2013年8月6日火曜日

日進月歩 / リスタート!!

6月28日
生還した挨拶と今後の治療の相談の為に、化学療法を受けている病院に行った。
医師は私の得た結果をとても喜んでくれて、見た事の無いテンションと笑顔を見せてくれた。
手術のレポートを事前にFAXしていたので、治療の話になると一刻も早く治療を再開したいと思っているが、今の君の状態だと無理だから、体調が戻ったら再度連絡をくれ、と言われた。
診察が終わり採血をしていると、お願いがある、と言われて説明を受けた。
先生の頼みなら何でも応じますよ、と答えると、手術で口のオモリも軽くなったのか?、と笑われた。
後日、体調を崩し始めて辛かったが、約束通り医師の願いを達した。
その際に、28日の採血結果を見て、ちょっと怪しいね、と言われ、医師が考えている治療を伝えられた。
またあの辛さが戻ってくる、と思うと少しげんなりした。

#
手術で切り取った膵臓をパラフィンブロックで送ってくれば、分子標的薬が使えるか調べますよ、と言われたので、後日がん研にお願いをして送ってもらった。

7月2日
飲食が殆ど出来なくなった。
薬を飲む為に水を飲んでも吐き出しそうになり、薬が胃から無くなる時間まで嘔吐を我慢する生活が始まった。
回復を信じて、アイスクリーム、ジュース等の高カロリーの液体でしのぎ始めた。
ウィダーインゼリーならいけるだろうと思って買い込んでみたもが体が受け付けなかった。
ウィダーインゼリーは消化が良いと思っていたが、嘔吐したものを見て意外と消化が悪い事がわかった。


7月7日
アイスクリームやジュースも受け付けなくなり、地獄の5日間が始まった。
食べることは勿論、飲む事もできなくなり、前回入院した時の症状に輪をかけた酷い有様だった。
アヘンチンキを増量して吐き気止めと一緒に飲んで下準備をして、他の薬を少量の水で飲み込んで消化されるであろう時間まで嘔吐を我慢して胃液を吐く日が続く。
起きている間は1時間に2-3回吐くので、トイレ前の廊下で横になるような日があった。
痩せすぎて便座に座ると尻が痛くて、体の水分が全て水便で出ているような感覚を味わった。
上からも下からも黄色、緑の液体が出続け、尿は1日に100ccも出ない上に見た目は真黒で便器は赤茶色に染まった。
病院に行け、と散々言われたが、前回の入院前と同じ症状なので、入院してしまうと時間が無駄になる、自力で脱しない限り繰り返す、と思い拒否した。


7月12日
がん研の外科医の診察を受けた。
診察室に入るなり医師から、大丈夫か?、と言われた。
栄養状態は数値上だと良好だけど何を食べているの?、と聞かたので、今まで食べた物と直近の症状を伝えると、不思議だなぁ、若さかなぁ、と苦笑いをされた。
大丈夫ではないけど何とか生きています、死にそうなんだけど何とかなりませんか、と訴えると、採血結果を見ながら、入院を強く勧める、このままだと死ぬよ、とあっさり言われた。
入院をして現状が大きく変わる処置が出来るのか?、と問うと、水分と栄養補給程度しかできない、と言われた。
それなら自力で何とかしたい、薬について調べてきたのだが、と言うと、私は外科医なのでこれ以上の知識はない、漢方サポート科に良い先生がいるので、ホームランを期待して受診してみたら?、と言われた。
人気がある先生のようで、PCから予約がすぐに取れないから後日にしようかと言われたが、念の為に外科医が漢方サポート科の医師に直接連絡をすると言い、そのような状態なら今から見ます、と言ってくれたそうだ。
外科医が忘れているようだったので、お腹のパイプはどうしたらいいですか?、と問うと、まだ少量の膿と出血があるが、そろそろ大丈夫だと思うからついでなので外しましょう、でも普通はカラカラに乾いてから外すんだどね、と不安材料を言いながらパイプを抜き、パイプが抜け落ちなちないように縫いつけていた糸を抜糸した。
抗癌剤治療についての話題も出たが、今の状態で抗癌剤なんて死んじゃうよ、と言われた。
診察室を出る時に、いつでも入院できるようにしておくから、限界だと思ったらすぐに入院しなさい、と言われた。

漢方サポート科の待合室に移動をして30分程待った。
担当医は著名な方で、診察室に入ると助手が2名いた。
外科医から連絡が入ってすぐに3名で私の履歴を見てくれて、色々な事を想定して私を診察室に呼んでくれたようだ。
現在の症状、改善要望、今後の治療予定等を細かく聞かれた。
数字だけで判断をせず、人の話をよく聞いて、細部まで汲み取って理解をして話したり道を広げてくれる、経験豊富な先生という印象を受けた。
血液検査の結果は栄養状態の割には良好だが、赤血球濃度が高く脱水状態にある事を指摘された。
排尿の状態を伝えると、このままだと数日以内に腎不全になり、透析が必要になるよ、入院をして点滴をしなさい、このままだと死ぬよ、自分でも限界がどこかはわかっているよね?、と言われた。
前回の入院時の症状と同様で、食事より水分摂取に問題があるのは明白だと思うので入院するつもりはない、自分で点滴が必要だと感じれば自分で対処するので今日は帰ります、と答えた。
薬について調べてきたのですが、と処方して欲しい薬を伝えると、処方薬の見直しをしてくれた。
術後から調理された物を食べると、味をバラバラに感じてしまい何を食べても美味しくない、と伝えると、電位?(自分のメモ書きが汚くて読めない)の問題かな?。もう少し様子見をしてみてください、と言われた。
嘔吐については胆嚢が無くなり、胃の動脈を再建して胃がゆるい状態で、胆汁が胃に逆流してのものかもしれない、とコレとコレと薬を勧めてくれた。
漢方はおまけ程度に出しておく、と言われた。
一日最低でも300ccは排尿をする事、後2日排尿が無ければ連絡をする事、明らかに問題があれば連絡をするので採尿をして帰るように、と言われて診察が終わった。
採尿が終わって会計口に向かおうとすると、医師と見習い医師が私を探していた。
水とポカリスエットでは水分が足りないと思うので、腸が吸収しやすい水の作り方を教えてやる、と言われてメモ書きをもらった。
WHOで認定されている水のようで、今流行りのOS1に似ているようだ。(後日の診察で電子カルテを除くとOSの作り方を教えたと記入してあった)
排泄した分だけ飲んでいれば脱水にはならないから、と言われた。
挨拶をすると助手の方に、随分と詳しいようですが医療従事者ですか?、と聞かれた。
苦笑いをして違います、今日はありがとうございました、と答えたが、心の中で必死なだけだよ(;´Д`)、と思った。

