2013年3月31日日曜日

痛み、食事、睡眠について(01月下旬~3月)

食事
FOLFIRINOXが使えなくなる迄は、空腹感があり何も気にせずに健康時と同等の物を食べていた。
アブラキサンに変更した前後から、空腹感が殆ど無くなった。
食事量は3月に入り減少を始め、今時点では食べると吐きそうになる事がある。
無理に食べようと思わなければ、2-3日は食べずにいられそうだ。
食事制限を少しやってみたが、ストイックにしないと意味が無い上に、排便が順調なら必要が無いと判断した。 
色々と食事を試して来たが、子供に食べさせている物を自分も一緒に食べるのが一番だ。
腹6分目-8分目を維持した。

水分
摂取量は約1.5L-2.0L/1dayを維持している。
酒を飲んでも違和感や痛みは無い。
これだけが今の救いだ。

体重
体重は更に増えて、2月末迄にボトムから15kg戻した。
高カロリーの物を選び続けた結果だ。
食べると体重が増える、当たり前の事が嬉しかった。
3月に入ってから食事量が減り、体重も比例するように減りだした。
直近の血液検査を見ると、中性脂肪が多すぎる位になったので、食事量と体重の減少は気にしていない///

排泄・血(NEW!www
排便は食事毎にあり、少し下痢気味だが、便の色は状態が良い。
排尿は問題なし。
血尿・血便は2月中旬頃から頻度が増えた。
下からの出血はインクのように濃い色で、同じ姿勢を続けている時に限り、最近は膀胱が少し痛むようになってきた。
上からの出血(吐血)は鮮血で薄く、歯磨きや咳などで嘔吐く時に限る。
血液検査の結果は落ち着いているので問題視せず。

睡眠
睡眠は3月半ばまで8-10時間程だった。
娘ちゃんに合わせて22時-8時頃まで寝る事が多かった。
3月半ばから横になると、心臓や肺が苦しくて、2日に1度3時間程しか眠れない。
合わせて背中や肩が鉄板のように張る事があり、これも眠れない理由の一つのようだ。
座ったまま眠る事が増えた。
日中は娘ちゃんが容赦ないので、眠たくなってもタイミングを逃してしまう。
歩きながら眠る(意識が飛んでる?)事があったり、フリーズしたパソコンのように瞬間的に落ちる。

痛みと不快感と薬
2月中旬から食後に軽い痛みを背中に感じるようになった。
他は睡眠の欄に記入。
抗癌剤を始めてから(TS-1辺り)から徐々に物忘れをするようになり、今では直近で話していた事もわからず、話が噛み合わない事が気持ち悪い。クリアしようとして僅かに残る記憶を辿るが、情報がバラバラになり過ぎていて意味がわからず不愉快になる事が多い。重要な事は携帯のスケジュールに入れているので忘れる事はない。最初は人の話を聞いていないだけかと思っていたww
薬はゼローダ・セロトーン・デパス以外は服用しなかった。
止血剤は検討したが、抗癌剤と治療を天秤にかけて、限界まで頼らない事にした。

新しい問題点
血圧・心拍が安定しない日が続く。
少しの温度差で心臓がギュッとなり、体温調整もうまくできず、暑いのか寒いのか全くわからない。
1月から新メンバーになった4コンボ(肝臓付近が晴れたような痛み・背中の張り・肩こり・腹痛)が地味に辛い。周期は不定だが、理由は当たりがつき、ある程度は制御ができるようになった。
3月中旬から呼吸が困難になり、溺れるような状態に陥る事が多々あった。
呼吸は浅く早い事が多く、深く吸い込むとゴボゴボと音がする。
手術が決まってからは気が抜けたのか、足腰が一気に弱ってきた。
生まれたてのバンビのようにガクガク震えたり、腰が抜けたように座り込む事が増えた。
他に問題視している部分は、睡眠と吐血の欄に記入。
他にも細かい事は色々とあるが、思い出すだけでうんざりする上に、家族に言っていない事もあるので省略する。
抗癌剤由来のものが多いような気がするが、調べた結果と医者と話す限り(ストレートには言わないがw)は間もなく棺桶行きのようだ。
ただ、良いも悪くもメリハリがあり、娘ちゃんの対応で精一杯なので、あまり気にしていない。
抗癌剤優先の結果だと思う。

