自体は薄くなり血管を避けていると想定している、◯◯さんが70歳なら多分しない、若いから何とかなると思っている、何より使える薬が無くなっていて頑張ってきた人に何て言えばいい?、と言われた。
腫瘍マーカーが下がった事が根拠になったと解釈していいか?、の問いに、まぁそういう事ですね、と言われた。
文字にするとしっかり対応してくれているような感じになるが、終始かなりあやふやな感じの会話だったw
術後で疲れていたのかなw

3/28
9:30
病院の事務員から電話があり、担当の◯◯から21時以降何も口にいれるな、と言われたと思いますが、20時以降は水やお茶は飲んでも大丈夫です、入院予約も胃カメラの前に予約を入れていますが、17時まで受付をしているので体調を見て好きな時間に訪ねてください、と言われた。

もうこれで電話はかかってこないだろう。
後は残務を済ませて入院の準備をして、娘ちゃんと甘い時間を過ごすだけだ。
治療スケジュールより1ヶ月前倒しで手術ができる事になった。
切ってくれる医者を探せばいるだろうが、経験値が多くてリスクマネジメントができる病院で手術をしたかった。
これで第四目標が達成できそうだ。
担当医に自分と同じにおいを感じて一抹の不安を覚えたが、この手の事は慎重な人より少し適当な位の人の方が良い。
いいよいいよどんどん切っちゃおうぜwwの精神で挑んで欲しい。

抗癌剤を3月一杯頑張って、がん研で手術が無理なら他の病院を探そうと考えていた。
その半面、駄目なものは駄目でそれには理由があり、無謀な事をしてリスクを高める事はしたくない思いもあった。
そんな葛藤の日々もやっと終わりだ。
体は以前に比べると死体のような色になってきていて、使える薬も間もなく無くなる。
吐血やら硬直やら他にも色々と問題を抱えているが、手術をしてどう変化するのか楽しみだ。
手術まで体調維持できる事を願う。
あと少し!!の時に、男ならグッと我慢しないといけない時があるのは男ならわかると思うがw、へたれな自分がどこまで耐えられるか少し心配だ。
宇多田ヒカルのBLUEの歌詞にある、ワザよりもハートでの精神で、頑張れ自分!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

#ブログを見てくれている方へ
応援クリック、コメント、心より感謝します。
暇があれば読み返して励まされています。
月末にまとめを更新して、それ以降に余裕ができ次第、返信をしたいと思っています。
今は娘ちゃんとの時間が大切なので許しくてださい\(^o^)/
お礼??に少し私のバックボーンを知らせたいと思います。
文章が下手で、私が妻を思いやる優しい男だと勘違いされそうですが、あーだこうだ言われるのが面倒だから言わないだけのような気がしますw体調が悪い時に外野から責められるのは、抗癌剤よりパンチ力があります。
ぶっちゃけると、悪い意味ではなく、痛がったり辛そうな姿を見たくない、と言われた事があり、それが大きな原動力(原因w)なんですけどね('A`)y-~
それもそうだな、と思い、体調を聞かれても調子良いよ!!と答え続け、ノラリクラリとかわしてきましたが、吐血がバレて以来は嘘つき扱いですw
あなたはいつも私に何も言わない、と言われて、不安にさせていた事は深く反省しています。
(女房は黙って後ろをついてきて、男はゴタゴタ言わず必要な時だけビシっときめればいいんだwwwww本音wwwww)
その代わりに上司には心境以外は全て報告をしているので、誰かが自分の事を把握してくれている事が支えになっています。
色々と取材依頼を頂いていて体調不良を理由に今はお断りさせて頂いておりますが、薬で頭がボケている私より上司に聞いたほうが的確だと思う程です。
弱音は娘ちゃんにしか吐きません。辛いよ、と言うとたまに(殆ど無視w)ポンポンしてくれます。
これがとてもいい覚醒剤になりますw
by不器用なツンデレ

