2013年4月10日水曜日

トラトラトラ ワレ奇襲ニ成功セリ

皆様、応援ありがとうございました!
超元気です!


4/12追記
コメントありがとうございます。
腹筋が痛くてパソコンに触れなかったので、皆様に頂いたコメントを読み返しては、大目玉さんに言われた妄想を看護師相手に繰り返していますwwwwwwwww

膵臓半分と副腎以外は残してくれているそうで、肝臓の動脈を剥いたところ浸潤が見られたそうです。
よって、術後の化学療法が必要と判断されています。
術後の経過は、この手の手術の割りには良い評価をもらっています。
情報が定かではないので、後にここ数日の事をまとめてうpしたいと思います。

術後は痛いとコメントを頂いて、どんなものか少しびびっていましたが、ベクトルが違うもののca19-9が高値にあった時の方が遥かに辛かったように思います。
今は眠り姫のように一日中眠り続け、1日に数回歩いています。
昨夜まで三食ジュースだったのですが、今日から3分粥が始まります。
傷口はキャプテンハーロックのようなものを想像していましたが、かなり綺麗で少し残念ですww
呼吸と睡眠が普通にできる事に感無量です。

手術中に夢を見ることはなく、起きた時の第一声は結果はどうだ?、でした。
つまらなくて残念!!!!!!!!!!!!


4/18追記
13日時点は調子が良かったのですが、14日から少しずつ下降を始め、昨日17日に様々な合併症の症状が出て来ています。
私の所見ですが遠慮せずに痛み止め(麻薬)を使っていた事が引き金になっているようです。
4月中に帰ろうと、余裕をかましていたのに(;´Д`)
15日抜いた膵液用のドレン後が悪さをしているようで、点滴で抗生物質を入れ続けているが、これの効果がなければ再手術の模様。
今の段階で辛いのは発熱と腹の張りで、明日は少し腹水を抜くかも?
頑張るぜー( ´ー`)y-~~


4/19追記
夜中から呼吸が苦しくなり、肝臓が圧迫される違和感で目が覚めた。
ナースコールを押して事情を説明すると、夜勤の医師が呼ばれて問診をされた。
とりあえず痛み止めを入れておきましょう、と言わたが、そのまま眠ることができず激痛に変化した。
痛苦しくて横になる事ができず、座った状態なら何とか呼吸が出来る状態だった。
ただ、座ると液体が下に流れるようなイメージで体中がしみた。
朝まで何とかしのいで、ベッドに座ったまま病院内を移動してエコー検査と造影CTを撮った。
胃が相当腫れているようで、予防策?を兼ねて、鼻から胃へ管を入れて、中身を出すことになった。鼻の奥が狭いようでチューブを入れる際に痛い!!!と声が出た。
胃の裏に膿が溜まっている事が原因では?との所見で、膿の掃除を兼ねて開腹する事になった。
そんな簡単な問題ではなさそうなんだけどな。。
15時頃から手術室に移動するようだ。
解決する事を願う(T_T)
追記
1530から1830で手術は無事に終わった。体がどんどん魔改造されていくw


4/20追記
ドレンを早く抜きすぎたか、ドレンとは別のところから膵液漏れしたことが原因のようだ。
それにプラスして横になっている時間が長かった事が事態悪化の手助けをしてしまったと思われる。
胃の裏を中心に5リットルの水で洗浄したと説明された。
肝臓の痛みは膿と肝臓裏にたまった血液か水が原因のようだ。
頑張ってリハビリをしてさっさと帰ろう。


4/23追記
膵液を効率よく出す為に3回目の手術を行った。
水を循環させて濃度を下げて強制的に吸い出す、至ってシンプルなものだが、腹から出ている6本のパイプの1本が胃の動脈に当たってしまっていて簡単には事が運ばなかった。
19-20日朝にかけてかなりの出血をしてしまい、これが出血の元なのかもはっきりせず、できるだけ安静にした状態で新しい感染に怯える緊迫した数日だった。
今朝どうするか伝えると言われていたが開口一番に、命に関わる厳しい状況であり、造影CTでもう一度確認させてほしい、それを見ながら思惑通りにいくなら処置室に移動してそのまま処置をすると言われた。
CT結果は希望通りのアプローチができるものではなく、少し離れた場所から眺めていた私にも開腹しか無いのかな、と思えるもので、他の科の医師も含めて相談したいからHCUに戻って休むように言われた。
三時間程待っていると車イスでCTの処置室?に運ばれた。
様々な角度から撮影をしながらリアルタイムで画像を確認する事ができる素晴らしい機械で、腹に入ったパイプに造影剤を流し、細い針金をいれて自在に角度を変えながらスイスイ入れ換えをしていく様に感動をした。
局部麻酔だけにしてもらい、一連の作業を全て見る事ができた。
術後は今までと違い、体が軽くなったような感じでスイスイ歩けた。
8日から連日38度台をキープしていたが、今は37度前半に落ち着いている。
術後のリハビリ歩行は欠かさずにしていたが、いつも鉢合わせする私より10程上の方に置いていかれる敗北感を味わう毎日だったが、これなら小走りでぶっちぎれるぜ(-。-)y-゜゜゜
フォード型のV6エンジンは味があって嫌いではないけど、やっぱり時代は3気筒っすよwwww
明後日には一般病棟に戻れそうだ。
お気に入りの看護師が今朝見舞いにきてくれた。
MMKwwwwうはーwwww