プロ2名に死ぬよ、と言われると流石に少し不安になった。
が、自分の考え通りの新しい武器をもらえた事で2-3日内に結果を出せばいいだけだ、と思えた。
相変わらずプラス思考の自分が大好きだ。
ポジティブシンキングは愛情に守られ、ネガティブシンキングは真実に守られている!!!!

・処方薬(服用している薬)
アヘンチンキ(麻薬)
カナマイシンカプセル250mg
コレバイン錠500mg
パリエット
リパクレオン(自己判断で中止中:ガスが溜まる為)
漢方 ツムラ半夏瀉心湯エキス顆粒
漢方 ツムラ芍薬甘草湯エキス顆粒
*自己判断で追加:ガスモチン
*レンドルミンD錠0.25mg

*メモ WHO認定経口消液(消液が正しいか不明、字が崩れていて読めない)
1、水1L 2、オレンジジュース100%を100ml 3、食塩4g 4、重曹(ベイキングパウダー)4g、を混ぜて飲む 


7月14日
嘔吐が寝起きの下痢後の1回だけになり、少しだが飲食ができるようになった。
処方してもらった薬が当たった。
呼吸も一日の殆どは違和感を感じず、自分が思うように呼吸ができるようになった。


7月15日
前日に増して体調が良くなっている事を感じた。
術後、初めて腹が空いたと思った。
無性に肉が食べたくなり、近所のケネディーに行き、後は野となれ山となれ、と思いながら脂身の少ないステーキをチョイスした。
肉80gを完食、サラダを完食、小さなパンを1個食べた。
旨かった。
体調不良にもならなかった。
この日から調子に乗って何でも食べ始めた。


7月17日
この為に体調が回復し始めた事は間違いない。

妻の手術に立ち会った。
約5時間の手術は無事に終わった。
彼女がしがらみから開放された事を嬉しく思う。

術後の妻に、不安だから一人にしないで、と言われた。
心の底から不安がっている彼女を出会ってから始めて見た。
ゾクゾクした。

おつかれ。
仲間入りを心から歓迎する。
言葉では上手く伝えられないので、この曲を一字一句一音残さずプレゼントしたい。

/hide-限界破裂 - 歌詞


7月18日
がん研の漢方サポート科の診察を受けた。
体調不良で4時間待ちはきつかった(;´Д`)
診察室に入ると、生きていましたか、というようなニュアンスの言葉を投げかけられた。
薬を飲んでみてどう?、と尋ねられたので、食事量が増えて嘔吐が止まりました、と答えた。
嘔吐が酷い時に、胃に原因があるのは明らかで今まで処方された胃に関する薬を色々と飲んで試した結果、ガスモチンを飲むと多少は落ち着き食欲も少しは出た、と伝えると、ガスモチンは下痢の症状が出る事もあるから新薬を試してみよう、と言われた。
東大でも診察をしているそうで、私と同じ症状の方がいると教わった。
少し希望が持てた。

・追加した薬
アコファイド錠100mg


7月20日
一日1食だが思春期の少女並に食べる事ができるようになり体が安定し始めた。
食べる分だけ排泄があるのは当たり前と改めて気付き更に自制心が強くなった。
食事は食べたいと思う物を食べて摂取カロリーを高め始めた。
魚を全く欲さない。


7月25日
腹の穴が塞がり、ガーゼとテープから解放された!!
しかし、一昨日まで少量の膿が出ていたが大丈夫か?、と思いながら、パイプを抜いた時に医師から言われた言葉を思い出した。
「穴が塞がっても膿と膵液が出続けるなら、炎症を起こして熱が出るし、2回目の手術前に近い状態になるからわかるよ、不調を感じたらすぐに電話して。」
orz


7月28日
栃木県岩舟町の高勝寺で護摩焚きをしてもらった。
今回で護摩焚きをしてもらうのは3回目だ。
前回は御礼と、手術に持ち込めるように。
今回は娘ちゃんが無事に成長している御礼と、手術に持ち込めた御礼と、今後再発しない事と、家族の健康と、商売繁盛を願った。
住職は、ぇえっ!?そんなにっ!?、という表情をしていたが、欲が出てきたのは元気になっている証拠だ。

護摩焚きの用意をしている間に、一人で本堂にお参りをした。
賽銭箱に四十五円を投げ入れ、上記と私を応援してくれた方(ブログに関わってくれている方も!)の幸せを願ってきた。
こう言っては失礼だけれど、根っからの無神論者なので、護摩焚きをして貰いながら、信念こそ力、と自分の願いを体の芯に覚えさせた。
1回目のお参りは山のふもとから寺まで階段を登ったが、2回目と同じく今回も寺のすぐ下まで車で上がった。

#
道の駅で娘ちゃんに玩具を買ったが帰宅中のSAで壊れた。
(娘ちゃんの立場から見ると壊された、になるのかなw)
帰りにホームセンターに寄って修理する部材を買った。
自分に関係の無い事は後回しにしがちな性格だが娘ちゃんの事は別だ。
帰宅して娘ちゃんが壊れた事に気付く前に直そうと思ったが、娘ちゃんが修理を手伝って(邪魔?)くれた。