前回の問題点
1月上旬に感じた痛みは慢性的な物になった。
初期は回復に7日程かかったが、今では2日程で回復するようになった。

娘ちゃん
どこに行っても可愛い、お父さんそっくりね、と声を掛けられる///////
彼女の行動はできるだけ止める事をせず、上手にできれば拍手しながら上手にできたね、と褒めちぎって反復練習をさせ、失敗や格好悪い事をしても笑顔で頑張ろうね、と接し続けた賜物だ。
おかげで物覚えがよく、同い年の子に比べると成長がかなり早いようだ。
凄いねー、と褒めた時の、控えめなドヤ顔と笑顔が可愛いすぎる。
色々な素振りができるようになった。3月半ばからチュッやハーイやワンワン等の声も出るようになり、昨日はアチチも言えるようになった。
いないいないばあっ!の踊りも一通り踊れるようになった。
時計や果物等のいつも目にしている物は、絵や玩具を見せながら名前を教えると、時計は?と言えば時計を指さしたり、果物を置いている場所に連れて行ったりする。
一番最初に覚えた言葉は、チュッだった。私の事をお父さんやパパと呼ぶ人はいないので、何て呼ぶのか楽しみだ。妻の事はゴッド(神)と呼ぶように教え込んでいるww
2月頃からは1日の4/5は意思の疎通ができるようになり、今では◯◯を持ってきて、あそこに持っていって、と言えば、名称を理解している物なら言う通りに行動してくれる。
私が汲み取れない事でも、手を掴んで目的の場所に引っ張って言って指示をしたり、指差しで伝えてくれる。
足を轢かれてからルンバが怖くなったようで、私の腕を持って電源ボタンを入れようとする。これは自分が経験した事のない物に触れる時や、使い方を知りたい時にも同じ行動をする。私は彼女専用のダヴィンチのようだ。
この手を引っ張る行動は一日中で、私が辛くて横になっていても、眠れない毎日を過ごしていても容赦無しだ。
居酒屋の店員のように、はいっ!喜んでっ!!、と対応する私が悪いのだろうがw
しかし、この行動が私がくたばりそうになっても、力を振り絞る事ができる原動力になっているのは間違いない。
2月15日から念願のお散歩デートができるようになった。
試しに靴を履かせてマンションの屋上を歩かせてから2週間程は、玄関から自分の靴を持ってきたり、私の手を引っ張って外へ行こうとせがんできた。とことん歩かせて疲れさせる戦法をとってからは、外に行きたけど抱っこでいい、という感じになった。
歩き始めたばかりの時はバランスが安定していなくて、見ているこちらがハラハラして手を差し出したり掴んでも、段差や不安要素が無いと手を繋いでくれなかった。
一人で歩けるから放っておいてくれ!!、と手を振り払われた(;´Д`)
エイ!エイ!と手を上下に振りながら、ずんずん歩いて行く後ろ姿を見て、成長を嬉しく思うと同時に、彼女が人生を歩き始めた事を感じて、頑張れとしか言えない無力な自分を寂しく思った。

イケイケドンドン!!!エイ!エイ!
後ろ姿(T_T)立派になった!!外歩き2回めの写真。二人で歩いた一回目の外出は私だけの思い出。

3人だと自分から手を繋ごうと手を出してくる。
CM等でよく見る光景で、ハイハイご馳走様、という感じだったが、子供がやりたがる事を体験して初めて知った。

体調不良なので手抜きw 義母様再登場!!

歩き始めると同時に人見知りを始め、外で知らない人に話しかけられたり、1-2歳上の子が近くにいると、下や反対を向いて固まるようになった。特に男性が苦手のようだ。
このような状態の時の表情は明らかに不安を示すもので、私が大丈夫だよ、と手を差し出すと指をギュッと握る。
世の中そんなに悪い人ばかりじゃない。自信を持って笑顔でいればいい。
一日中歌って踊っている、ノリの良い強い君ならきっと大丈夫だから、誰とでもすぐに仲良しになれるよ。
離れ離れになるのはとても悲しいけれど、手術が終わったらたくさん遊ぼう(*´∀`)

The 2 Bears - Be Strong (娘ちゃんがドライブ中に見ているお気に入りの曲)