4/27追記
昨夜に外科の担当医が来て、前回の手術から今迄の経緯を、おさらいを兼ねて再度説明をしてくれた。
1回目の手術のドレンを抜いた時は膵液漏れが殆ど見られなかったが、開腹すると切り口がジェルのようなものでパッキングされた状態だった。この間に膿状の物が胃の裏に蓄積されて、神経を圧迫して激痛の元と高熱の原因になったと考えられる。
2度目の手術以降は想像以上の膵液漏れが始まり、ドレン用に入れたパイプでは対応が追いつかず、更に動脈群を突くような感じになったと考えられる。自分達で処置を考えたが、開腹リスク等を視野に入れて断念し、放射線科に3回目の手術を依頼してドレンの入れ替えと新設を行った。
それ以降は熱も下がり続け、少しずつではあるが炎症等の数値も良い方向に向きだした。
膵液漏れが落ち着けば、胃も少しずつ動き出すのではないかと考えている。
(現在は鼻から胃へドレンを入れて排出している、糖分が無いものなら飲み物は好きなだけOK、絶食)
いつ頃に等の時期的な話はできないが、確実に良くなるので安静にしていてください。
簡単にまとめるとこの様な説明を受けた。
気持ち的には常に前しか見ておらず、自分の体の事なので何となくは想像がついていたが、思っていたよりは長丁場になりそうだ。
一般病棟に戻される事はなくなり、相変わらずHCUに連泊している。
お腹に生理食塩水を持続的に流し込み、機械で吸い出す様は気持ちの良い物ではない。
チュルチュル音がする(;´Д`)
お腹の中にある汚れでドレンがつまると、別の所から漏れだすのだが、これをガーゼが吸って冷たいやら重たいやらで満足に眠れない日が続く。
通常の睡眠時間は2-3時間、眠剤を点滴すれば6時間程は眠れるといった日々だ。
幸いにも横にはなっていられるので、睡眠不足の辛さ等は感じることは無い。
HCUの婦長と外科部長のはからいで、パソコンの使用を許可され、ベッドを窓際に移して頂いた。
久しぶりに浴びる太陽の光は心地が良くて、気持ちが良いと心の底から声が出た。
看護師にも、久しぶりに笑顔を見れて嬉しい、と言われた。
女性とはいつでも笑顔で話しているつもりなのだが。。
今日は洗髪をしてもらい、体も綺麗に拭きあげてもらい、お腹から出るゴミが減ったせいかドレンが詰まる事もなく、久しぶりの休息日といった感じだ。
夕方に看護師2名と話をしていた所へ、私がいた病棟の婦長が様子を見に来てくれた。
早く○○さんをこちらに返してくださいね、3日前より随分と顔色がよくなっていて安心したわ、と言いながら、手を振って病室を出て行った。
いつかはこの辛い日々や、関わってくれた沢山の方の表情や匂いも記憶が薄れるのだろうが、毎日を無駄に過ごす事無く、有意義に過ごせる方法を考えたい。
コメントを入れてくれる方、本当にありがとうございます。
最近は音楽を聞いて体を揺らすか、カーテンの模様の数を数えて計算する事が趣味の病的な私ですが、皆さんからコメントが来る度にブログを始めて良かった、と思っています。
返信していく事は難しいのですが、気になるコメント等にはたまにコメントを返していきたいと思います。
私のブログを印刷してマーカーを引いている悪趣味な方へ
コメントにあった日の記事を読みなおして気持ちが引き締まりました。
ありがとうございます。
女性のコメントはピンクマーカーでお願いしまっすww
まさるさんへ
今の痛みは我慢出来る程度の物になっています。
お腹の中で小人が休む事無くバーベキューをしていて、星一徹のような親父がたまに鉄板をひっくり返す感じかな?w


4/28追記
今日の血液検査とレントゲンの結果を見て、確実に一歩ずつ前進をしていると感じた。
昨日から横になっているより座っている時間が長くなってきた。
お腹の中のゴミも明らかに減少をして、詰まって冷たい思いをする事も今日は無い。
2回目の手術から続いたシャックリも収まった。
尿道に排尿用の管を入れているのだが、朝5時に違和感を感じて目を覚ますと、まさかのモーニングエレクトwwwEXCELLENT!!!!
もう退院しても大丈夫そうな勢いだww
抗癌剤と毎日の点滴で血管がボロボロで、回復が追いつかなくなってきて、点滴用の血管を新たに探すのも一苦労なので、回診に来た医師にポートの設置をお願いしてみる。
記念と興味がある方向けに、2回目の手術以降の腹の写真と動画をうpしてみた。
回復は鳩尾から臍上でL字、Lの下部分は殆どくっついている。
病院の許可を取っていないので削除する可能性があります。
グロ苦手な方、良い子のみんなは見ないようにね!!!勝手に見て文句言うのは無しだよ!!!お兄さんとのお約束!!!
下記のもっと読むで画像と動画が見れます。
追記
御礼を忘れていました。
やり始めたのなら、いつか1位になってみたい、と思っていたので、凄く嬉しかった。
きっかけを作ってくれてた、膵臓癌カテゴリーに関わる方々を始め、応援クリックをしてくれる皆様、ありがとうございました!!





4/29追記
昨夜、洗面で歯磨きをしていると、いつも私のお願いを聞いてくれて、的確に処置をしてくれる医師(天使君とアダ名をつけているw)が歩いてきた。
◯◯さんお願いがあるのですが、と呼び止めて、血管がボロボロで点滴が辛い、今後も抗癌剤治療を続けるつもりなので、CVポートの設置をして頂けないか、と言うと、今は感染や高熱が怖いからCV挿入だけでも良い?、と聞かれた。
点滴や採血で針を刺す場所を探す苦痛と、ドラえもんのような手から開放されるのであれば何でも良いので、それでお願いします、と答えた。
いつがいい?、と聞かれたので、時間のある時でかまわないが、明日の娘が来る時間帯は避けたい、と答えた。
去年体調を崩してからは全く元気が無かったマイサムだが、今朝も下半身に違和感を感じてモーニングエレクトを確認!!!!!!確実に体調が良くなってきている!!!!!!キタヨキタヨ(゚∀゚=゚∀゚)キチャッタヨ-!!!!!!
起床時の体温・血圧・血糖等の測定をしている時に、ポートの設置を今日でもいいか先生が言っているけど大丈夫?、と看護師に言われた。
娘ちゃん達の動向を伺い、11時過ぎ位に処置が終るのであれば大丈夫です、と答えた。
その後すぐに、私のお気に入りの看護師がお見舞いに来てくれた。
数値もかなり改善されているし、この管ももうすぐで外せそうだね、早く帰っておいでよ、と言われたので、デートしようよw、と意味のわからない返事をすると、奥さんいるじゃない、と言われた。今ここにいないから大丈夫、と答えると、笑いながらまた来るね、と言って手を振りながら退室をした。
10:30に医師が来て、消毒やカバー等を行い、エコーで印を付け、局部麻酔をして30分程でCV設置の処置が終わった。
一発目の局麻と、血管を探す時の押し込まれる感じと、痺れ以外は特に不快感は無く、処置後すぐは突っ張り感があった。
その後すぐに娘ちゃん達が到着した。
連泊しているHCUは昨日から個室状態で、看護師達のはからいで娘ちゃんを部屋に通してくれた。
久しぶりに会う娘ちゃんは、管がたくさん出ている私を強張った表情で見ていたが、◯◯ちゃんチュッ!!は?、と聞くと、チュッ!!!と言ってくれて、いつも通りの関係性に戻った。
娘ちゃんが来るので、秘蔵の飴ちゃん(サクマのいちごミルク)を砕いて準備しておいた。
これでもか、と綺麗に磨きあげた指で粉々になった飴ちゃんを娘ちゃんに、あーんと言って口を開けさせて、指を舐めさせると気に入ったようだった。
今日は私より、繋がっているパイプや体温計の方に興味があったようだったが、始終抱っこをせがむ表情をしていて、抱き上げてやれない事を少し悲しく思った。
10分程で娘ちゃん達を帰し、ポートを触ったり観察をした。
移動式のレントゲン車が来て3枚レントゲンを取り、問題が無いので首からの点滴に変わった。

なかなか格好良い改造をしてくれた
チューブと肌は糸で縫われているようだ

その後、看護師達が来て、娘さんそっくりですねw、と言われた。
普段は自分の事を看護師に全く喋らないが、外で娘が可愛いと声をよく掛けられるのだが、私を可愛いと言っているのかいつも疑問に思っている、と言うと、これだけ男前なら娘さん口実に声をかけてるだけでしょ、とリップサービスを頂いたwww(決して見た目は男前では無い(注))
夜勤の方が挨拶に来て、医師(天使君)が具合はどう?、と聞きに来た。
気分的に楽になった、と答えると、それは良かった、と言われて、また来ますね、と退室していった。
今日はこのまま変わった事もなく一日が終わりそうだ。
両手が自由に動かせるこの素晴らしさ!!!!
娘ちゃんに会えて元気が出た!!!
頑張って早く帰ろう!!!