蝶々は娘ちゃんがそれが何かをしっかり認識して、初めて誰にでも伝わる発音ができた存在だ。
蝶々の歌も大好きで、お絵かきをする時も、チョウチョ!(を書け)、と言ってくる。
この言葉を覚えた時は、チョウチョ!チョウチョ!、が外に行こう、の誘い文句だった。
良い思い出。


とても気に入ってくれたようで雨の中もお構いなしに、まだ帰らないと遊び続けた。
車に乗る時に手放さずに乗り込んだせいで蝶と持ち手の棒がさようならをした。
穴を3箇所あけてステーをボルト・ナットで固定してビニールテープを巻いた。
この部分は二度と壊れないだろう。


8月2日
がん研の漢方サポート科の診察を受けた。
前回のおさらいをして経過を報告した。
これ以上の改善は現状だと難しいだろうね、時間が解決してくれる事を祈ろう、と言われた。
自分でも後は体任せだろう、と感じていたので、特に突っ込んだ話はしなかった。
採血結果と直近のCTを見て処方薬を更に見直した。
水便が少しでも治まるようにロペミンを追加してくれて、ビタミンが足りていないだろうからと2種類出してくれた。
何だかよくわからないけれど、たいしたもんだね、と褒められた。
長期に渡る点滴のせいかもしれないが、脂肪肝だね、シソ油や青魚から油を積極的に摂るように、と指導された。
次回の診察は月末になったので、安定期?に入ったと判断する。

・追加した薬
ロペミンカプセル1mg
25mgアリナミンF糖衣錠
調剤用パンビタン末

ここまでの薬の結果:
下痢については現時点で変化無し。
他の処方薬については体感無し。
食欲が若干増した、気がする。(薬のせいではなく、運動量増加のせいだと思う)
アヘンチンキ・アコファイド・パリエット・ロペミン・カナマイシン・コレバインだけで当面の間はやっていけそうだ。

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前回の退院から約一ヶ月半が経った。
やっと体が安定期に入った。
明日から抗癌剤治療を始めるので、一区切りとしてブログをアップする。

退院後1週間は入院をして充電したエネルギーで命の危険を感じない生活を送れていたが、補充したエネルギーが無くなると振り出しに戻った。
入院をして一時的に回復をしても根本的な解決にならない事を痛感した。
常に脱水症状で腎不全気味になり尿は黒く、脱水のだるさ、相変わらずの食欲の無さで、正に身を削っての生活が続いた。
低血糖の症状も何度か出てしまい、泣きっ面に蜂で限界を感じる事が何度かあった。
7月中旬まで寝たきりに近い状態で、動く事もままならず筋肉は必要最低限を残して無くなり、退院してから体重は最高で約15kg落ちて、一時は40kg台に突入した。
今まで見た事が無い骨が浮き上がってきたり、肉と脂肪が減って座ったり横になって一定の体制をとると体が痛い。
入院中に見舞いに来てくれた人達に会っても、誰かわからなかった、随分変わったな、と言われる。

退院後から約1ヶ月の間に特に苦しんだのは吐き気で、食事は勿論の事、水分をとっても嘔吐する日が続き、最長で5日ほぼ飲食ができない日が続いた。
食べていないので、吐いても緑色・黄色の液体(胆汁や胃液)しか出てこず、喉が焼けるように痛かった。
これは後に薬と体内バランス(特に水分)を正す事で回復したが、腫れ物を触ったかの如く、少しの振動でも吐きそうになる気持ち悪さが続く日々はとても辛かった。
現時点で他の大きな不調は術後から続く下痢で、アヘンチンキを飲み忘れようものなら、腸やら何やらがうねって雑巾をしぼるかの如く腹の中が締め付けられる。
約4時間毎に飲むアヘンチンキの効果が無くなるにつれて、直腸がソワソワして一気に腹が痛くなって下る。
水便でおまけ程度に食べた物が米粒のような状態で出てくるのは変わらず、色々と薬を試しているが若干改善された程度だ。
まだお漏らしも無く、オムツの世話になっていないので、せめてこれが現状維持できる事を願う。
胃から下にガスが溜まりやすい体質のようで、まずはここに注視していきたい。
時間と若さが解決してくれる事を願う。

去年に自分が瀕死の状態だと認識した時に、食べるか食べないかで自分の命の期限を決める事ができる安楽死の自殺許可権をもらった気分になった。
今回も以前と同じく、食への興味を失い、噛む事すら面倒になり、日を増す毎に衰弱していく体と精神は、このまま死にたい、と思わせた。
胃が殆ど機能していない状況で食べたいと思う事すらなかったので、この気持ちは去年の絶望的な立ち位置の時よりも強く、嘔吐が止まらずにトイレの前で寝込みながら言葉になって口から出てきた。
去年は立ち位置は悪くても、チャレンジできる治療が少なからずあり希望があったが、今回は医師に相談をしても症例が少なくこれ以上の対応ができないと言われ、今迄の経験と知識からは希望を持てず、知と未知との狭間の葛藤に悩まされ続けた。
そんな心とは裏腹に、生きようとする本能は非常に前向きで、やる気の無い頭と体を明るい場所へ導いてくれた。
一番弱っている時は室内でも一歩踏み出せ、あともう一歩と思いながら歩いていた。
回復を明らかに感じだしても、外を歩いても老人にぶっちぎられ、歩くのが遅くて娘に引っ張られるような始末だったが、食事が採れるようになると約3週間で小走りできる程度まで回復をした。
体調が上向くと同時に、今更ながら概念における真実と誤解を理解して、死んだら地獄、生きるも地獄、どちらにせよ地獄なら、生きてもっと先にある何かを見たい、と思えるようになった。
周りから見ると虫の息のようだったようだが、試行錯誤しながら確実に一歩ずつ前進できた。
食事量・運動能力は健康な人と比べると足元にも及ばない現状だが、自力で飲食ができて、行きたいと思った所に行けるようになってきただけでも御の字と思わねばならないのだろう。

