2015年12月2日水曜日

ブログ再始動@Twitterはその時までZzz

久し振りにブログ更新をします。
初めましての方、粘着して頂いている皆様、また宜しくお願い致します。

いきなり唐突ですが、これからラストスパートを走る事になりそうです。
前回のTwitter更新後の11月13日に退院をしましたが11月26日に再入院となりました。
理由は胆管辺りからの出血で血液量(主にヘモグロビン)が減り、立ち上がるだけで全力疾走後のような状態になった為です。
同じ症状で病院に搬送が4回となりました。
また、2015年12月01日21時頃から22日3時頃まで自力で呼吸と意識を保つ事が難しくなり、これからを自分の力で生きていく事は正直なところ厳しいと感じました。

Twitterで細々と報告兼記録をしようとおもっておりましたが、私がブログを始めた理由と何か違う事に気が付き、今後はブログで再発信していく事に決めました。
特にデータを残す事と肝性脳症への対応等、予備知識として欲しくてもなかなか知り得ない部分を中心に、経験者だからこそ綴れる形で、応対や残ったダメージ等を残していこうと思います。
病を患ってからある意味で特殊なブログ及び関連文献に目を通してきましたが、自身が滅びる事を受け止め、どのような過程で死を迎えるのか、という記述がなかなか見当たりません。弱輩者ですが、34歳の私がどの様な思考で死を迎えて行くかを残し、いずれその時が来る方々へ何かしらのメッセージになればブログ冥利に尽きるというものですw


正式な病を伝えられた後に少しでも時間を伸ばしたいと藻掻き続けた代償が何だったのか。
その先に何が待っているのか。
他にどの様な選択肢が他にあったのか。
私が一番大切にしていた治療が何なのか。
一日数行かもしれません。

まもなく4歳になる娘に私を少しでも知ってほしい。娘の為に私の好きなリズムを残したい。
後続者が寄り道をする事なく、残された時間を大切にできる為の道標になってほしい。
今迄の経験を残していきます。
今迄とは違う姿勢でブログを綴る事により、私がここまで生き延びて来れたかロジックを探るツールに成り得るかもしれません。


おセンチな再開だって?
今では焼かないで墓に埋葬された人を掘り起こしてきたような見た目になったorz
2Lのペットボトルを持つ事も精一杯で、排便だけは自力でトイレに行けているが、尿は床で済ませる事が増えてきた。

もう死ぬのか、まだ維持を張って頑張るのか?、まだ頑張るのか?、等と考える方は沢山いらっしゃる事でしょう。
私は病気を患って死に対しての価値観は一切ぶれておりませんのでご心配なく。

まだ手はある、諦めるな、何とかしてやれる頑張れ、という医師達及び私の周りの人達に感謝及び殺意wwwwwwwを抱きつつ、明日には死んでいるかもしれないけれど、ぶちのめされても起き上がる事ができる以上は、最期迄自分らしく情熱的に生きるぜ( ´ー`)y-~~
乞うご期待。
#
どなたからも、SurfacePRO4 - Corei5/メモリ8G/256GB or SurfacePRO4 - Corei7/メモリ8Gor16G/256GBor512GBをプレゼントしましょう、と連絡が来ません。pんpn!!
お礼にH/150/h程しか動いていないステッカーべたべたの、SurfacePRO3(i5-256gb-8GB-TypaeCover英語&日本語有)を献上します。
待っていますサンタさんASAP!!!!!!!
くらえ私節!!