5/1追記
今日は自分にとって大きな進展がある日だった。
特に治療で何があったという訳ではないが、ここ一年は病気になる前の半分程度しか動かなかった頭が80%程度は動き出した事を実感したのが大きいのかもしれない。
体はまだまだ本調子ではないが、長く暗いトンネルから抜け出しそうな今を思い、昨日から今日に掛けて、自分が今後どう生きていくかを考えた。
自分にとってこの術後の記事は、心に抱える不安の置所だったような気がする。
それももう終わりが見えてきたので、今後の決意等を述べて、この記事に終止符を打ちたいと思う。

生存率について
年寄りが多い病気なので、世間に浸透している生存率に自分が該当する気は全くないが、5年生存率10%には余裕で入るだろう。根拠は無いが、自分ならどうにかできる。気がする。
治療について
この若い体の回復力を信じて、今後も抗癌剤を続ける事にした。
免疫療法等も一時は頭を過ぎったが、コストに見合った結果がついてくるとは到底考えられない。
鈍感力という言葉があるが、私の適当な性格は鈍感に近いのかもしれない。敏感と鈍感を上手く使い分けて、不必要な情報を完全にシャットダウンする事ができる自分の能力を評価して、今後も自分の感覚に頼った治療を選択していきたい。
FOLFIRI+アブラキサン+アバスチンを半年程行い、生活のサイクルが組みやすい服用薬(TS-1)に変更していくつもりだ。
肝臓の動脈に癌細胞があり、細胞レベルでは取りきれていないと医者から言われたので、転移・再発リスクは高いだろうが、半分切断しても半年で回復する肝臓だけの問題に収めれば良い話だ。
一度は死にかけたが持論で回復をして、一時はイニシアチブを完璧に握る事ができた。
抗癌剤と若さで体に残った癌細胞を徹底的に蹴散らしてやる。
家庭について
弱っている時は娘を心の拠り所にしていたが、私の愛情のベクトルは妻>娘である事を再認識した。
結婚する時に、食う事だけは困らせない、先に死なない、と約束をして結婚をした。
これを守る為に、妻には弱った姿を見せまいと、強がって嘘ばかりついてのらりくらりかわして、死に物狂いで治療に取り掛かった。妻の笑顔が見れない人生なんて、生きている意味が無く、黄身が無い目玉焼きのようなものだ。
結婚して8年目になるが、ジャジャ馬過ぎて未だに手がつけられない妻を誇らしく思う。
娘には悪いが、所詮は妻が望んで得た産物であり、私の基準で選んだ妻とは違い、カードゲームでランダムに配られたクイーンのような存在でしかない。
娘が私を尊敬するかは不明だが、1つだけ間違いなく言える事は、誰よりも近くで私の背中と人生を見て成長していく事だ。
娘に対しては生活を保障して、学習院やポン女等の安牌なレールを用意するつもりだが、彼女に対して何かを強いる事はしたくない。
世渡り術、社会ルール、どこに行っても通用するマナーさえ覚えてくれるのであれば、賢くなくても特別でなくてもいい。
自分が思うように生きて、この素晴らしい世界と命の大切さをかみしめて生きて欲しい。
私がつけた名前の真意に早く気付き、人生を謳歌してほしい。
私は家庭の為に生きない。
私の人生は私だけのものだ。
家庭や子供の為に自分のやりたい事は我慢しない。
病気になって死を身近に認識したらからこそ、尚更、自分の欲求の為だけに生きていきたいと強く思う。
命ある限り、思った事は後回しにせず、すぐに実行し、色々な思い出を作っていきたいと思う。
とにかく色々な所に旅に行きたい。
いつか世界の果て、PATAGONIAを目指すぞ!!
仕事について
世の中の大多数は雇われ感覚で金の為に仕事をしているだろうが、私は自分に課した使命を達成する為に仕事をしている。金なんて自分の出した結果に勝手についてくるものだ。
31歳という仕事盛もいい所で失速した今回の一連の騒動は、自分のキャリアにとってどんな物になるのか想像がつかない。
私、膵臓癌なので1秒ハンデをください、そんな事が通用する競技は世界のどこにもいない。
キャリアを追うという事は、見えない相手だろうが自分の力を全開にして、どんな状態だろうが競争に勝つという事だ。
私は癌の王様というクソッタレとの競争に勝てそうな勢いだ。
転んでもタダで起きるつもりはない。
必ずこの経験も自分のキャリアになる事を信じている。
帰宅が遅く何をしているかわからないとぼやく妻だが、私にとって仕事は人生そのものだ。
物欲もたいして無く、地位や名誉も興味がない、ただ自分が決めた目標を達成する為に生きる。
不器用に見えるかもしれないが、そうやって私は自分のキャリアを積み上げてきた。
今後も変える事はないし、更に仕事への打ち込みは強いものになるだろう。
迷惑がかかるので何度も退職を考えたが、自分のいるべき場所は今の会社以外に無い事を再認識した。
同じ業界に属す者にとって、怖いもの無しになった私の存在は恐ろしいものになるだろう。
必ず上司を始め仕事仲間に恩返しをして、日本、いや、世界一のシステムを作り上げたい。
ブログについて
今では多数の方がコメントを入れてくれるが、正直な所、寄りつきにくいイメージがあるだろう。
私のブログを読んでくれている全く接点のない人にブログのイメージを一度だけ聞いた事がある。
がんサポートの取材を受けて、キノシタさんの翌月に自分の事が雑誌に載ったのだが、取材を受けた後の余談で私のブログの印象をインタビュアーに尋ねたが、お洒落というか感覚が違って寄り付きにくい感じがある、と言われた。
私は皆様からのコメントには本当に励まされて、家族とは違うベクトルのエネルギーとなった。
なので、買い物のメモ書き程度でもかまわないので、今後も遠慮せずにコメントを頂戴したい。
コメント返しは色々な問題でできていないが、必ず読んで心の中で返事をしている。
自分では気付きもしない新しい発見が多々あるし、この人に会ってみたいから治療を頑張ろう、という思いも少なからずある。
特に会いたいと思う方は九州に集中しているので、テンさんの見舞いがてらチャンスがあれば会いたいと思う。
今後はブログの更新頻度が減っていくだろうが、生きている限り今後も続けていく。
そして、おとなチャレンジプロジェクトと題した目標を必ず達成して、死にそうだったけど立派なものを築き上げたんだぞ、と胸を張って次世代にバトンタッチをしたい。
男として
色々と準備は整ったw
色気漂うダンディーなおじ様になれるように努力したいと思う。