食事は退院してから基本的に一日一食が続いている。
最初は味覚がおかしくて食べる気がわかず、それに加えて下痢と嘔吐を恐れてからの事だったが、術後にできたこのサイクルで体調が安定しているので特に考えない事にした。
BMIはぎりぎり標準値内に戻り、ホウライエソっぽいが今の姿が気に入ったので現状維持できるように努めたい。
8月に入り味覚は普通になり、匂い・味が合わないという事で食事が摂れない事は無くなった。
もう、目で食べる生活には戻りたくない。
食のボキャブラリーは豊富なはずだが、体は肉・揚げ物・生野菜と、癌患者・消化器に不具合がある者の食事メニューには相応しく無い物ばかりを欲する。
旨いものはカロリーが高く、まずかったり特に何も感じない物はカロリーが低く、無理矢理カロリーを高めている物は体の負担になる事を体がしっかり体感した。
一日何回にも分けて食事をしろだの、体の負担にならない食事だの、そんなのは今のところはクソ食らえ。
食べたい時に体が欲するものを食べろ、しかし量は考えろ、野菜はなるべく多く摂れ、脂身の肉はやめておけ、これが今の私の中にある決まり事のようだ。
化学療法を再開するとまた変化があるだろう。
一日2食はいけるようにならないと人付き合いもままならないので改善したい。
水分摂取はポカリスエットと水が主で、尿は一日500-1000mlは出るようになった。
基礎代謝分のカロリーは未だ摂取できず、水分量も少なくて喉の乾きを感たり、尿が濃くなる日が多い。
まだまだ先の話になるが、水分を吸着しやすい物も口に入れるように気をつけたい。

術後4ヶ月になるが未だに化学療法を再開できていない。
自分では大丈夫、と思える所まで体力が戻ったので、明日から化学療法を再開する。
遅くなってしまったが、幸いにもマーカー値は基準値内なので、いつものギリギリセーフになる事を願う。
今でもジャンキーみたいなものだが、また抗癌剤ジャンキーの生活が始まる。
この体調に抗癌剤の副作用がプラスされるなんて考えるだけで萎える。
仕方がない事もあると割りきろう。

まだ出社ができず、病院帰りだったり出掛けたついでに会社に寄って会話をする程度だが、やっと出社できる準備ができてきたように思う。
色々とリミットを感じたので、化学療法を始めて体調を見ながら出社する事に決めた。
とりあえずは今の段階で毎週月曜日は出社する事にした。
迷惑を掛けるだろうが、自分に出来る事を頑張りたい。
要所要所で餌をくれる皆様どうもありがとうございますw

!!娘ちゃん!!
娘ちゃんは赤ちゃんから幼児になった。
私から見た赤ちゃん時期の娘ちゃんの印象は、赤ちゃんがヨチヨチ歩きをしている等の甘っちょろい表現は似合わない、生きる為に日々ストイックにトレーニングをする一流選手のような人間の形をした獣だった
ストイックな日々を過ごすモチベーションは、向上心というような高尚なものではなく、好奇心や本能に刷り込まれた目的を達成する事の快感の為なのか、と悦に浸っている娘の表情を見て思う事があった。

最近では、試行錯誤して目の前の課題をクリアしたり、自分で道具を使って食事を楽しむようになってきた。
自分一人でできない事は、身振り素振り宇宙語でどうしたいと訴えて、人の手を借りる事を覚えた。
補助便座を買ってからは、ベネッセのしまじろう教材に更に感化され、排泄した事を伝えてくるようになり、トイレに連れていけと表現するようになった。
まだ排泄前に便意を伝える事はできていないが、しー(尿)・おしり(便)という言葉と動作で便意を伝えてきた時はおむつをつけたまま補助便座に座らせて練習を始めた。
排泄の真似が終わると、ウォッシュレットのボタンを押して、トイレットペーパーを引っ張って拭く真似をしたりと、準備は万端のようだ。

言葉も発し始め、娘ちゃんからの意思の伝達は9割方は理解できるようになってきた。
毎日新しい言葉を覚える彼女が眩しすぎる。
単語は様々な物を理解しているようなので、根気強く助詞を教えていけば思ったより早くに会話ができそうだ。
とは言っても、彼女の話している事は私が一番理解しているようで、自分の意思が伝わらない時は私を引っ張って翻訳をしろ、とアピールしてくる。
しっかり発音ができている言葉の中で一番可愛いものは、自分で開けられない物を持ってきたり、扉等の普段は禁止されている所まで手を引っ張り、あ け て、と間を開けてしっかり発音してくるものだ。
これを言われてしまうと、娘ちゃんには好ましくないものでも開けてしまう。
まだしっかり発音ができていない言葉の中で一番可愛いものは、抱っこをして欲しい時に両手を上げて、あ っ こ、と間を開けて何故か恥ずかしそうに小声で発音するものだ。
体調不良でもこれをやられて抱っこせずにはいられない(^ρ^)
私や妻に対しての固有名詞は未だ発せられる事はないが、妻の母に対しては、おばあちゃん、と発するようになった。
外では◯◯ちゃんパパ・ママと呼ばれる事はあるが、私と妻は互いに名前で呼び合っているので、私達の事をどのように呼ぶか楽しみだ。
DQNっぽいがニックネームか名前で呼ばれたい。
それが叶わないのならせめて、お父ちゃんかオヤジと呼ばれたい。
パパとかまじ勘弁だ(;´Д`)
自分がパパと呼ばれている事を想像するだけで恥ずかしい。

