2013年4月9日火曜日

術後経過 / 5日-6日

アップしていない記事があったのでアップする。
術後からトラトラトラの記事をうpするまでに、少しずつアンドロイドで作った記事だ。

4/8
手術室に入り、看護師に上司と弁護士の連絡先を渡し、術後にすぐ結果を伝えて欲しいとお願いをした。
快く引き受けてくれた。
すぐに横にされ心拍計等を次々に取り付けられていった。
全く心拍に変化がないけど大丈夫ですか?、と女性の看護師に聞かれたが、自分で選んでやっと辿り着い場所だから嬉しくてたまらないんだ、と答えた。
背骨の隙間の感覚が細いようで麻酔用の管がなかなか入らず、他の年配の方が呼び出されたようだった
局部麻酔を何度も打たれて背中の感覚は殆ど0になり面白かった。
痛み止めを入れますね、と言われて、手首の点滴から注入された。
超気持ちいいんだけどww何ですかこれ?、と聞くと、そんな事言われたの初めてだw、と返された。
その後すぐにマスクを取り付けられて、誰かの頑張ってください、という声を聞いて意識が無くなった。

気付くと狭いベッドの上で妻の呼びかけで目が覚めた。
結果を詳細まで聞いたが、いまいち説明が理解できず、同時に、死ねなかったのか、と思ったのは内緒。
思っていた程は痛くないな、と思いながら、予定通りの手術で目標を達成した事は認識して、早く家に帰れ、と言って、すぐ眠ったような気がする。
血栓防止用のマッサージ機が両足に取り付けられていて、これが非常に心地よかった。
右手に痛み止めのボタン、左手に看護師呼び出しのボタンを握らされ、右手ボタンを押すと気持ちよくて一瞬で眠れる、左手を押すとボストロールが現れた!!!!一気にテンションダウン。
可愛い子が売りの病院のはずなのに!!!畜生!!!と思ったのも内緒。
左手ボタンを押して、喉が渇いたので少し水を欲しいと頼むが、濡れたガーゼをくわえさせられた。
腹が痛くて便が出そうなのだがどうしたらいい?と聞くと、硬いゴムでできた小さな便器な様な物を尻の下に入れられた。ここから左手ボタンを押す事は一切無く、腸の不快感で目が覚めては右手ボタンを押すを朝まで繰り返し、仰向けで眠れる幸せを噛み締めた。

4/9
朝になると移動式のレントゲンが来た。
その後に担当医が来て簡単な説明を受けた。
要約すると肝臓への動脈にも浸潤があった。
限界まで剥いて癌組織(細胞診断で癌確定)を削いだが細胞レベルでは残っている。
よって術後の化学療法なりが必要になる事を説明された。
凄く残念そうで申し訳なさそうな表情をしていたが、信頼した方がベストを尽くしてくれた、他に言葉はありません、ありがとうございました、と言った。

しばらくすると準集中治療室に歩いて移動するように指示された。
下腹部に鈍痛が走るが、歩けない程ではなく、歩くと鳩尾を殴れたような息苦しさがあった。
やたらと明るい看護師に、担当するのでよろしくね、と言われた。
1日300cc迄は水を飲んで良いと言われたので、氷を入れた冷たい水をください、とお願いした。
この瞬間にやっと生き返った気がした(T_T)
その後はとにかく眠り続けた。
体温測定、血圧測定、血液検査、問診、全て適当。
見舞いもきてくれたようだが全く覚えていない。
眠たいから好きなようにやってくれ、何やられても何も文句は言わないから、と伝えて、歯磨きとトイレ(下痢)以外は殆ど眠っていたように思う。
お腹が張って自分の尻に手が回らず、看護師に拭いてくださぃヒヒ/////、とお願いをした。
そして初めてみる尿管、マイサムに管が入ってる(;´Д`)一気にやる気がなくなってひたすら眠り続ける事にした。
翌日に一般病棟に移る事を言われた。

この日から背中に入った麻薬の痛み止めと、高熱(連日38度後半MAX40度超え)を抑える点滴、麻薬以外の点滴による痛み止めの併用になり、幻覚に悩まされる日々が始まった。
汗をかいてシーツをびしょ濡れにしならが、熱と痛みと幻覚が苦痛過ぎて、背中に入った麻薬の痛み止めのボタンをプッシュし続けて、白雪姫のように眠り続けていた。
【ここで記事が途切れていたので、思い出して下記を追加】
夢を見ても妙にリアルで人や動物を殴り殺したり、何かから必死に逃げるような悪夢ばかりで、何十匹も天井から猫が私の上に落ちてくる姿が見えて、殴っては床に叩きつけ、少しでも身軽になろう、手を動かしたり、と現実と夢の狭間を往復する日々が3日ほど続いた。大好きな猫ちゃんごめん(TдT)

これ以降は自由がきくようになり、トラトラトラの記事にバトンタッチをした。
記事の順番が前後してしまうが、時系列で並べる事にする。

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