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2013年3月27日水曜日

イケイケ医師の診察 / 寄り道 / 不調がバレた

3/26
車のバッテリーが上がってしまい、久しぶりに自転車(マッサージに行く為に買った)で移動をした。

桜を見ながら病院に向かう。
調子はどう?の挨拶で診察が始まった。
手術ができるようになった事を伝えると、マジで!?と言われたww
何で可能になったの?と聞かれたが、外科医のお情けだと思う、と答えた。
どれくらい入院するの?と聞かれ、1-2ヶ月と言われている、と答えると、大きな手術になるのか、具体的に何をする?と聞かれ、がん研の外科医に言われた事を伝える。
術後のケアをこちらでお願いしたいけど頼めるか?、と聞くと、大歓迎するよ、と言ってくれた。
次回の診察は6月に入れとくから、適当に電話して変更してくれ、と言われて診察が終わった。
退室しようとすると、娘さんと奥さんはどう?と聞かれた。
娘はとても元気ですが、妻は(省略)と答えると、大変だろうけど頑張って、と言われた。

そのまま会社に向かうが途中で何度も休んだ。
息が続かず、咳き込むと吐血した。
健康だと20分程の距離だが、1時間近くかけて移動して12時頃に到着した。
道中の桜が綺麗すぎて、何だかわからないけど少し涙が出た。
前日に言われた問題点を解決して、皆に伝えたい事、先輩に伝えたい事、今後の戦略、自分が思う事等の資料を作っているとお腹が痛くなり、トイレに行くと結構な量の下血をした。
病院に行こうかと思ったが、自力で帰れそうにないので、その後も色々と用事をこなして見なかった事にする。
上司と話していると来客があった。
私が今の業界に入って接してきた中で一番印象に残っているお偉いさんだ。
この人だけには歯向かえず、バッタより上手にヘコヘコしてしまうw
私服で申し訳ない、と断りを入れて同席させてもらった。
病気が発覚する前から狙っていた、喉から手が出るほどに欲しい案件を持ってきてくれた。
見送りをする時に、今迄で一番良い薬になりました!!と言うと、皆が笑っていた。
術後で参戦できなく非常に残念だが、上司筆頭に何とかゲットして欲しい。
一番の古株が帰社して、オー元気か?電池がいらない玩具(娘)の調子はどうだ?と言われたw
18:30に戻る人を待ち、自宅に送ってもらった。
お礼に唐揚げ専門店に立ち寄って、唐揚げとたけのこ弁当をプレゼントした。
手術できるようになったよ、と言うと、OO君なら大丈夫と言ったでしょ、と言われた。
安いお世辞で相変わらずですねぇwww、と答えてお別れをした。

帰宅すると娘ちゃんに笑顔で出迎えられ、荷物を置いて病院に行こうと思っていた事を忘れてしまった。
湯船に浸かっていると吐血をして、気管に入りむせてしまった。
あまりにも咳き込むので心配して風呂を覗かれた。
体が硬直してしまい、シャワーに手が伸びず流せなかったorz
飛び散った血や床に溜まった血を見て、震えた声で大丈夫?病院に行こう?と言われた。
絵本タイムを投げ出された娘ちゃんが遠くで泣いている声が聞こえた。
3日に1回は吐血してるし、いつもの半分も吐いていないから大丈夫だから娘ちゃんを一人にしないで、と戻ってもらう。
風呂から出ると質問責め(;´Д`)めんどくせー。

できるだけ普通に動いて体調不良の姿を見せず、娘ちゃんとも力一杯遊んで、リアルタイムで不調を訴えないように気をつけていたが、あと少しだったのに一番バレたくない者に色々とバレてしまった。タイミングが悪いぜ。。
1月から2週間毎の更新を止めていた理由だが、心身ともに不調で、娘ちゃんの相手で精一杯だった事もあるが、ブログを身近な人が見ている事が理由の一つ。
やり始めた事だから継続したかったのだが、心配させない為には虚構せねばならなくなる。娘や後続者に嘘を残したくなかったので更新を休止した。
周りからは異常で大変そうに映るだろうが、私の視点からはごく当たり前の日常だ。
もう少しで楽になれると信じて、頑張って生きているから静かに見守っていてほしい。

何だかオセンチな感じになってしまった。
女性に泣かれるのがこの世で一番苦手だ。人殺しでもしてしまったような罪悪感に見舞われる。
女性の不安そうな表情も苦手だ。まして自分が理由だなんて、情けなくて自分を張り倒したくなる。
病気に詳しくない人達が、君なら大丈夫と言ってくれているからきっと大丈夫wwwwwwwww
ここまでよく隠し通したと自分でも感心しているが、適当な性格で良かったと心底思う。
デパスを飲んで寝るか('A`)y-~