幼児に成長すると同時に私との関係性も変化した。
今までは奴隷のような扱いで、自分の欲求を満たす為には手段を問わないような姿勢だったが、私が入院して留守をしている間と、退院後は寝込んでいる私に無視に近い対応をされて幼心が傷付き、彼女なりに何かを思い大きく成長したように感じる。
私の体調が悪くて横になっていると、近寄ってきて一緒に横になったり、近くに玩具を持ってきて一人遊びをするようになり、起きろ、遊んでくれ等の無理強いをしなくなった。
私が元気そうにしていると、以前と変わらず抱っこしろとせがんだり、一緒に遊ぼうと玩具のある所に引っ張っていく。
知性の無い獣が人に成長して、幼いながらに論理感を学び、場の空気を読む事ができるようになった証だ。
私の扱いも上手くなり、抱っこをしていると片手で私をしっかり掴み、片手で私の頭や顎を撫でながら、あっち、こっち、何をしろ、あれを取れ、と指示をしてくる。
私以外の者と外出をすると殆ど自分で歩いているそうだが、私と出掛けた時は歩き飽きるとすぐに抱っこをしろ、両手を上げたりしゃがみこんですぐに動かなくなる。
彼女の欲求を満たさないとしつこくされるのが面倒くさいと思っているので、クレームは出る前に想定して処理!!の精神で行動している気なのだが、娘に対して甘いと言われる。
他にも要素があり、それに全く自覚が無い自分が招いている事なのだろう。。。

最近は夢の中でも娘ちゃんと一緒の事が多い。
夢でも私は娘ちゃんを抱っこをして守る役目ばかりだ。
与えるだけで自己満足をして、子供に対し色々とやっているんだという思考を持つ脳足りんの親が多い世の中だが、彼女だから何かを創れるという存在になれるように、私の拙い知識と経験でも継承できるといいな。
想像するだけでハラワタが煮えくり返りそうになるが、彼女を大切にしてくれる人が現れるまで、ずっと彼女を守り続けられる、いつでも頼られるよき理解者でありたい。

日に日に可愛さと憎さが増していく。
奴隷でもオマケ扱いでもいいから、ずっと娘ちゃんのそばにいたい。

檜原村で初めての川原遊び。
凄く楽しそうだった。
未知との遭遇。
私が寝ていると、一人で遊び疲れて眠ってしまったそうだ。


膵臓癌と診断をされて、余命を伝えられながらも自分には関係ないと思い、治療を始めて約一年が経過したが、病は気からと常々思う。
好きな言葉の一つの、できるか・できないか、ではなく、やるか・やらないか。
生きるか・生きないか、を決めるのも自分自身。
どこで一区切りをつけるかなんて人それぞれだけれど、失敗は許されないので、小さなチャンスを逃さず、自分が決めたポイント迄は歩き続ける。

膵臓癌と伝えられた時、抗癌剤治療を始めた時、自分に使える抗癌剤を探していた時、抗癌剤の効果が殆ど無くなってきた時、家族に黙って治療をしていた時、手術ができると言われた時、手術の為に入院をした時、手術をした後、入院中、退院をした後と、目に映るものは同じはずなのに、見え方・感じ方がその都度に変わっていった。
明日の夕方にはまた何か変化を感じるだろう。
夕焼けが綺麗だった。
今日は海を見ながら少し考え事をした。
さようなら、今日までの自分。
退院をしてから今迄の自分はあまり好きでは無かった。
頑張れ。

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この先グロ画像注意。腹のパイプがあった部分のビフォアアフター画像。

2013年6月19日水曜日

退院 ~ 診察3回 ~ 再入院 ~ 退院前日 / 病理結果、手術レポート

5月31日 入院57日目
予定通りに退院をした。
一度もテレビを見ることが無かった自分は今時の子なのかw
医師達からは辛ければ遠慮なく戻ってきてください、と言われた。
お気に入りの看護師を筆頭に、仲良くして頂いていた看護師達に見送られた。
HCUにも挨拶に行くと色々な所から人が出てきてくれた。
会計を済ませて、薬を病院付近の薬局で処方してもらった。

外に出て一番強く思った事は、女性が色とりどりで華やかという事だった。
外最高(^ρ^)

会社に立ち寄り、挨拶をして帰宅した。

無事に生還した(TдT)

娘ちゃんは素っ気なくて、照れているのか無視に近い状態だったが、抱っこをして少し遊んで笑わせてあげると、すぐに以前の関係に戻った。
入院する前に比べると、人間らしい事がたくさんできるようになっている。
一番可愛いと思った事は、玩具を探す時に、○○が無いねぇ、と言うと、ないねー、とオウム返ししてくる事。
ベッドに寝ているとすぐに起こしに来る。私が起きないと指をつかんで、イヤーイヤーイヤーイヤーとしこを踏む姿に萌える。
機動力は入院前の2倍程になっていて基本的に小走りだ。体力ありすぎで半端ねえ(;´Д`)
親子3代に渡ってツンデレらしい。

我が家の食事は娘ちゃんがベースなので病院食並に健康食だと思うが、自分の我侭で揚げ物を食べて撃沈した。

吐き気と下痢がなかなかおさまらなかった。

体力の無さが目立つ。

自宅まで3階の階段を上がるのも犬のようにハッハしてしまう。
帰宅して困った事は寝る時に支えが無い事だった。
病院だとベッドをリクライニングして自分の都合の良い姿勢で快適に寝る事ができた。
これは抱きまくらを上手く使ってやり過ごせた。
コの字かL字形の固めの抱きまくらが良い。
ベッドに慣れるとうつ伏せで眠れるようにもなった。

正常時の半分ほどしか呼吸ができず、食事も満足に摂れずに下痢が続く。

入院中の前向きな気持は全て吹き飛んだ。
退院はもっと目出度いものかと想像してたが、あれだけ心待ちにしていた病院の外の世界は、思っていた程に居心地のいい場所ではなかった。
凄く孤立した気分。
自由こそ至高('A`)y-~


6月4日

退院して初の診察。
シャバの空気は辛いでしょ?、と医師に言われた。
高齢なら家に帰していない、若いから自由にしてもらっている事をよく頭に入れておくように言われた。
正直、普通に生活して診察に来ることに驚いている、とも言われた。
抗癌剤についても話題に上がった。
資料無しでは判断つかないだろうから、病理検査と手術経過をおさらいして確認しようと、二人でモニターを見た。
病理検査はレポートが上がってきていなくて、催促しておくと次回に持越しになった。