今日は尿道に入っている管を抜いてもらった。
連日シモネタでアレだが、夢もみていないのに睡眠中にエレクトしてしまい、下半身の圧迫感で何度も目が覚めた。もうね、本当にすごいんですよ奥さん!!ズボンが破れるんじゃないかと思うほどにガチガチになるのです(;´Д`)
医師が朝の回診に来た時に、勃起してチューブが奥をつつくので痛い、と訴えると、苦笑いしながら、よく歩いているみたいなので大丈夫そうだから抜きましょう、と言ってくれた。
前回は術後7日目の15日にお気に入りの看護師に抜いてもらったのだが、バルーンの水を抜いてすぐに、勢い良く引っこ抜かれてズルズルズルと引っ張られる感がトラウマになった。
今回はゆっくり抜いてくれて痛みや引っ張られる感覚も無かった。
直径3-5mmもある管が尿道に入っているなんて正気の沙汰ではない。
やっと鎖から開放されて、サバンナに放流された雄の気分だ。

昨日から体がかなり自由に動くようになり、身の回りの事が自分でできるようになってきた。
HCUなので看護師がつきっきりで何でもやってくれるのだが、自分の事は自分でやらないと嫌な性格が災いしてか、看護師が洗面や散歩に行く?と合図をくれると、取り付けられた機器の電源や胃管のパック等を自分で点滴棒に収納して、用事が終われば自分でベッドに戻り、元通りの状態に戻したりりと、高性能なルンバ状態になってきた。誰かしらに報告をして行動をするようにしているが、担当の看護師は私がどこに行ったかわからず慌てるw
HCUの中はT字になっていて30M程しか歩行距離が稼げず、何度も同じ道を行ったり来たりしている様はボケた老人のようだ。それを見かねてか、昨日はHCUの外廊下(200M程か?)を歩かせてくれて、今日は1階のコンビニへお茶等を買いに行き、10階の病棟を歩き、600M程は歩いたと思う。
担当する看護師に仕切りに脱走しないでね、といわれるのだが、私はそんなに逃げそうなのだろうか(;´Д`)
久しぶりに外の空気を吸った。
言葉では想像つきにくいと思うので、私のお供の写真を載せたいと思う。
今の年齢-20からセブンスターを吸い続け、ここ数年はショートピースとロングピース(黄色のピース)を吸っていた程のニコチン中毒だったのに、手術をしてから煙草を吸いたいと思わなくなった。

点滴は首のCVから注入、見た目が格好いい
一番上の機械は麻薬の痛み止め(フェンタニル)を注入する機械、これで2回目の手術の痛みを乗り切った(;´Д`)
その下2つは点滴の速度管理機械、すぐにバッテリー切れでピーピー鳴る
一番下の機械は腹のパイプにささっている水の循環器、相変わらずチュルチュル音がしている
その後ろに胃管用のパックがある、黄色や緑の液体がチューブの中を流れる。。。
電源4本、パック1個を自分で取り付けたり外したりできるようになった!!!

今日の更新は読み手には意味不明な事ばかりだろうが、私は抱えていた呪縛から一気に開放された。
私の好きな映画の1つで私の人生に大きく関わっている、ショーシャンクの空に、の主人公が目標を成し遂げた時のシーンと自分の気持ちがリンクしている。
凄く気持ちの良い一日だった。
私は今ここに生きている。

見た事が無い人は、是非見てみてください
細かい事を言えばVHS版がお勧めですがDVDを買う価値がある作品です
この作品からブログに引用されている言葉が多々ありますw

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2013年4月9日火曜日

術後経過 / 5日-6日

アップしていない記事があったのでアップする。
術後からトラトラトラの記事をうpするまでに、少しずつアンドロイドで作った記事だ。

4/8
手術室に入り、看護師に上司と弁護士の連絡先を渡し、術後にすぐ結果を伝えて欲しいとお願いをした。
快く引き受けてくれた。
すぐに横にされ心拍計等を次々に取り付けられていった。
全く心拍に変化がないけど大丈夫ですか?、と女性の看護師に聞かれたが、自分で選んでやっと辿り着い場所だから嬉しくてたまらないんだ、と答えた。
背骨の隙間の感覚が細いようで麻酔用の管がなかなか入らず、他の年配の方が呼び出されたようだった
局部麻酔を何度も打たれて背中の感覚は殆ど0になり面白かった。
痛み止めを入れますね、と言われて、手首の点滴から注入された。
超気持ちいいんだけどww何ですかこれ?、と聞くと、そんな事言われたの初めてだw、と返された。
その後すぐにマスクを取り付けられて、誰かの頑張ってください、という声を聞いて意識が無くなった。

気付くと狭いベッドの上で妻の呼びかけで目が覚めた。
結果を詳細まで聞いたが、いまいち説明が理解できず、同時に、死ねなかったのか、と思ったのは内緒。
思っていた程は痛くないな、と思いながら、予定通りの手術で目標を達成した事は認識して、早く家に帰れ、と言って、すぐ眠ったような気がする。
血栓防止用のマッサージ機が両足に取り付けられていて、これが非常に心地よかった。
右手に痛み止めのボタン、左手に看護師呼び出しのボタンを握らされ、右手ボタンを押すと気持ちよくて一瞬で眠れる、左手を押すとボストロールが現れた!!!!一気にテンションダウン。
可愛い子が売りの病院のはずなのに!!!畜生!!!と思ったのも内緒。
左手ボタンを押して、喉が渇いたので少し水を欲しいと頼むが、濡れたガーゼをくわえさせられた。
腹が痛くて便が出そうなのだがどうしたらいい?と聞くと、硬いゴムでできた小さな便器な様な物を尻の下に入れられた。ここから左手ボタンを押す事は一切無く、腸の不快感で目が覚めては右手ボタンを押すを朝まで繰り返し、仰向けで眠れる幸せを噛み締めた。

4/9
朝になると移動式のレントゲンが来た。
その後に担当医が来て簡単な説明を受けた。
要約すると肝臓への動脈にも浸潤があった。
限界まで剥いて癌組織(細胞診断で癌確定)を削いだが細胞レベルでは残っている。
よって術後の化学療法なりが必要になる事を説明された。
凄く残念そうで申し訳なさそうな表情をしていたが、信頼した方がベストを尽くしてくれた、他に言葉はありません、ありがとうございました、と言った。