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2013年3月25日月曜日

入院前検査 / 大腸に問題有り?? + 寄り道

3/24
入院前の検査の為に検査食を食べる。
朝 おじや R-1ヨーグルト
昼 スープカレーとおかゆ
夜 鶏そぼろの煮込みとおかゆ
味が薄い
他に口に入れたものはチョコレートのみ。
ヨーグルトは駄目と注意書きに書いてあったorz
注意書きを読んだ家族から適当な事をするなと怒られた。。。

当日
大腸内視鏡検査をする為に受付をして服用している薬を伝える。
同意書の中にある鎮静剤を使いますか?の問いにチェックし忘れている事を指摘された。
担当医は男性ですよね?の私の問いにYES。即チェックマーク。
男にほじられて喜ぶ趣味はないぜ('A`)y-~
排便確認の為のトイレの使い方の説明を受けて、準備室でマグコロールを300cc毎を1時間かけて飲むように言われる。


ポカリスエットのような味がした

同じように検査する他の方達と看護師が何の病気で今日来た等と話しているのを聞きながらノートパソコンを触っていると、あなたは?と20歳位上のお姉様に話をふられた。膵臓癌です、と言うと横にいた看護師の表情が固まり、質問者や他のお姉様達から若いのに可哀想ねぇと言われ、根掘り葉掘り色々と聞かれた。最初は指示だけされて放置プレイされていたが、ここから看護師がやけに気を遣ってくれだしたw

2回目の排泄が終わると肺活量の検査に来い、とPHSが鳴ったので移動した。
身長・体重を測定して、普段通りの呼吸と大きく吸い込んで一気に吐くの2種類の検査をします、と説明を受けた。
身長は前回より3cm縮んでいた!?
普段通りの呼吸の測定をする為にパイプを咥えて指示通りに呼吸をする。
普通の人の半分位しか呼吸ができていないようだ。
息を一気に吐く測定は、吐いた瞬間に目の前が真っ暗になって失神しそうになった。

準備室に戻り6回目の排泄が終わり看護師に便の状態を確認してもらう///
何回目?と聞かれて6回です、と答えるとあと2回頑張ってください、と言われた。
この時点で最初に出された1800ccは飲みきっていたのでおかわりをもらう。

おかわりを飲んでいる時に造影CTを撮りに来い、とPHSが鳴った。
受付をして待合で相席した同年代のお兄さんに何癌ですか?と聞かれた。
膵臓癌ですと答えると、私は肺癌ですと教えてくれた。
順番が来たので互いに励まし合い更衣室に移動して、着替えて狭い場所で待っているとすぐに呼ばれた。
造影剤を入れた瞬間に吐きそうになるが無事に終了した。

準備室に戻り9回目の排泄でOKを貰うが、9人待ちなのでPHSが鳴るまで好きにしてください、と言われた。
準備室を出ると担当してくれている内科医が歩いてくるのが見えた。
向こうも気付いたようで手を上げて挨拶をしてくれた。
今日は何で来たの?と聞かれ、手術前の検査ですと答えると、また上(入院用の病棟)で会いましょう!!と笑顔で言われ、ありがとうございます、とお礼を言った。

30分程でPHSが鳴ったので準備室に戻り更衣室に案内される。
着替えが終わり外に出ると、あら可愛いwと看護師に言われた(*_*)
10分程待っていると担当してくれる補助の若い女性が挨拶にきた。
可愛いお姉さんで恥ずかしいなあ///と思いながら説明を聞く。
検査室に入り自分の名前を伝えて、宜しくお願いします、優しくしてください、と言うと笑われたw
鎮静剤の説明を受けて針を刺す。
前回の生検と同じ薬と説明されたが、本当に効いているのか??と思う感じだ。
女性の補助者に体を抱かれて動かされたり・・・/////////////
初めて男性にアナルを//////////ア゛ーーーーー!!!指とは違う!!!
モニターを見ていると黒い塊と粒が数個見えた。
あー。。。生検しようという声が聞こえた。
他は特に問題なく綺麗な状態だった。
カメラを取り出す時に少し回転させますね、と言われてグリグリされると良い感じの部分があった/////
健康になったら楽しもうwwww
30分の休憩をして血圧を測り着替えた。