毎日、娘ちゃんに小間使いにされて辛い。

私が近くにいないと怒ったり泣いたりしてうるさい。
でも可愛くてつい相手をしてしまう。
というか、私の言い分なんて聞いちゃいない(;´Д`)

体力が無くて自分の予定をこなせない。

腹からも膿は出続けていて、胸水を抜いた後が放射状に痛い。
中途半端に肺が膨らんで引っかかりながら萎む感じ?表現しにくい。
毎食後と夜中に2-3回は下痢があり、一日に摂る食事と水分の量は少ない。
下痢を恐れて水分摂取ができない事を改善しないといけない。
体を傾けて横になっていると、すぐにガスが溜まり腹が痛い。(ガスモチンかリパクレオン??)
退院してから日に日に体調が悪くなっている。





6月10日

読みたい本があっったので病棟に上がって読もうと思い、エレベーターを降りると遠くから主治医に声を掛けられた。
診察室ではなく、病棟で診察等をしましょう、少し待っていてください、と言われた。
病理検査と手術経過のレポートをプリントアウトしてもらった。
病理検査結果は膵臓癌、膵臓付近のリンパ節に転移があった(切除済)、肝臓の動脈はかなりグレーで抗癌剤での治療が必要という事が身にしみた。
実は、まだ心の隅に悪性の癌ではないのでは??、と思っていたが、そんな思いは微塵もなく崩れ去った。
術後いかに早く化学療法ができるかが私の今後を大きく左右するだろう。
タイムリミットは間もなく(^ρ^)
私もサバイバーと言われる人達の仲間入りだ。

血液検査の結果は炎症値が上がっていて、膵液漏れが止まっていない現状だと問題だ。

抗生物質と炎症止の薬を処方してもらい様子見をする事になった。
食事が満足にとれない事と、炎症値が上がっている事から入院を勧められたが断った。
腹からの膿を効率よく出すために、青いゴムのパイプを腹にさされた。
(このパイプは娘を抱っこして何度か床に落下した。水道で洗って腹に挿し直す様は異様だ。)

会社に5時間ほど居てみたが、
低血糖になり、帰宅して発熱した。
糖分を補給すると復活する様はロボットのようだ。
疲れたっぽい(;´Д`)

家にいると横になっている事が増えてきた。

胸水を抜いた付近の痛みで呼吸は普段の半分程しかできず、腹はガスで膨れて苦しく、食事が満足に摂れないのでふらついている。
お腹はずっとグルグルして明らかに脱水気味になっている。


病理検査結果と手術のレポートは下部のもっと読むに貼る。
私のものだけど今公開するのはよくなさそう??、なので数日で削除する。



6/14

青ゴムのパイプが落下しないように局麻をして縫われた。
3日前から食後に吐いたり、夜中に酷い下痢になって吐いている事を伝えた。
血液検査上は問題無いが、少しふらついていて顔色も良くないので入院を強く勧める、と言われたが、具体的な症状が出ないとどこにいても同じなので一度帰宅すると言い、点滴をして帰宅した。
医師も基本的に同じ考えなので有難い。

退院2週間目にして、やっと重い腰を上げて、化学療法をしている病院へ連絡を入れて必要な資料をFAXした。

腰が重い理由は、効果的な薬剤が自分ではみつからないからで、これは医師も同じ気持ちだろう。
どのような応えをしてくれるかわからないが、17日月曜日に医師と面談をする事になった。
きっとこの好評価のレポートを見て医師は喜んでいるはずだ。


6/15

夜中から嘔吐が止まらず、緑黄色の液体(胆汁)を吐き、下痢も黒だったり緑色で完全にダウンした。
バッテリー切れ。
病院に連絡をすると、午前中なら医師も皆いるので、救急車でもいいから病院に来るように言われた。
自力で行こうと1時間ほど様子を見たがタクシーの縦揺れには耐えられないと判断して救急車を呼んだ。
HCUの知った顔の看護師がフランクに迎えてくれた。
採血とレントゲンをしてベッドに座りながら吐き、CTを撮り造影剤の気持ち悪さでまた吐いた。
CTを見るまではお腹の膿が原因かと思っていたが違うようだ、急性胃腸炎かな?、と言われた。
転移は無いようだ、と一々言葉が重たい。
吐き気止め、胃薬、輸液を24時間点滴で入れ続ける。
絶食になる。
今回の入院目標:
一連の原因を調べる
排便のコントロール
吐き気のコントロール

よくこの状態で2週間頑張った。

私だけは自分の事を褒めるよ。
自分にしては上出来だ。


6/16

一日中点滴漬けだった。
何もやる気なし。
絶食。


6/17

胃カメラとレントゲンを撮った。
どちらも問題はないと思う、急性胃腸炎でしょう、食事から細菌に感染したのかもしれない、と言われた。
食べるものにより一層気をつけよう。
化学療法をしている病院に予約キャンセルの連絡を入れた。
娘ちゃんがお見舞いに来てくれて、5階の庭園でおやつタイムをした。



24時間点滴は終わり、翌日から2本だけの点滴に決まった。
吐き気は殆ど収まって体調も回復した。
吐き気のコントロールは内服薬で行うことになった。
絶食。


6/18

特に無し。
食事が始まり、昼夜と通常食を2割程食べた。
写真を撮り忘れた!アウチ!
排便のコントロールでアヘンチンキを1.5倍にして、以前飲んでいたタンニン酸アルブミン・アドリソルビンを夜だけ追加する事にした。
朝0.75 昼1.25 夜1+粉薬の割合で飲んでみよう。


6/19

朝の回診時に食事がとれている事と、昨夜から飲みだした薬のお陰で酷い下痢にならずにすんでいる事から、明日の午前中に退院する事が決まった。
使える武器は渡しているから自分でうまくやれ、といった感じだ。
今回の入院で初めてお気に入りの看護師が担当になった。
病室がいっぱいで、喉の病気の方達と同じ病棟に3日いて、以前と同じ病棟に戻されて2日目だ。
さらっと言ったぜ、連絡先を聞き忘れたから戻ってきたとwwwwww
この言葉に対しての御礼が有難いwwwwうはーwwww
笑顔で迎えてくれたww愛ですww

