超元気です!
4/12追記
コメントありがとうございます。
腹筋が痛くてパソコンに触れなかったので、皆様に頂いたコメントを読み返しては、大目玉さんに言われた妄想を看護師相手に繰り返していますwwwwwwwww
膵臓半分と副腎以外は残してくれているそうで、肝臓の動脈を剥いたところ浸潤が見られたそうです。
よって、術後の化学療法が必要と判断されています。
術後の経過は、この手の手術の割りには良い評価をもらっています。
情報が定かではないので、後にここ数日の事をまとめてうpしたいと思います。
術後は痛いとコメントを頂いて、どんなものか少しびびっていましたが、ベクトルが違うもののca19-9が高値にあった時の方が遥かに辛かったように思います。
今は眠り姫のように一日中眠り続け、1日に数回歩いています。
昨夜まで三食ジュースだったのですが、今日から3分粥が始まります。
傷口はキャプテンハーロックのようなものを想像していましたが、かなり綺麗で少し残念ですww
呼吸と睡眠が普通にできる事に感無量です。
手術中に夢を見ることはなく、起きた時の第一声は結果はどうだ?、でした。
つまらなくて残念!!!!!!!!!!!!
4/18追記
13日時点は調子が良かったのですが、14日から少しずつ下降を始め、昨日17日に様々な合併症の症状が出て来ています。
私の所見ですが遠慮せずに痛み止め(麻薬)を使っていた事が引き金になっているようです。
4月中に帰ろうと、余裕をかましていたのに(;´Д`)
15日抜いた膵液用のドレン後が悪さをしているようで、点滴で抗生物質を入れ続けているが、これの効果がなければ再手術の模様。
今の段階で辛いのは発熱と腹の張りで、明日は少し腹水を抜くかも?
頑張るぜー( ´ー`)y-~~
4/19追記
夜中から呼吸が苦しくなり、肝臓が圧迫される違和感で目が覚めた。
ナースコールを押して事情を説明すると、夜勤の医師が呼ばれて問診をされた。
とりあえず痛み止めを入れておきましょう、と言わたが、そのまま眠ることができず激痛に変化した。
痛苦しくて横になる事ができず、座った状態なら何とか呼吸が出来る状態だった。
ただ、座ると液体が下に流れるようなイメージで体中がしみた。
朝まで何とかしのいで、ベッドに座ったまま病院内を移動してエコー検査と造影CTを撮った。
胃が相当腫れているようで、予防策?を兼ねて、鼻から胃へ管を入れて、中身を出すことになった。鼻の奥が狭いようでチューブを入れる際に痛い!!!と声が出た。
胃の裏に膿が溜まっている事が原因では?との所見で、膿の掃除を兼ねて開腹する事になった。
そんな簡単な問題ではなさそうなんだけどな。。
15時頃から手術室に移動するようだ。
解決する事を願う(T_T)
追記
1530から1830で手術は無事に終わった。体がどんどん魔改造されていくw
4/20追記
ドレンを早く抜きすぎたか、ドレンとは別のところから膵液漏れしたことが原因のようだ。
それにプラスして横になっている時間が長かった事が事態悪化の手助けをしてしまったと思われる。
胃の裏を中心に5リットルの水で洗浄したと説明された。
肝臓の痛みは膿と肝臓裏にたまった血液か水が原因のようだ。
頑張ってリハビリをしてさっさと帰ろう。
4/23追記
膵液を効率よく出す為に3回目の手術を行った。
水を循環させて濃度を下げて強制的に吸い出す、至ってシンプルなものだが、腹から出ている6本のパイプの1本が胃の動脈に当たってしまっていて簡単には事が運ばなかった。
19-20日朝にかけてかなりの出血をしてしまい、これが出血の元なのかもはっきりせず、できるだけ安静にした状態で新しい感染に怯える緊迫した数日だった。
今朝どうするか伝えると言われていたが開口一番に、命に関わる厳しい状況であり、造影CTでもう一度確認させてほしい、それを見ながら思惑通りにいくなら処置室に移動してそのまま処置をすると言われた。
CT結果は希望通りのアプローチができるものではなく、少し離れた場所から眺めていた私にも開腹しか無いのかな、と思えるもので、他の科の医師も含めて相談したいからHCUに戻って休むように言われた。