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2015年1月1日木曜日

2015年始まる@まだ生きている

前回の更新から目まぐるしい日々を過ごしている。
ツイッターに触り程度は残したが、アンモニアが脳に回り痴呆症のような症状に陥り、昨日辺りからやっと携帯やPCを触れる程度に回復をした。

病院と私とのやり取りでの大雑把な感触としては、死に向かってのカウントダウンが始まったと捉えて良いかもしれない。
しかし、私と妻は諦める姿勢は微塵も出す気配はなく、26日に退院をしてすぐに化学療法を受けた。
緩和ケア科の入棟面談・バイパスした箇所以外の不良・新たな問題等、もう少し体調が落ち着いてから記録を残す。

後数日で34歳を迎える。
スタート時に半年で死ぬ、と言われた事を考えると長生きをしているものだ。
今年も私を支え続けてくれた方々、本当にありがとうございました。
また、興味を持ってブログを読んでくださっている方々もありがとうございます。
私のこれからの記録が後に役立つ内容になるように、頭をしっかりさせてブログを綴りたいと思います。

皆様が良い一年を過ごせる事を心からお祈りいたします。
今年もよろしくどうぞ!!!!!!!
何事も諦めない事こそが成功の鍵だ!





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2014年12月4日木曜日

狂乱怒涛+余命@しかし心は救われた

体調は乱高下を続けている。
現在抱えている大きな問題は、心臓・高熱(37-40)・胆管炎・胆管炎・骨転移??からくる激痛だ。
前回の更新時はドレナージをする予定だったが、体調を見て見送る事になった。
少し調子が良いと思っていると、あっという間に体調が悪くなり、動けなくなって悶絶する日々を繰り返している。
高血糖はすっかり安定して、私の予想が的中する結果となった。
食事のせいかもしれないと疑っていた医師達は残念だったね。
自分を客観視する大切さがよくわかった2ヶ月だった。
辛かったけれど、とても良い経験をした。
フルコントロール。

12/01の夕方に体が硬直して動けなくなってしまい、同時に経験した事が無い激痛に襲われた。
痛みと硬直でキョンシーのような姿勢のまま横にされて、心拍計等の様々な機器を取り付けてモニターをされながら、症状が収まる30分近くの間を観察された。
医師は心臓を疑ったが、即時行った採血と心拍等のモニターの結果、早々に心臓の懸念は除外された。
十二指腸より少し上辺りが原因の激痛が続いている為、フェンタニルの持続点滴を継続しているのでシバリングも疑ったが、自分で採血結果を見ながら除外診断をすると胆管炎・膵炎の疑いが強いと思った。
12/03・04と同じ症状が出た。
背中右側の一部にギュッと締付けを感じた後に、多汗・硬直・激痛とコンビネーションでいたぶられたが、5分ほどで収まったものの、両日とも痛みのせいで嘔吐した。
現時点で原因不明。
医師は骨転移を疑っているようだ。
今回は私自身も答えに辿り着けていない。
この問題を抱え始めての採血結果は下記になる。


12/2に漢方サポート科と内科の診察を受けた。
漢方サポート科の医師は、医師と患者は情報を共有するべきだ、という素晴らしい概念を持っているので、外科医達が見せてくれないデータを惜しみなく時間も気にせず見せてくれて写真をバシバシ撮らせてくれて、欲しいデータは全て印刷してくれた。
私の質問にも心地良く答えてくれた。
退院が決まり次第、外来予約を入れて早急に来るように、と言われて診察が終わった。
今回、手術をして取り払った部分等もインパクトがあったが、バイパス手術を行った時の写真は参考になると思うので、もっと読む、に残しておく。
#
私の内蔵の画像なので見たくない人はこの時点で閉じるように。
人のブログを勝手に読んで、値踏・妄想をしている下衆イ輩がいるようだ。
私と妻も知らない我が家の内情を知っているそうなので怖いのですけれどwwwwwww
愛の無い人にこのブログは読まれたくないね。
何か言いたい事があれば直接私の居る場所に来る事。