夜に医師(天使君)が来て、また同じ症状になったら泊まりにきてください、と言ってくれた。
胃腸炎という事にしておきますが、今回の件でよくおわかりになっただろうから、自分でうまく調整してやってくれと言われた。
何となくしかわかんねー(;´Д`)

帰る支度を済ませているのだけれど、



ベルトが病室に来る人の目にとまるようで可愛いと多数の人に言われた。
これは娘ちゃんが大きくなるまで今の品質を保ちそうにないので思い出にうpしておこう。


私FF派なのでΩです!謎?ww時代の記録。
これで退院までは何も無いのでオシマイ。




食事は2割-3割で腹八分になる。



現時点で抱えている大きな問題
・下痢
薬で対応、普通の便に近い状態まで持って行きたい。
今は水便、アヘンチンキが5時間程で切れると腹がグルグル唸りだして水便がでる。米粒大位の物には消化できているようだが。。。
・食事が摂れない
一日6-8回に分けて基礎代謝分のカロリーを摂る。
体重は術前の増加分が上手く消費できている。
2-3ヶ月後に食事が普通に摂れるようになっていれば、標準体重でスラっとした男前!?
これ以上もてるようになっちゃうと困っちゃうぜ┐(´д`)┌
・体力がない
日に日に体力はついてきているが、数時間座り続けるだけでもしんどい。
普通の生活ができるまの回復には2-3ヶ月かかりそうだ。
・呼吸が半分ほどしかできない、大きく吸い込むと引っかかる??
解決策が見つからず。
少しずつ吸い込める量が増えているので観察する。
・寝床の問題
諸事情でコイルマットの上に布団を引いて寝ているが体が痛い。
厚さ12cmの低反発マットをヤフオクで購入した。
抱きまくらとこれがあれば安眠はできそうだ。
とにかく寝ていたい。

何にせよ事なき?を得てよかった??が、生きているだけで必死すぎる(;´Д`)
今回の一連は防ぎようがないものなのか????
振り返ったが大きなポイントが無い。
一回目は失敗??して病院に出戻ったが、もう一度挑戦だ。

間もなく病気が発覚して一年となる。

約1年前に自分の行動が良い結果を出して勲章になる事を願った。
妥協せずに自分の目標の為に動き続けて得たものは、腹についた傷と、心の成長と、この駄文ブログ。
間違いなく勲章だ。

少し体調を悪くすると大丈夫なのか?攻撃、病院に行けば転移が無いか、腸閉塞が無いか等の言葉が重い。
こんなに早く再発なり転移を疑うものなのか。
CEAの上昇と、誰かの一言が一々心に重くのしかかる。
まじで切ないんすけど(TдT)
少し放っておいてくれと思う。
何だか、よく意味がわからなくて辛い事ばかりだが、今回も乗り切れそうだ。

/hide DOUBT " zilch vs hide " mix 歌詞


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Hey Gentleman 
そんなにそっちの水は甘いか?
FUCKOUT!
四面楚歌でも気付ききゃしねえのさ

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2013年5月30日木曜日

太陽に花束を / 49日目-56日目

5/23
膵液用のドレン駅の検査結果が良いので、腹の中への注水を終了し、生理食塩水の点滴、輸液ポンプ、バキューム用の機械を夜に取り外した。
夜の回診時に、医師(天使君)から食事もとれているので、フェンタニルの痛み止めを外してもいいなら、いつでも首のCVを外してもいいよ、と言われたので、翌日に抜いてくれとお願いした。
安全第一。
シャワーを許可されたので、早速シャワーを浴びてみたが腹のパイプが気になって、気持が良い気分ではなかった。
シャワーから出ると体中がカルキ臭かった。

食事は腹七分で、常食している物を取り入れていく事にした。
摂取カロリーを気にし始めたが、まずは普通の食べ物が問題なくとれるようにならなければ(;´Д`)






5/24
朝の回診時にCVを抜いてもらった。
入れる時は大袈裟だったのに、抜く時は作業に気が付きもしなかった。
これで体に繋がっているものは無くなった。
超自由。




機動性の確認に1階のタリーズで飲み物を買って、病院の隣にある公園に出てみた。



公園に一歩入って左右確認。凄く嬉しくて笑顔になった。
座って飲み物の写真を撮っていると、何してるのっ、と男の人に肩を叩かれて声を掛けられた。
凄く驚いた(;´Д`)
HCUにいる時に仲良くして頂いてた看護師の一人だった。
退院したら遊ぼう、と約束をして、少し雑談をして別れた。
女性の多い職場に男性が入ると女性化するのだろうか。




夜の回診時に外科医達とPCの話題で少し盛り上がる。
翌日の夕食から通常食に変更する事がキマった。
外科の主治医と私はPCの選択で同じ道を辿っているようだ。
物の価値観が似ている人が担当してくれていて良かった。



冷やし中華は麺を半分、具材は全て食べた
右下の細巻きは翌朝に回した

5/25
夕方に先輩夫妻が見舞いにきてくれた。
先輩は相変わらずで、奥さんはますます綺麗になっていた。
お菓子をもらった。
ラムネ(^ρ^)あ(^ρ^)り(^ρ^)が(^ρ^)と(^ρ^)う(^ρ^)


夜の回診で、週明けに膵液のドレンを確認して、問題が無ければ月曜日に腹のパイプを外しましょう、と言われた。
医師(天使君)に退院したいのだけど◯日は可能ですか?、と言うと、いけるでしょw、と言われた。

回診後に外科の主治医が一人で来た。
術後の大変な時期にこのような事を話さないといけない事が非常に残念ですが、術後の抗癌剤はどのように考えていますか?と言われた。
肝臓と膵臓のどちらへも抗癌剤を使わないといけないと思っている事、抗癌剤を受けていた病院がTS1をプッシュするのであればがん研で治療したい事、別の案を提案してきたり私と同等の考えであれば、今迄と同じように経過観察はこちらでお願いしたいと伝えた。
複雑な治療をしてきた訳ですから判断が難しいと思いますので、私達もカンファレンスを行い、提案できる事を相談したいと思うと言われた。