しばらくすると準集中治療室に歩いて移動するように指示された。
下腹部に鈍痛が走るが、歩けない程ではなく、歩くと鳩尾を殴れたような息苦しさがあった。
やたらと明るい看護師に、担当するのでよろしくね、と言われた。
1日300cc迄は水を飲んで良いと言われたので、氷を入れた冷たい水をください、とお願いした。
この瞬間にやっと生き返った気がした(T_T)
その後はとにかく眠り続けた。
体温測定、血圧測定、血液検査、問診、全て適当。
見舞いもきてくれたようだが全く覚えていない。
眠たいから好きなようにやってくれ、何やられても何も文句は言わないから、と伝えて、歯磨きとトイレ(下痢)以外は殆ど眠っていたように思う。
お腹が張って自分の尻に手が回らず、看護師に拭いてくださぃヒヒ/////、とお願いをした。
そして初めてみる尿管、マイサムに管が入ってる(;´Д`)一気にやる気がなくなってひたすら眠り続ける事にした。
翌日に一般病棟に移る事を言われた。

この日から背中に入った麻薬の痛み止めと、高熱(連日38度後半MAX40度超え)を抑える点滴、麻薬以外の点滴による痛み止めの併用になり、幻覚に悩まされる日々が始まった。
汗をかいてシーツをびしょ濡れにしならが、熱と痛みと幻覚が苦痛過ぎて、背中に入った麻薬の痛み止めのボタンをプッシュし続けて、白雪姫のように眠り続けていた。
【ここで記事が途切れていたので、思い出して下記を追加】
夢を見ても妙にリアルで人や動物を殴り殺したり、何かから必死に逃げるような悪夢ばかりで、何十匹も天井から猫が私の上に落ちてくる姿が見えて、殴っては床に叩きつけ、少しでも身軽になろう、手を動かしたり、と現実と夢の狭間を往復する日々が3日ほど続いた。大好きな猫ちゃんごめん(TдT)

これ以降は自由がきくようになり、トラトラトラの記事にバトンタッチをした。
記事の順番が前後してしまうが、時系列で並べる事にする。

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2013年4月8日月曜日

手術当日 + 連絡用 / 4日目

2時頃迄眠れなかったが、いつの間に横になったようで、5時30分に起床した。
体重測定、血圧測定、血糖値測定、身支度を終えた。

遂にこの日を迎えた。
不安や恐怖といったこだわりは少しもなく、心は落ち着いて晴々としている。

いつからか、自分で生きようと思う気持ちより、周りに生かされている気持ちが勝り、先に何が待っているのかを求めるようになった。
希望を持ちながらも、時期を失う事を心の片隅で常々恐れていた。
それもやっと終わりだ。

病気になって、たくさんのものを失い、今では内臓までも失いそうだが、自分には大切な家族がいて、兄のような上司(某社社長)がいて、心強い仕事仲間がいて、心配してくれる友達がいて、素性もわからない私を応援してくれるブログ読者がいて、何より手に入れる事が難しいと言われているチャンスを得られ、自分ほど幸福な者は他に無いと思う。

感謝してもしきれないバックアップの中で、自分ができる事は懸命にやり、精一杯生きた。
至らぬ私に掛けてくださった皆様の御親切と厚情に、月並の御礼の言葉しか言えないが、ありがとうございましたと、心の底から言わせて頂く。

結果がどうであれ真摯に受け止め、残された時間があるのであれば、術前の行動に縛られる事なく、新たに明確な目標を立て、社会に役立つ為に歩んでいきたい。

#
手術結果については、この記事のコメント欄に結果を投稿してもらうように手配しています。必要があれば横への連絡をお願いします。
それまでの間は、この記事へのコメントの入力を控えてください。
応援して頂けるのであれば、最下部のバナーをクリックして、無事を祈って頂けると幸いです。
この記事が公開されてからは、私がパソコンを触れるまでコメントが全て公開されます。
お見舞いについて多数の連絡を頂いていますが、私が動けるようになるまでは遠慮して頂くようにお願い致します。
バッティングされると困っちゃうwwwウハwwMMKwww

/安全地帯 - じれったい



では、またいつか。ごきげんよう。

娘ちゃん、またね。

南無三!!!



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2013年4月7日日曜日

雨降って地固まる / 3日目

昨夜は消灯時間21時を過ぎて、すぐに座った状態で眠り6時前に起床した。
昨日の嵐のような雨が嘘のように空は晴れた。
頂戴したコメントを読んでいると、看護師が来て血糖値を測った。(連日120台)
身支度を整えて1階に降りて、守衛に見送られビックサイト付近まで散歩をした。

病室に戻ると朝食が置いてあり、スタッフステーションに飲み方を聞きに行った。
色と味は出来損ないのミルクセーキで後味がしょっぱい。
おかわりはいらないw


三食同じだったので画像は割愛する
ミルクフレーバーww

10時に血圧測定があり、10時30分から術前の処置をする事と、下剤の説明を受けた。
10分後に処置室に案内された。
おへそに液体を垂らし、除毛する為に上着を胸まで上げた。
毛が薄いから助かります、毛が多い人はチクチクして可哀想、等と話しを聞きながら、陰毛を恥骨まで剃られた。
他はヘソ下に少しある毛(ギャランドゥwww)程度だった。
前もって言ってくれれば全て剃ってきたのに(;´Д`)
浣腸をした事はありますか?、と問われ、自分で何度か///、と答えると、明日は看護師が浣腸をします、男性で特に年配の方は嫌がる方が多いのですが大丈夫ですか?、と言われた。
喜んでっ!!!!!!/////////////、大丈夫です、お願いしたいです!!、と答えた。
この病院は看護師が綺麗な方ばかりですが、選考時に容姿も見るのですか?、と聞くと、そんな事ないと思いますよ(笑)、そう言ってもらえると嬉しいです、と言われた。
除毛はすぐに終わり、太ももの毛は剃らなくてもいい、と言われ、おへそ掃除をしてもらった。
何だか気持ち悪くて、奥に入ってくると便意があった。
汚れていますか?、と聞くと、柔らかいし凄く綺麗です、と言われた。
何かと人気の無い所に私を連れ込んで、おヘソを触ろう(舐めよう)とする甥っ子君ありがとう、黒歴史乙!!!!!!!!(舐めさせていませんw)
10分程で処置は終わり、二重チェックをして病室に戻った。

気分転換をしたくなったので、一階に降りて病院前にある公園に向かった。
サッカーをしている人、バーベキューをしている人、娘ちゃんと同じ位の子供と遊んでいる家族、散歩をしている人、皆幸せそうだー、と思いながら、何度も同じ曲を聴き続けて、座ったまま体を揺らした。