内科では私が質問責めする形になったが、患者に寄り添ってくれる医師なので真剣に応じてくれた。
今後の治療予定や希望を伝えて、緩和ケア等の話の終わりに余命についての話題が出た。
私の状態であれば普通はもう何も手出しできず見守る段階かもしれない、と前置きをされて、平均的な数値として、今をスタートとして約三ヶ月、貴方は今後も積極的な治療をすると言っているので一年を目標として良いかもしれない、できる事を一緒に頑張ろう、と言われた。
多目に見積もってくれるもんだなー、と思いながら聞いていたが、一年しかないのか、と思う反面、後一年もあるのか、という思いもあり、黙っていると、また病室に行くので今後の治療は都度考えていきましょう、と診察が終わり、複雑な心境で診察室を後にした。
病室まで歩きながら、来月の誕生日で34歳は迎えられそうなので、次は34歳6ヶ月を目指すと決めた。
頭では理解しているけれど、連日の体調不良で滅多打ちにされていた私は、夜に妻にたいしておうちに帰りたいとlineを送った。妻の反応は相変わらず微妙にずれたもので、平常運転の彼女に少し救われ再度頑張ろうと思えた。
まー、私であれば何とかするでしょう('A`)y-~
たぶん。


【食事について】
一回目の術後3日目から3分粥が始まった。
今の食事は5分粥食を更に半分にした量になった。
最初は3分粥(汁食)の1品か2品を良く噛み飲んで腹一杯になっていたが、今では5分粥全品を半分にしてしてもらって一日一回食べきれる程度にはなった。
3分粥食時は味気無くて食欲はなかったが、5分粥食に変わってからは少しずつ食欲が湧き食事時間が楽しみになってきた。
依然、胃と十二指腸間は狭窄しているようで、食後に体を傾けると胃と腸をバイパスした所でゴボゴボという音を立てながら流れていく。
入院前の約1ヶ月は口に入れた物から栄養分を吸い取っては嘔吐をする生活をしていた為か、今の状況ですら有り難い。
取り掛かりは胃の限界値がわからず、食べては吐いてを繰り返していたが、一日二食程度で腹に溜まってきた、と感じる前にストップすれば嘔吐する事はなくなった。
#
日々の体調変化への対応が精一杯で、なかなかお食事日記まで辿りつけない。
食事内容を参考にしている方もいると思う。
写真は撮りためているので後日うpする。


今時点では退院の目処が立っておらず、退院をする条件は下記になる。
1,食事を摂れるようになる事。
上記については、食事量は少ないが慣れの問題である為にクリア目前とする。
2,CL等を安定させて心臓をコントロールする事。
上記については、アーガメイトや内服薬で落ち着かせられると思うのでクリア目前とする。
超まずい。ねるねるねるねを10個位まとめて食べている感じ。
3,採血結果を見てわかる通り、胆・肝を落ち着かせる事。
4,痛みをコントロールする事。
上記については、骨転移・胆管炎なのかはっきりすれば今後どうするべきか枠組みを作っていける。
前者の場合は化学療法や外科任せとなるが、後者の場合は今抱えている問題を繰り返していては落ち着かない。原因を突き止めて数値を安定させて、退院後にすぐ化学療法で抑え込みに入ればもう少し見通しは明るくなると思われる。
原因を突き止める為には、内視鏡でステント部分等を探りにいかねばならないが、術後で胃が落ちつていない事・狭窄がどうなっているか次第になるので、私自身の独自の視点からもアタックしていかねばならない。

今回の入院で医師と看護師と私の距離が縮まった。
緩和・積極的な治療のバランスをうまくとり、少しでもQOLの良い状態が続くように皆で支援してくれる、と多数の方に言われた。
皆さん、自分の仕事に誇りを持ったプロフェッショナルで格好が良い。
癌に対しての治療は他の病院に負けない、という力強い言葉が心地よかった。


詳細は省くがブログを通じて知り合った方が2名、12/03にピンパルさんが再度見舞いにきてくれた。
写真を残しておく。
具合が悪くなってしまい、ピンパルさんを急遽帰してしまったので写真は後日に撮りたい。
MKさんとの会話で残しておきたい事があるので、これについては後日改めて更新する。
女性は遠慮をしないでプレゼントを持ってバンバン来てくださいねwwwwwww
男は面倒だから来ないでください。というか、来るな。
12/01 MKさん お会いしたのは3回目。
お見舞いの品・娘へのプレゼント等、ありがとうございました。
12/02 密会者 初回の手術時にお会いした方で2回目。
娘へのプレゼントありがとうございました。