5/26
特筆すべき事は無し。
1階のエスカレーター横にある階段で運動をした。
ベッドをフラットにして、体を横に向けて好きな姿勢で寝る事ができるようになった。
退院すると電動ベッドとお別れになるのが悲しい。
帰宅したらお気に入りの一人掛けソファーにいる時間が増えそうだ。





白米は殆ど食べる事ができない。
すぐに満腹になるのでおかず優先で食べているが全体の半分しか食べる事ができない。

5/27
朝の回診時に腹のパイプが抜かれた。
抜く時の医師(天使君)が凄く嬉しそうだったw
私も嬉しかった。
体に何もささっていない(^^)(^^)(^ρ^)

昼間に妻と娘ちゃんが来た。
娘ちゃんが自己主張するようになっていた。
もう少しで会話ができそうだ。
途中でレントゲンを撮りに行った。

夜の回診時に外科の主治医と天使君の3人で今後について話し合う。
主治医からは、当院のカレーを気に入ってくださっているようで嬉しいです、と言われた(;´Д`)いつの話だ。
入院しても改善されなかった肺の問題をクリアする為に、胸水を明日に抜く事になった。
他にも上半身に痺れを感じたりしており、胸水を抜く事で解決するかもしれないと考えた。
腹水の量とリスクを天秤に掛けると抜かない方がよさそうだが、折角なので入院している間にチャレンジしてみる事になった。
木曜日の血液検査の結果が良ければ希望日に退院ができそうだ。

20時45分に1階に降りてタリーズ前からホールを抜けて入り口まで約200Mを走った。
日頃の運動の成果??余裕。
腹の穴が塞がったら筋トレを始めたい。
煙草を吸わないせいか、走った後の胸の圧迫感が少ない。

昼食の写真が無い(;´Д`)



白米は諦めた。おかずは殆ど完食ができる。
肉を食べても体が痛くないのは素晴らしい。
血液検査の結果は、これだけボロボロながらも基準値県内で良好だ。


5/28
逢引きをした(^ρ^)
お誘いありがとうございまいた!!!

胸水を抜いた後にシャワーは無理そうなので、午後一でシャワーを浴びた。
まだ腹の穴から膿のようなものが出ているので、シャワーで洗い流して綺麗な状態を保つように指示されている。

15時過ぎに胸腔ドレナージの処置をする為に、お気に入りの看護師が処置室へ案内してくれた。
座った状態で点滴棒のような物を両手で持ち、背中に局部麻酔をして、二段階の押される痛みがあると、水が滴る様な音が聞こえ出した。
その後すぐに、発汗を始めて、目の前が白くなりだして、ふらついて自立しているのが困難になった。
血圧を測りながらの処置だったので、100から90、60と下がっていく血圧と状態の悪化が比例していて面白かった。
胸膜ショック??で血圧が低下する事があると言われた。
始めて見た症状だ、と医師(天使君)は少し嬉しそうな感じがした(´Д`)
お気に入りの看護師が少し慌てていて萌えた。
ぴったり1リットルを排出された液体を見ると、乳白色でミルクセーキのような色をしていた。
(汚物なので画像はもっと読むに貼る)
色から判断するとそんなに心配する事が無さそうだ。
胸水を1リットル抜いた後は、呼吸の苦しさがなくなり、深呼吸で体中に空気を送る気持良さを久しぶりに味わった。
同時に、においにも更に敏感になり、今までより感じるにおいが増えた。
汗を拭いてもらって病室まで付き添ってもらった。
寝ても苦しくない。
最高。
超調子良い。

完食してやったぜ(^ρ^)

お気に入りの看護師に教えてもらった。
これ+ベリー食(;´Д`)
せっかくなのでオーダーしてみた。

食事は前日と変わらず。
一日に便の回数は5回程で安定した。


5/29
特筆すべき事は無し。
夜に珍客あり。


どちらか選べずに2つ買ってしまった。
が、すぐに2つとも完食した。
たけのこの里かな。
食事量、排泄回数変わらず。



5/30
朝の採血が終わって朝食を味わって食べた。



昼前に医師(天使君)が来て、血液検査の結果は良かったです、予定通り明日に退院しましょう、一応後でレントゲンを撮ります、と言われた。
5月上旬から半ばにかけての退院予定だったが2週間ずれこんでしまった。
しかし、腹の中を丁寧に洗浄できた事と、傷口が治りかかっている状態と、食事は少なめながら普通食を問題無く食べる事ができるまでにリハビリができたので良しとしよう。

昼食を食べ終わって休んでいるとレントゲンに呼ばれた。



レントゲンが終わってベッドに戻り、いつでも帰宅できるように片付けをした。
やっと集団生活が終る。
早く帰りたい。
もう懲りごりだorz

お気に入りの看護師から最後のラブレター??(´・ω・`)

注意事項の脱力感wwww主治医wwwww

入院した時は厚着だったが、ランニングシャツに薄手のパーカーで十分になった。

夜の回診時に腹の傷が塞がっていない事を理由に入院を延長するか、このまま退院するかの話になったが、火曜日に診察に行き、炎症反応が無ければ様子見しようとなった。
酒・煙草は傷が落ち着くまで絶対に駄目だ、と医師(天使君)に念押しをされた。
その後にHCUの看護副部長??の男性が訪ねてきれくれて雑談をした。
明日の退院前に寄ります、と伝えた。

夕食を済ませて来客を待つ。


プレゼントが届いたwwwwwwwwwうはwwwwwwwwww

伊達男!

今日は雨時々曇りだけど、見る物が全て眩しかった。
目の前は開けた。
間もなく自由だ('A`)y-~

/Fenech-Soler - Golden Sun


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この先、人によってはグロ画像。
注意。