あとがき
心身ともに優れなかった事、事実が家族にバレると面倒だった事、娘ちゃんとの時間を大切にしたかった事等が理由で更新ができなかった。
やり始めた事が継続できないイライラ感が半端無かった(;´Д`)
やっと次のステージに進めそうだ。
馬鹿らしい話だが、同じ病なら誰もが欲しがるチャンスを、体の状態が悪いながらも、早い段階で手に入れた事を幸運に思う。
手術が決まる少し前から急激に体調を崩し始め、棺桶に両足を突っ込みながらも、手だけは万歳をして諦めずに這いつくばってでも出てやる、というのが現状だろうか。
その反面で、使える薬が無くなり、体調不良でも手が出せない状況もあって、死が目前に迫っている事を少しずつ現実視し始めた。
死んでもいいように準備が整え終わりそうな今、手術が無事に終わっても、自分の心境が良い方向に変化するのか疑問が残る。
余命を宣告された方のブログを見て感じていた事だが、どこか諦めていたり、社会復帰する事が怖かったりと、支援してくれている方々には申し訳ないが、私も例に漏れず同じような心境だ。
病気が発覚して治療を続ける中で、諦めてしまいたい時や、辛くてこのまま死んでしまいたいと思った事もあった。
生き続けようと漠然とした目標は持たず、目標をステージ化して細分化させて達成していく事でモチベーションを保ち、目標達成をゲームのようにする事で楽しみへと変化させた。一人バトルロワイアル状態だ。

我慢しないで不調を言え、と言われるけど、いくら考えてもそんな事はできない。
喉仏まで出てきても、飲み込める言葉なら出さないのが男だ。
それに、私のせいで泣くような事があったら、誰がカバーしてくれるんだ('A`)y-~
どんな関係性にせよ、死なないで、と何人もの女性に泣かれる事が、病気になって一番こたえた。MMKだぜ┐(´д`)┌
手術が無事に終わったら真面目に生きようw

後は野となれ山となれだ。自分の体と外科医を信じて祈るしかない。
やっと体の中がどうなっているかを知る事ができる。
転移があろうが、手術ができなかろうが、何でも受け入れる準備はできている。
あと少しだから頑張ろう。
エイ!エイ!

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5 件のコメント :

  1. 諦めるとか諦めないとか、とにかく今生きていればそれでいいじゃないですか!それだけでいいんです。
    これ以上頑張れだなんて、そんな酷なことは言えません。いちばんhdさんが自分自信のことわかっているはずですもんね。
    ただhdさん、娘ちゃんの記憶のなかには何としても残ってください(`・ω・´)
    こんなに聡明でハードボイルドで、それなのにとてもお茶目で愛
    らしくて、そして全会一致で親バカ認定されるだろうくらいに子どもさんへの愛情が満ち満ちているパーフェクトなパパ。周りをみわたしてもそうそういません!
    そんな素敵すぎるパパを、世界でいちばんちかしい存在の娘ちゃんが知らずにだなんてそんなことはあってはならないです。シェイクスピアでさえそんな悪趣味な筋書き考えつきません。そんなことあったら僕は神にガンつけまくってやりますよ!

    少し感情的になってしまって申し訳ないです、、
    hdさんの体調の安定、そして手術が少しでもよい方向に進みますように願っています。
    応援クリックおおめに押させてもらいます(`・ω・´)

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  2. まずは 今月の手術だけ考えようよ。ネ・・。
    そして 成功させたら 自分をほめよう。
    主人の手術してくれた医師がこう言ってた。
    大手術にも耐えて成功したのは、患者さんが頑張ったからだ・・と。
    そこからです。
    あなたのそばには メンコイ娘ちゃんがいます。
    もち 奥様も。
    イエーイ ずーと生きて生きてもっと娘ちゃんと遊ぼうね。
    今手術出来ることが1番うれしい事と思って。  
    応援してるよ。

    返信削除
  3. 手術の先輩、大目玉です。(勝手に先輩を名乗るな^^)

    実は私は本を書こうと思ってまして、まだ途中なのですが

    その一節をhdさんに読んでいただきたいと思い

    ほぼ、そのままコピペして貼り付けました。




    あなたは、トラブルに遭ったときにどう対処しますか?