話はガラっと変わるが、12/03夜に前回更新時のコメントを読んだ大目玉さんから電話が掛かってきた。
第一声が50万用意したぜ。
テラ格好良いっすwwwwwww
私は軽い冗談のつもりで書いた事と、大目玉さん出版まで辿り着いただけで充分です、そもそも以前お会いした時に寄付金にしようと話したではないか、と説明したが、約束は約束だから、と言ってくれて引き下がりそうになかった。
お言葉に甘えて、私は乞食では無いのでお金は頂けない、代わりに記念品を買って頂いて宜しいですか?、と答ると、勿論と快諾してくれた。
今後の事等も話したが、一番胸に響いた言葉は、今のhd君に言うのは適切ではない事は百も承知だけれど、本当なら飲みたかったよ、頑張れ、と言って頂いた事だ。
酒を再度飲みかわせるように懸命に治療に取り組みます。

御礼に今できる事を。
赤字過ぎるそうなので、大目玉さんの格好良い行動を讃え、一冊ポチッとお願いします。
闘病するにあたり大切な情報の一つは、心構えというか、壁にぶち当たった時のバックボーンだと私は思います。こればかりは経験しないと残せないからね。
格好をつけず(多分w)ありのままを記している、数少ない参考書の一つです。



1月に再開する事を約束した。
何をプレゼントして頂くかは、お会いする時のレポートで明かす。
その時は私に驚きと感動を与えてくれた、もう一名の格好良い人のエピソードを交えて更新する。
生きてるだけで丸儲けとはこのような事をいうのでしょか???????wwwwwww
お楽しみに!!!!!!!引っ張るよーwwwwwww

どうしようもない救いの無い数日を過ごしていて、心と体がボロボロの3日の午前中にトドメを刺された日だっただけに、私はとても幸せを感じでいます。
本当にありがとう。

遠くの親戚より近くの他人を痛感した。
ブログ冥利に尽きる(TдT)
#

約束を守る事よりも、自分の口から発した事をやり遂げなければ嘘吐き以下の外道だ。
できない事なら端から言うべきではない。
自分を騙して逃げるような人生に価値無し。


3歳になる娘の誕生日を祝う為に5日から2泊3日の外泊をする。
gdgdの状態且つ点滴をしたままの行動、はじめてのお使いのようでドキドキだ(;´Д`)
CLがこのまま下がらないようであれば、外出しても心肺停止の恐れがあるようなので、明日の採血結果で数値が改善されていなければ外泊ができない。
今後の事を考えてポート留置を検討しているが、外泊までには処置が間に合わず、取り急ぎ腕と別の場所にも皮下に針をさして持続的に点滴を続ける処置を行った。娘さんの誕生日との事なので、できるだけ帰宅できるように協力したい、と申し出てくれたので、多少数値が悪くても今回は外泊させてくれると思うが、救急車で病院に帰還する事が無いように願う。しっかり税金は収めてきた、というか今も収めているので、救急車をタクシー代わりに使いたいくらいだぜ('A`)y-~
ペペローションローターを肌身離さず持ち歩く変態の図。
乳首は見ちゃやーよ(>_<)


#

ブログを頻繁に更新する事は手間なので、これからもっと時間を大切にする為にブログ用twitterを始める事にした。
https://twitter.com/______hd_______ hdの前後はアンダーバーが7個ずつ。
twitter内容は自己紹介通りの内容だが、blogreadersと今を共有し合いたい思いが強くなり、ブログ用twitterを始めようと思ったので、興味のある方はフォローかブックマークをお願いします。
基本的にこちらからは、気が向いた時にしかフォロー・返信はしないのであしからずw
#どこかで暇になると、**にいるのでヤラナイカ発言をするかもしれません('A`)y-~