風は強かったが、とてもいい気分になれた

病室に戻ると血糖値を測られたが、今度は75だった。
体調悪くないですか?、と聞かれたが、特に心配する程は悪くない、と答えた。
その後に外科医が訪ねてきて不調が無いか尋ねられた。
明日は頑張りましょう、と言われた。

娘ちゃんが来るので、1階にお土産を買いに行った。
コンビニを出た所で、パジャマ姿の女性に、膵臓癌の方ですか?、と声を掛けられた。
明日は手術ですね、頑張ってください、応援しています、想像していたより若いし、確かに女性っぽいですねw、と言われた(;´Д`)
少し会話をして、握手を求められ、互いに頑張りましょう、と紳士ぶって別れた。
近くにホテルがry、とは言えなかったw
#
薬指に指輪をつけた上品な奥様へ
私は貴女のような綺麗な花に触る事ができない汚れた愚者です。
なので、そちらから私に触れてお誘いください。
互いに元気になった暁には、癌と一過性の愛の真理について探求する哲学の徒となり、シナプスを働かせてニューロンまで同化させましょう。

13時前に昼食、といっても朝と同じ物を手渡された。
昼食後に散歩をしていると、娘ちゃん御一行が到着した。
特にこれといった事もないので、娘ちゃんを抱っこしてうろついたり、お膝に座らせてお菓子を食べさせたりと、日常と変わらない時間を過ごした。
娘ちゃんにお土産を渡すと、発狂して喜んでくれた。
私がいないと携帯電話で遊ばせてくれる人がいないからね(TOT)


最近の玩具は凄い、3パターンの切り替えで、30種類の音が鳴る(;´Д`)

キャー、と喜んでくれたw

15時頃に見送って病室に戻り、看護師から紙コップに入ったマグコロールをもらった。
250ccを1時間ほどかけて飲むように指示され、明日の手術迄の予定の説明を受けて、就寝前に飲む下剤プルセニドを渡された。
17時迄に昨日の食事が全て出たように感じる(ひじきで確認w)
17時30分頃に血糖値の測定があった。(100)
その後すぐに外科医の方が診察に来て状態を聞かれた。
煙草やアルコールは摂取していない?、と聞かれて、アルコールは嗜む程度です、と訳のわからない事を言って場を濁そうとしたが、昨日飲んだ?、と聞かれた(;´Д`)
駄目だよ、と注意され、明日は頑張りましょう、と言われた。
(駄目だこいつ、しょうがねえやつだな、という表情をされたw)

散歩に出ていいか看護師に確認を取り、ビックサイト方面に歩いた。
ワシントンホテルの裏に煙草が売っているコンビニと灰皿を確認!!!!!
相当先まで縁が無さそうだが、食事をする所がたくさんあって楽しそうだった。
夕焼けを見ながら、外の空気も吸いおさめだ、と思いながら病室に戻った。

病室に戻ると夕食を渡された。
せめて3パターンの味付けにしてくれたらいいのに。
食後は、ootuka50=kuriさん?に習って、入院前に半泣きで徘徊した時に買ったスクラッチを削ってみた。
連番なので200円当たりww
都民クジ?も買ったので、こちらに期待しよう。
スクラッチは何故か知らないが、20枚全て中央の列だけ縦に妻が削っていた(;´Д`)
嫌がらせもいいとこだ。ケチがついて外れたのだと思う。
普段はこの手のものはやらないので、いい御縁に巡り合える事を祈るw

アトムしっかりしろ!!

荷物をまとめて詰め込むだけの状態にして、コメントの返信の続きを下書きした。
(コメントは術後にまとめて返信する事にします、皆様ありがとうございます)
>>キノシタさん
起きてすぐにコメントを見たのですが、本丸キタ━(゚∀゚)━!、と思いましたw
妻が貴方を崇拝していて、御用達のパン屋さんで20日に貰える手提げ鞄を私が使っています。
今すぐにでもfolfirinoxとアブラキサンを注入したいのですが、それは叶わないので忠告通りに頑張って歩きます!!!!

19時30分に検温と血圧測定があり、明日の予定表を渡された。

これで今日は何も無いのでゆっくり休んでください、と言われた。

明日は何に頼る事もなく、自分と医療チームを信じるのみだ。
体はもとより心が疲れてヘトヘトだ。
やっと歯を食いしばって我慢しなくてよくなる。
今日は横になっても苦しくないので、このままゆっくりと静かに眠れそうだ。

日本人の遺伝子を持つ者で、私が行なってきた治療の後に、博打まがいの手術に挑む人は多分初めてだろう。

お釈迦様が歩いた後には蓮の花が咲いたというが、私が歩いた後には何が残るのだろうか。
お釈迦様を始め百万の神に手術の成功を祈る。

/Radiohead - Lotus Flower (蓮の花)(SBTRKT Remix)(リンク先が貼れないので元ネタで代用)

#蓮の花の花言葉:清らかな心、救ってください


i will sneak myself into your pocket 
invisible, do what you want, do what you want 
i will sink and i will disappear 
i will slip into the groove and cut me up and cut me up 

there's an empty space inside my heart 
where the wings take root 
so now i'll set you free 
i'll set you free 
there's an empty space inside my heart
where the wings take root
so now i'll set you free 
i'll set you free

slowly we unfold 
as lotus flowers 
'cause all i want is the moon upon a stick 
just to see what if
just to see what it is
i can't kick the habit 
just to feed your fast ballooning head 
listen to your heart

we will sink and be quiet as mice 
While the cat is away and do what we want 
do what we want

there's an empty space inside my heart 
where the wings take root 
so now i set you free 
i set you free

cause all i want is the moon upon a stick 
just to see what if
just to see what it is 
take the lotus flowers into my room 
slowly we unfold 
as lotus flowers 
all i want is the moon upon a stick 
dance around a pit 
the darkness is beneath 
i can't kick the habit 
just to feed my fast ballooning head 
listen to your heart


娘ちゃん、また明日。

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2013年4月6日土曜日

手術の説明 + 検査 / 2日目

院内が暑い事も手伝って、昨夜も眠る事ができず、疲れて寝てしまおうと思い、棟内を何周もした。
ソファーに腰を掛けて、夜景を見ながら考え事をしていると、理由は知らないが同じように眠れない方に声を掛けられた。
高齢で何を言っているかよくわからず、適当wに相槌を打って見送った。


私に気付いた方がいたら声をかけてくださいw
見た目はアレですが、話すと引き出しがたくさんありますよ!!!
女性以外は面倒だから声を掛けないで下さい(^ρ^)

ずっと歩き続けている私を見かねたのか、看護師が眠剤を渡しましょうか?、と声をかけてきたが、効かないので不要、と答えて病室に戻った。
排泄した尿をカップに入れて機械に移すのだが、手の力が抜けて床とcrocsにぶちまけてしまい、一人涙目で掃除をした(´・ω・`)
これが効いたのかベッドに横になるといつの間にか眠っていた。