会社に立ち寄るとLINEを見て来たの?と上司に言われた。
携帯は電池が切れている、病院帰りなので寄りましたと伝えると、経理のPCに不具合があるとの事で翌日に対応すると伝えて、うどんを食べて買い物をして帰宅した。

帰宅すると娘ちゃんが新しい玩具(プラスチックの包丁でトマトと人参を切る物)で遊んでいた。
お腹が痛いけど頑張って付き合う。三ツ星レストランで働ける程の包丁さばきだw
トイレに行くと血便が出た。
ブログを打ってデパスを2錠飲んで早めに就寝。

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2013年3月24日日曜日

3回目の FOLFIRI(もどき) + アブラキサン / 一旦休止

3/13
電話で体調不良を伝えて3/18に延期した。
3/18
発熱しているので血液検査をして3/22に延期した。
手術可能になった事を伝えると喜んでくれた。(家族以上の喜びw)
3/22
体調不良を電話で伝えて翌週に延期してもらおうと思ったが、今日か明日には来たほうが良いと言われ翌日に延期した。
3/23
せっかく用意して頂いていたのにキャンセルが度重なった事を詫びた。
今後の方針について相談しようと思ったが、取り敢えず手術が終わって落ち着いてから連絡する事になった。
今迄のお礼を言うと、何を言っている?自分で得た結果でしょう、手術頑張ってくださいね、と言われて診察が終わった。
点滴室に移動すると看護師からおめでとうございます、と言われた。
点滴は何事もなく終わったが、イリノテカンを入れている時に異常に汗が出た事が気になった。今後の課題になりそうだ。
この病院のムードメーカーと言える看護師から、3月いっぱいで退職する事を伝えられ、いつも面白い話をして頂きありがとうございました、○○さんの今後は他の看護師から聞き続けますから頑張ってください!!!と言われた。
他の看護師からも会えなくなるのが淋しいけど頑張って!と応援して頂いた。
(私もお姉さん達を眺めるのが楽しみだったので残念wwwww)
1ヶ月近く空いた割にマーカー値は落ち着いていた。
今回は手術前なのでアバスチンと毎日服用するゼローダは無し。

抗癌剤による変化
痛み
アブラキサンの副作用と思われるが、下半身の関節や筋肉が地味に痛く、一度横になると立ち上がるのが辛い。
娘ちゃんはそんな事おかまいなしだorz
末梢神経障害
殆ど気になるものはなくなったが0にならないのはアブラキサン由来なのだろうか。
FOFIRINOXに比べると何ら問題は無い範囲まで落ち着いている。
排便
軟便や下痢が多い。
少し消化に負担をかかるものを食べると良い便が出る。
吐き気
オキサリプラチンが主だった理由と思っていたが違うようだ。
抗癌剤投与が終わって一服しながらQooのアップル味を一気飲みして盛大に吐いた。
朝から食事をとっていたなかったので馴染みの店に麺類を食べに入ったが、気持ちが悪くて1/3も食べる事ができず、店員からは味が合いませんでしたか、作り直しましょうか?と言われた。会計を終わらせて車に乗ろうと思った瞬間に吐いた。
オキサリプラチンの時よりは楽と感じる程度だ。翌日も吐き気が抜けず、吐き気止めを飲んでも妊婦さんのように一日中嘔吐く。
脱毛
今回こそは髪の毛が抜けていくと覚悟していたが、髪の毛が多すぎるのか見た目に全く変化がない。
365日中350日は髪の毛をジェルで後ろにまとめているが、ジェルの量が今迄より少し減ったかなと感じる程度だ。
元から頭と下の息子さんの毛以外は薄く、腕と足は女性のようにツルツルだが、血流が悪くなる部分の毛が殆ど無くなっているように感じる。
立ちくらみ=骨髄抑制
以前に比べると症状は緩やかだが倒れこむ事が度々あった。
FOLFIRINOX時に比べると可愛いものだ。