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2014年11月30日日曜日

銷魂@終わりの始まりだったのか

前回の2度目の手術時から体調が優れず、何度も心拍数が下がり死にかけた。
そして、前回の更新時に述べた痒みは、黄疸の症状のように感じていたが間違いないようだ。
酷い黄疸のかゆみを経験した者にしかわからない事だが、正に体中を虫が這いずり回るような症状で、かゆみを通り越して苦痛になり、脳や神経付近に達した時点で発狂しそうになる。
私は我慢強い方だと思うが、全身麻酔で意識を落とすか殺してくれ、と無意識で叫んだそうだ。

昨夜、心筋梗塞のような症状が出た後に、私は死にそうになった。
死を目前に迎えた人が、耐えられない苦痛と緩和の麻薬を味わった後に、凄く幸せそうな表情を浮かべた、という記述をよく見かけたが、自分がそれをこんなに早く味わうとは思わなかった。
当初はフェンタニルの使いすぎで筋肉が緊張した程度だと思っていたが、体が硬直して手足は冷えきり、体中の悪い箇所が全快で痛みを発した。
同時に看護師達は心拍計をつけて、移動式にレントゲン車が来て撮影をし、医師達が様々な処置をしてくれ、耐えろ・頑張れ、という言葉を聞きながら、心拍数が下がっていき体があり得ない早さで硬直をした。
その後はよく覚えていないが、体がバウンドして気付いた時にはフェンタニル等でキマリまくった多幸感一杯のお花畑状態で目が覚めた。
前日と今日の採血結果を比較してわかるように体調は激変した。

11/29
11/30-1
11/30-2


今日はマンモグラフィだけとなったが、どうやらステントを入れた部分が膨張して胆管が詰まっているようだ。
胆管周辺の腫瘍が動脈を圧迫して、弱りきった心臓に悪さを起こしているのかもしれない、という所が今の所見だ。
明日も採血をして改善されないようであれば、閉塞気味の十二指腸からはアクセスできない為、横っ腹に穴を開けて胆汁をドレナージする処置をする予定だ。
これにより大幅に改善されるとは毛頭思わない。
今回入院した目的の一つとしてあった、肝臓付近の主要切除及び胆管のバイパスが成し得なかった事が全ての原因だろう。

このブログを読む人達に私がどれ程の知識を持ち、どのような気持ちで今迄耐えてきたかは想像できないだろう。

私はいつだかに、私は知りすぎた、という言葉を残した。
それは、医学書での勉強、医者友達との意見交換、学会の出席、google先生、同病者や似た病気の方々の軌跡を辿ってきたからこそ、医師と対等に話す事ができて、多少のゴリ押しや駆け引きがあったものの、双方納得した上で治療に取り組む事ができた。
希望等といった甘いものは端から眼中に無く、中途半端な絶望という物が先立った賜物だろう。
これにより怖いもの知らずになり、今迄何だってひるむ事なく、ある意味で楽しんで挑戦できてきた。

化学療法で使える薬がなくなり、今回の入院で私は勝負に出た。
この勝負は私に希望を与えかけた。
絶望しかしらない者が希望を掴みかけた時に、奈落の底へ突き落とされる今は、希望を失う恐怖感が強くなってきた。
何でこう思ったのかタイプしながら考えているが、単純に自分の身体が危険を察知しているのだろう。

私が大嫌いな運任せになるが、ここから這い上がる術はまだ幾つかある。
誰にも結果はわからないが、諦めたらそこでお終いだ。
よって私は諦める事はしない。
今回の絶望・恐怖感・希望等も人間らしくていいじゃない、と思う余裕がまだある。
時間が経つにつれて心が落ち着き、悔しい・何でだ!、という思いが募る。
何度失敗しても心臓が動く限りは、何度でも立ち上がって刃向かい続けるぜ('A`)y-~
上等だYO!!!!!!!