検温と血糖値の測定をして、座ったまま眠っていると朝食が運ばれてきた。
鉄之助wwwwwwwww美味しかったwwwww


ふりかけのネーミングセンスに脱帽した\(^o^)/

10時頃に娘ちゃん達が外科医の説明を聞く為に来てくれた。
娘ちゃん、ちょっと見ない間に随分と立派になった(TдT)
娘ちゃんの好きな、あいあいの歌とお馬さんの歌を歌いながら、抱っこして病棟内をうろついて病室付近に戻ると、外科?の方に声を掛けられて診察があり、急遽、血液検査とレントゲンを撮る事になった。
血液検査をして、外科医の説明を待っていると、外科医が予定より遅れる事と、レントゲンを先に撮るように指示をされて、レントゲンを撮りに行った。
同じエレベーターに乗った方とバッティングしてしまい、先にどうぞ、と勧めて、待合で待機した。
病室に戻ると担当の外科医が来て、別室に案内をされて妻と説明を受けた。

下記は医師との会話と渡された書面より抜粋
病名:膵体部癌と現在の症状
手術予定日:平成25年4月8日
手術術式:腹腔動脈合併膵体尾部脾切除 胆嚢摘出 左胃動脈再建
・固有肝動脈、腹腔動脈、上腸間膜動脈への浸潤が疑われる為に抗癌剤治療を開始した
・腫瘍マーカーが著明に減少し、腫瘍本体も縮小しているが、周囲への浸潤陰影は残っている
・通常なら手術はしないが、遠隔転移が無い事、マーカー値が著明に減少している事から腫瘍が壊死していると想像される事、若い事を理由に手術に挑む
・抗癌剤治療による炎症の陰影と癌浸潤による陰影は見分けがつかないので、術中に切除標本、あるいは術中組織生検で診断をつける
・その他、腹膜播種、遠隔リンパ節転移・肝転移がある場合は切除を中止する事がある
・固有肝動脈、胃十二指腸動脈、腹腔動脈の付け根に癌浸潤がある場合には切除を断念せざるを得ない
・門脈・結腸も癌浸潤の為に切除する可能性がある
・左胃動脈と他の動脈を繋げる予定だが、状態を見て胃を切除若しくは全摘する可能性があるが、年齢が若いのでできるだけ残したいと思っている
・大腸も場合によっては切除する可能性がある
・手術の可否についてGOサインを出したのは、私(担当医)ではなく部長である。よって2名で協力して手術を行う
・上腸間膜動脈へのアプローチが最後になるが、浸潤していた場合は切除を考えずに残す
・極力控えたいと思っているが、輸血が必要だと思われる
・膵液のドレン、栄養補給用に小腸、2本の管を腹から出す
・合併症として、出血、膵液漏れ、感染、胃腸運動障害、糖尿病、腸閉塞、心配脳合併症がある
・通常の膵体尾部脾切除とは異なり、大きな血管に対する処置を要する大手術であり、危険性の高い手術と言わざるを得ない
・術中に死亡させてしまう事は避けたいと思っている
・安全性と癌治療とのバランスを考えながら手術進行の是非を術中に判断する
今回の一連を今後の為に学会で発表する可能性がある、それらを含めて同意書をお持ちするので、病室に戻ってお待ちください、と言われて説明が終わった。

少しでも否定的な意見や、疑問点があれば納得するまで議論をしようと思っていたが、話し始めてすぐに、◯◯さんの今までの治療の事を考えて、◯◯さんの立場になって手術に挑む、と言われたので、始終黙って笑顔で説明を受けた。
神経や筋肉の剥き方等を、ジェスチャーを交えて説明して頂き、聞いていて楽しかった。
今まで手術に手が届かないと思っていたのか外科医の説明は曖昧で、自分のPCのモニターに穴が空くほどにCT画像を眺めて、自分ならどんなアプローチで切除するかを考えたりもしたが、説明された内容に想像の域を超える話はなかった。強いて言うのであれば、自分が思っていた程は楽観的な手術ではなく、担当医の言う通り、博打まがいで激しい手術になりそうだ。
当初は一人で説明を聞く予定で、医師に伝えたい事もあったが、妻がいたので(*_*)やめておいた。
とても丁寧に説明をしてくれた。何より、癌専門病院の医師ならではの、私の気持ちを汲み取った、私の立場になって、という言葉を心から嬉しく思い、好きなようにどうにでもしてくれ、と思った。
部長に会ったらチャンスをくれて有難う、と礼をしよう。

同意書が届くまで妻と二人で病室で待っていると、食事をしますか?、と看護師に聞かれた。
お願いして食事を待っていると、担当の外科医が同意書を持ってきた。
妻に同席者のサインが必要な箇所へサインをしてもらい、娘ちゃんがお腹空かせているだろうし、子守をしてくれている人も大変だから、早く帰るように捉したが、返事の歯切れが悪かった。


急いで食事を済ませた

このような時は自分の意思を通すんだろうな、と思っていると、案の定、私の食事が終わる頃に、挨拶をしたいから下まで来て、とLINEでメッセージが送られてきた。
娘ちゃんが腹空かしでかわいそう、と言うと、昨日私がオムライスを食べた店で昼食をとる事になった(*_*)
店に入り、娘ちゃんにお粥を食べさせて、泡の出る飲み物を少し頂いた。
術中に予後が悪そうなら、そのまま殺してくれるように頼むのを忘れた、と発言したが、シカトされたw
(今日まで食事制限無しと言われているwwww店員さん、不思議そうに見ないでwww)
Kさん、お疲れ様でした!!!!!

病室に戻り、シャワーの空きを確認して、予約表に記入をした。
外を見ると雨が降っていて、シャワー前に雨に濡れたい、と思い1階に向かった。
夜間用口?に行き、守衛に散歩したいから出してくれ、と言うと、雨降ってるから気をつけて、と言われた。
ビックサイト付近まで考え事をしながら歩き、満足したので病棟に戻ってシャワーを浴びた。

看護師が血糖値を測りにきたので、ついでにサインをした同意書を渡した。
夕食までブログを打ち込み、デザートを買いに1階のコンビニへ行った。
思い返せば病気になって食事ができるまで回復してからは、バームクーヘンをやたらと食べているような気がするw

病室に戻ると看護師が夕食を持ってきてくれた。
これで普通食は食べ納めだ。


イカのフライが(゚д゚)ウマー

食後に血圧と体温測定をした。
今日はもう寝るだけだ。
またウロウロ徘徊する目になるのかな。。
それにしても病院は居心地が良すぎる。
綺麗なお姉さんが優しく声をかけてくれ、食事は決まった時間に出してくれる上に、何を食べてもそれなりに美味しい。
娘ちゃんに一日中小間使いにされる事もなく、自分が思うように一日を過ごせる。
何より、体に不調が起きても、助けてくれる人が近くにいる事に安心できる。
しかし、娘ちゃんと離れ離れになる時の、何で一緒にこない??、という顔を思い出すと寂しくなる。
早く元気になって帰れるといいな( ́- `).。oo

娘ちゃん、また明日。

#
>大目玉さん
決め台詞頂戴しましたwwwwwwwwwwwwwww
尿道のチューブを外す時に指名オプションの有無を聞こうか、とずっと考えていましたw
やらしい意味でもですが、女性は優しくて一緒にいるだけで場が明るくなるので、老若問わず大好きですw
筋さえ通していれば言い訳だらけでも良いと思いまっす!!