あとがき
やっと抗癌剤から一時離れる事ができる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
もう体も心もボロボロだorz
たまに自宅に帰れなくなる程の物忘れの激しさが休薬中に回復してくれる事を願う。
開腹して浸潤や転移がどの程度か確認しないと何とも言えないが、がん研で手術をしてそのままTS-1、退院してFOLFIRI+アバスチンを予定している。マーカー値が基準値内に入った今、何を見て有効性を判断するかを考えないといけない。1ヶ月に1度FOLFIRI(ゼローダを10日から20日に変更)+アバスチン程度で良さそうな気がする。
時間はたくさんあるだろうからゆっくり考えよう。

#(下記はリコメが終わり、次回のまとめ更新時に削除します)
たくさんのコメントをありがとうございました!!
返信が遅くなってしまいごめんなさい。
おめでとう、と言われても素直に喜べないツンデレな私ですが、面と向かって褒めてくれる人が少ないので皆様のコメントや応援クリックがとても嬉しかったです。
今週に入ってから落ち着いてきましたが、1月末頃から急激に体調を崩してしまい、呼吸が満足にできなかったり、脈が安定しなかったり、体温調整がうまくできなかったり、突発的に体が硬直したりと色々な問題を抱えています。
マーカー値が高値時に感じていた辛さの方がマシと感じる日々を過ごしています。
素人目に見ても抗癌剤が何らかの理由で使えなくなれば、あっという間にあの世行きになりそうな所で手術ができる事になった次第です。
頑張りますす。

2ch-膵臓癌2>>477
総肝動脈と記憶していますが、体調が悪い時に説明を一人で受けてメモ書きをしていたので何が書いているのかさっぱり読めませんw
残念ながらステージダウンでは無く、腫瘍マーカーが下がっている今なら少しでもリスクが低いと判断したからではないでしょうか。
開腹しても無理そうならすぐに閉じます、と言われているので外科医のお情けだと思います。大人の事情もあると思いますがw
手術不可と言われてもマーカー値を下げる努力をして後ろ盾を作れば手術ができる例にはなるかもしれませんね。
これらについては29日に外科医に再度確認してみます。
2ch-ガン闘病ブログ28>>265
他にもレスくれた方ありがとうございました!頑張ります。











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2013年3月20日水曜日

内科診察 + 外科診察 / 方向性確定 / 腫瘍マーカー先月比5%減 桜咲ク

3/12 内科
マーカー値は僅かに下がった。
変更した抗がん剤は有効と考えていいのかもしれないが、がん研の担当医としてはNGと受け止めているようだ。
他の項目は特に異常は無し。
体調について質疑応答があり、マーカーのチャートを見ながら、この辺りで次のステップに移らないと厳しいね、これ以上の治療効果は望めないだろうから放射線を検討する前に外科医の意見を聞いてみよう、と言われ診察が終わった。

3/15 外科
挨拶の後に現状を聞かれて本題に入った。
希望が持てる抗がん剤治療が終わったと内科医から聞いて、外科医のチームで再度カンファレンスを行った結果、手術にチャレンジしてみようという事になりましたが如何でしょうか?と、尋ねられた。
聞いた瞬間にニヤっと笑い、お願いします、と即答した。
ご自分で調べているだろうから今日は詳しい説明を控えるが、若いから膵液がたくさん漏れて退院が遅れる可能性がある事を懸念している事、開腹しても切除できない可能性がある事、膵臓を約半分~2/3を切除する事、腎臓を1つ摘出する事、胃と脾臓は多分全摘になる事、体調によるが手術は4月半ばを予定している事を言われた。
体調が悪そうだが手術日まで耐えられるか?と、質問された。
多分大丈夫、先が見えただけで大違いだ、と答えて診察が終わった。
尿検査・血液検査・胸部レントゲン・心電図などの検査をした。

やっとこの日を迎える事ができた。
いつだかの記事で膵臓癌を難解だけど解除できるかもしれない時限爆弾と比喩したが、結果はギリギリの滑り込みセーフで解除できそうな感じだ。
CTに変化が無い状態で少し残念だが、CA19-9等のマーカー値を下げて事実を作った事が大きな一歩になり第三目標を達成できた。
手術をして満足な結果が望めるかは不透明だが、現状の突発的な不調や、抗がん剤の組み合わせを考える事から離れられ、娘ちゃんとの時間が増えるのならなんでも来いだ。
自分と妻の入院が重なってしまうのが気掛かりだ。
これからが勝負!!

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今年も大好きな桜を見る事ができた!!