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2014年11月28日金曜日

2回目の手術@悪夢再来

11/28
前夜から黄疸の時の虫が体中を這いずり回るような感覚や激痛等の耐え難い苦痛を味わい、出勤してくる医師達を待つ間に造影CT等を済ませ、早朝から緊急手術になった。
時間が時間だけに予約で一杯の手術室は使う事ができず、処置室で全身麻酔無しの局部麻酔のみで手術を受けた。
意識全快の中、何をされているか手に取るようにわかった。
そして、初めて自分の臓器が動いている様を見て、字の如く感動・感激をした。
医師に頼んで記念撮影をして頂いた。物好きだね、君は一線を超えているよ、おかしいよ、と笑われた。
前回はドレンを抜いた後に問題が起こった為、今回は慎重に頼む、とお願いをした後にこの有り様だ(;´Д`)
術前から娘が風邪を引いている為、未だ妻と会う事も会話も殆どしておらず、Line等でやりとりをしているだけなので、唐突に画像を送ってみたが、返信はグロだけで覇気が無かった。

今日は緩和ケアの方達と今後についてのミーティングをした。
ある意味で、終末期へ向けての準備、といった感じだが、私のゴリ押し交渉のようなものだった。
今迄の経過等は後程に記す。
#26日に前回のOFF会で知り合ったピンパルさんが診察ついでに見舞いに来てくださった。
愛のあるプレゼントを頂戴しまして、まことにありがとうございました!!!!!!!

#MNPで携帯がデザリング出来なくなり、モバイルルーターが前回の記事をうpした直後に壊れた為に更新ができなかった。代替え機が本日届いたので、落ち着き次第、お食事日記がはじまるよー。

もっと読むに開腹後に縫合する前の写真を残す。
グロ注意。


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2014年11月23日日曜日

経過@不時着

手術日の深夜から高熱と血圧低下に悩まされた。
40度近い熱が約2日続き、血圧は上が70-80位で精一杯。
しっかりしなさい、と何度も言われ、心臓を押されたり、経験した事が無い数の点滴を同時に入れられていたが、昨夜のピークを境にやっと落ち着きを取り戻した。
辛かったorz

まだ画像を確認しながらの詳しい術後説明は受けていないが、癒着が酷くて動脈が千切れるリスクがある為に肝臓を持ち上げる事が難しく、胆・肝付近へのアクセスはできなかったようだ。
胃腸のバイパス・他の目標は達成し、腹膜播種は無く、腸を含め目視できる臓器は無事だろう、と簡単な説明を受けた。
お腹の中は膿だらけだったようで、お腹の中をしっかり洗浄してくれたそうだ。
術後の家族への説明時に、今後は痛みをとる緩和に励むようにアドバイスをされた、と言われた。

膵体尾部切除術をした時の膵液漏れに悩まされた日々に比べれば、現時点での痛み・苦痛は半分程しかない。
あの時は続けて3回手術をしたので余計に辛かったのだろう。
硬膜外と血管の2箇所からフェンタニルを注入できるようにしてくれているが、自らのプッシュは手術当日だけだ。
私の信頼を裏切らないフェンタニル様。

連日の高熱で喉が枯れて声を発する事は難しいが、今日はしっかり自分の足で立って病棟を歩いた。
4日前に離床したという私より10歳上の方を追い越してやったぜ('A`)y-~
医師・看護師からも若い上に慣れているから流石ね、と褒めて頂いた。
明後日位には点滴棒が無ければ病院を脱走できそうな勢いだ。
手術前に比べると、頭の回転、体調ともに結果は上々と言いたい所だが、課題は残ってしまった。
現象の移り変わりと思えば取るに足らない事だ。

ここ数日で深い場所に落ちてしまった。
孤独感を通り越して言葉では表現できない気持ちだ。
これはエゴの崩壊か。
体は何とかなりそうなので、早期退院を目指して頑張ろう。


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/Left Alone - Mal Waldron



2014年11月21日金曜日

手術当日@生還

たくさんのメッセージと応援クリックありがとうございました。
手術室で意識が戻った時に最初に発した言葉は、今何時ですか?、だった。
記念に傷の写真をもっと読むに貼っておきます。
派手にやられたぜ(^q^)



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