ばれなければエエジャナイカ!エエジャナイカ!

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2013年4月5日金曜日

手術の為に入院をした / 1日目

起床して身支度を終え、娘ちゃんの朝食タイムが始まるのを待ち、上司に挨拶をする為に会社に向かった。
顔を出すと、ちょうど今LINEでメッセージを送った所だ、と言われた。
大丈夫だから頑張れとは言えないが頑張れ、と言われ、握手をして見送って頂いた。
今の会社に勤めて8年目に突入したが、上司と初めて握手をした。
手はゴツゴツしていて男の手だった。
私が車に乗って見えなくなるまで見送ってくれた。

帰宅して娘ちゃんと甘い時間を過ごしていると、病院まで見送りに行く、娘ちゃんが大変だから来なくていい、と一悶着があった。
病院まで送ってくれる、という有難い申し出もあったが、やっと掴んだチャンスを一人で噛み締めたくて、どうしても自分の足で行きたかった。
昨夜から異常を察したのか、いつも以上に甘えてきた娘ちゃんに、泣かれながら見送られ出発した。
普段は電車に全く乗らないので、駅までの道のりもエイ!エイ!と足取りが軽かった。
自宅からは1回乗り換えで50分程の道のりだった。
ゆりかもめ線の中で咳き込み少し吐血してマスクが赤くなったようで、それを見た向かいのおばさんがキャー!と騒いだ(;´Д`)慌てて携帯電話を持っていた手で口を抑えると電話が血まみれになったorz
隣のおじさんも慌てて席を立ち、ぎゅうぎゅう詰めだった私の周りに少し余裕ができたw


運転手がいない!(^o^)!

遂に辿り着いた!!!!!!!!!!!!!!

病院について入院手続きを済ませ、前回お世話になったナースステーションに挨拶をした。
パジャマを用意して頂いて、これから何日かわからないが世話になる部屋に通された。
飲んでいる薬を教えて下さい、と言われ、何もありません、と答えると驚かれた。
前回は夜中もナースステーションを訪ねて、オキノームを飲んでいた記憶がある。
簡単な問診が終わり、麻酔科の医師から説明があるので近くにいてください、と言われた。
前回の教訓を活かしてシャワーの予約をして、パソコンと携帯電話を使う為に電気製品の使用許可書を記入して届出をした。
入院診療計画書、入院生活のしおり、床ずれ予防の説明書、手術を受ける人への説明書、膵体尾部切除術を受ける人への説明書(日程表)、呼吸療法器具の訓練方法が書かれた用紙を渡された。

昼食を摂っていないので食事をして来ても良いか、と看護師に聞くと、どうぞどうぞ、と言われ、ビールは・・・?と聞くと、駄目じゃないですか?(笑)、と言われた。
15時迄に戻る事を伝え、以前から気になっていた、1階にある地味に高いレストラン?に向かった。
オムライスが美味しいとレポートにあったので、デミグラスソースのオムライスを注文した。
残念ながら私の口にはか合わなかった。妻のオムライスの方が美味しい。


何を飲んだかは内緒(´・ω・`)
祝杯と最後の晩餐??

病室に戻りパジャマに着替えて、LINEで色々な人と連絡を取りながら、調べ物やコメントの返信を下書きして時間を潰す。
16時前に看護師が来て、麻酔科の医師から説明があります、と別室に案内された。
綺麗なお姉様でテンションアップ↑↑↑↑
軽い問診があり、全身麻酔法と硬膜麻酔法の細かな説明を受けた。
動脈と整脈に点滴をする事と、意識の無い間は必要があれば輸血等の医療行為を任せて頂き好きにさせて頂く、と言われた。
うん!うん!お姉さんなら何でもしていいよ!、と思いながら話を聞いていると、私は当日お休みなので◯◯さんより年上の男性2名が対応します、と言われ、奈落の底に突き落とされた気分になった。見透かされていたのか!?カメラ等の医師の性別を聞いている事が記録されているのかなw
痛み止めを使わない事も選択できます、と言われたので、我慢出来る程度の痛みですか?と聞くと、痛み止めで1/10程に和らぎます。患者さんを見ていると痛み止めは使ったほうが。。と言われた。
同じ説明を再度され、同意書にサインをして説明が終わった。
マーカー値が高値時以上の痛みなのだろうか。。

病室に戻りシャワーを浴びて、呼吸療法器具(Coach2)の説明DVDを見ながら練習をした。
動画の年配の女性は軽々と2500mlを超えているが、私は思いっきり吸っても1500mlにしか届かない。
5秒吸い続け、3-6秒止めて、ゆっくり吐く、の練習を繰り返すが、苦にならない呼吸だと500mlが精一杯だ。
目標値がわからないので看護師に、動画のおばあさんに敵わないのですが何mlを目指せばいい?、と聞くと、笑いながらニコちゃんマークを安定させて1000ml位を目指せばいい、慣れると吸えるようになると思います、と言われた。
練習を重ねて今のところは500mlに届くようになった!!




敵いませんorz

18時過ぎに夕食が届けられた。
娘ちゃんにオレンジを分けてあげたい、と思いながら完食してお腹いっぱいになった。
入院している間は食事もブログに載せていこうw


美味しかった(^q^)

夕食後は血圧と体温を測り、パソコンを触っていると外科医の方が挨拶に来た。
FOLFIRINOXに興味があるようで、オキサリプラチンが良かったと思う?、と聞かれた。
間違いなくオキサリプラチンだと思います、と答えた。
21時消灯なので、これで今日は終わりのようだ。

昨日は遺族年金の確認や役所の用事を済ませたり、資産管理の為に弁護士と話したりと、一日中一人で死を迎える準備の為に、暗い気持ちで一日中外を半泣きで歩いた。
この手術以降は結果がどうであれ、誰しもが100%迎える死に向かい走っていく事になる。
今になって一気に疲れが出てきた。
膵臓癌発覚から8ヶ月、私にとって10年にも感じる長い日々だった(TдT)
辿り着けて本当に良かった!!万歳!!万歳!!
気合で生還!!!!!!!!!!!

娘ちゃん、また明日。

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