    私は最初の熊本県での事業は失敗した。

    二回目、福岡に来たとき、あてにしていた売り上げが、リーマンショックで0になった。

    毎月、約100万の支払いがあった。

    資金繰りとはこんなにつらいモノかと思った。

    なにしろ、月末にやっと支払いを終えると、来月の請求書がやってくる。

    カネはない。

    借り入れは膨らんでいく。

    600万あった現金はすぐになくなり、600万ほど持っていたファンドも解約した。

    さらに、銀行から合計500万借り入れた。

    私は軽いうつ状態になった。

    息が吸えないという、パニック障害にもなった。

    このとき、私は3つの精神的なロジックを組み立て、それに従って、このトラブルを受け入れ、解決を図った。

    少しずつ事業は好転し、今では笑って話せるようになった。

    3つのロジックとは

    1、最悪の事態を想像する。

    私にとっての最悪の事態とは、会社を倒産させ、自分が破産することだった。

    2、どうしてもの時は、1で想像した最悪の事態を受け入れる覚悟を決める。

    会社を倒産させ、破産する。
    悔しいことだ。
    私のことを無能だとあざ笑うヤツがいるかもしれない。
    これまで支えてくれた妻にも申し訳ない。

    しかし、破産したって、命まで取られるわけではない。
    メシを食うには困らない。
    仕事はいくらでもある。
    バイトだって、運転手だって、やろうと思えばなんだってできる。

    事業はまた、やり直せばいい。
    借金だって5年たてばできるようになる。

    よし、ハラは決まった。

    ・・・とここまでを、毎晩、座禅を組み瞑想しながら自分に言い聞かせた。

    3、最悪の事態に至らないために、最善の努力をする。

    ハラが決まれば、やることは一つである。

    仕事だ。

    毎日、トラックに乗った。

    油まみれになった。(私の仕事は油をトラックに積んで走り回るような感じです。)

    少しずつお客さんが増えてきた。

    現金が出ていくよりも、入ってくる方が多くなった。

    1年で、メシが食えるようになった。

    2年で、営業黒字になった。

    3年で、トラックに乗らなくなった。

    あの時借りたカネは、去年すべて返し終えた。

    4年かかった。

    この経験はがんになった時に、おおいに役に立った。

    がんが発覚した時、私は

    1、最悪の事態を想像した。

    今回は最悪の場合は死だ。

    それがゲームの終わりだ。

    2、どうしてもの時は1の事態を受け入れる覚悟を決める。

    ひとは皆、死ぬものだ。

    少し周りより早めに逝くことになるが、それは運命だからしょうがない。

    3、最善の努力をする。

    がんに関する様々な本を読み漁り、情報を集めた。

    ネットも使った。

    週刊誌も読んだ。

    ただし、本やネットは5年以上前の情報である。

    学会に論文が発表されて、エビデンスが確立されるまで、薬であれ、治療法であれ5年はかかる。

    得た情報をもとに、九大病院の複数の医師に様々な質問をした。

    彼らはがんのプロ達である。
    現場の生の臨床経験から得られた知識、知恵が聞ける。

    こちらが、勉強をし、紳士的に敬意をはらい、科学的に質問すれば、丁寧に答えてくれる。

    病棟内のラポールの構築にも励んだ。

    ナースセンターに
    これ、ウマいんだぜ。
    と言ってケーキを差し入れた。
    受け取らないときは、
    オレ、糖尿病なんだけど、殺す気ですか^^?
    と言った。
    彼女たちは人助けをしたんであって、賄賂を受け取ったわけではない。

    ケーキを掃除のおばちゃんの前でナースセンターに差し入れた後、
    掃除のおばちゃんに
    ちゃんと、おばちゃんの分も用意してあるよ
    と言って別の美味しいお菓子を渡した。

    仲間を全員大事に。

    私は、2つのがんがあり、転移病巣(これは後に良性と診断された)もあった。

    九大の医師たちは多忙の中、科を縦断して私一人のために、毎日のようにカンファレンスをしてくれたらしい。

    看護師は献身的に看護をしてくれた。
    時には、1時間以上話を聞いてくれた。

    掃除のおばちゃんは術前、差し入れをしてくれた。

    こうして、私は手術に臨んだ。

    病との戦いは現在も継続中である。

    仲間のためにも負けるわけにはいかない。

    最も大事なことは、覚悟を決めることである。


    ここまで、抜粋しました。



    ケンカする相手で一番怖いのは、力が強いヤツではありません。

    何度、殴っても立ち上がってくるヤツです。

    メシはたくさん食っといたほうが良いですよ。

    私は、術後、15KG痩せちゃいました。

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  4. 応援しております。
    がんばって!がんばって!がんばって!がんばって!がんばって!!!!

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  5. こんにちは。うーたんです。

    上手く言葉に出来ないのですが、hdさんはそのままで。
    人間的にとても好きです。

    私はただただ、応援しています!!

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