三時間程待っていると車イスでCTの処置室?に運ばれた。
様々な角度から撮影をしながらリアルタイムで画像を確認する事ができる素晴らしい機械で、腹に入ったパイプに造影剤を流し、細い針金をいれて自在に角度を変えながらスイスイ入れ換えをしていく様に感動をした。
局部麻酔だけにしてもらい、一連の作業を全て見る事ができた。
術後は今までと違い、体が軽くなったような感じでスイスイ歩けた。
8日から連日38度台をキープしていたが、今は37度前半に落ち着いている。
術後のリハビリ歩行は欠かさずにしていたが、いつも鉢合わせする私より10程上の方に置いていかれる敗北感を味わう毎日だったが、これなら小走りでぶっちぎれるぜ(-。-)y-゜゜゜
フォード型のV6エンジンは味があって嫌いではないけど、やっぱり時代は3気筒っすよwwww
明後日には一般病棟に戻れそうだ。
お気に入りの看護師が今朝見舞いにきてくれた。
MMKwwwwうはーwwww
4/27追記
昨夜に外科の担当医が来て、前回の手術から今迄の経緯を、おさらいを兼ねて再度説明をしてくれた。
1回目の手術のドレンを抜いた時は膵液漏れが殆ど見られなかったが、開腹すると切り口がジェルのようなものでパッキングされた状態だった。この間に膿状の物が胃の裏に蓄積されて、神経を圧迫して激痛の元と高熱の原因になったと考えられる。
2度目の手術以降は想像以上の膵液漏れが始まり、ドレン用に入れたパイプでは対応が追いつかず、更に動脈群を突くような感じになったと考えられる。自分達で処置を考えたが、開腹リスク等を視野に入れて断念し、放射線科に3回目の手術を依頼してドレンの入れ替えと新設を行った。
それ以降は熱も下がり続け、少しずつではあるが炎症等の数値も良い方向に向きだした。
膵液漏れが落ち着けば、胃も少しずつ動き出すのではないかと考えている。
(現在は鼻から胃へドレンを入れて排出している、糖分が無いものなら飲み物は好きなだけOK、絶食)
いつ頃に等の時期的な話はできないが、確実に良くなるので安静にしていてください。
簡単にまとめるとこの様な説明を受けた。
気持ち的には常に前しか見ておらず、自分の体の事なので何となくは想像がついていたが、思っていたよりは長丁場になりそうだ。
一般病棟に戻される事はなくなり、相変わらずHCUに連泊している。
お腹に生理食塩水を持続的に流し込み、機械で吸い出す様は気持ちの良い物ではない。
チュルチュル音がする(;´Д`)
お腹の中にある汚れでドレンがつまると、別の所から漏れだすのだが、これをガーゼが吸って冷たいやら重たいやらで満足に眠れない日が続く。
通常の睡眠時間は2-3時間、眠剤を点滴すれば6時間程は眠れるといった日々だ。
幸いにも横にはなっていられるので、睡眠不足の辛さ等は感じることは無い。
HCUの婦長と外科部長のはからいで、パソコンの使用を許可され、ベッドを窓際に移して頂いた。
久しぶりに浴びる太陽の光は心地が良くて、気持ちが良いと心の底から声が出た。
看護師にも、久しぶりに笑顔を見れて嬉しい、と言われた。
女性とはいつでも笑顔で話しているつもりなのだが。。
夕方に看護師2名と話をしていた所へ、私がいた病棟の婦長が様子を見に来てくれた。
早く○○さんをこちらに返してくださいね、3日前より随分と顔色がよくなっていて安心したわ、と言いながら、手を振って病室を出て行った。
いつかはこの辛い日々や、関わってくれた沢山の方の表情や匂いも記憶が薄れるのだろうが、毎日を無駄に過ごす事無く、有意義に過ごせる方法を考えたい。
コメントを入れてくれる方、本当にありがとうございます。
最近は音楽を聞いて体を揺らすか、カーテンの模様の数を数えて計算する事が趣味の病的な私ですが、皆さんからコメントが来る度にブログを始めて良かった、と思っています。
返信していく事は難しいのですが、気になるコメント等にはたまにコメントを返していきたいと思います。
私のブログを印刷してマーカーを引いている悪趣味な方へ
コメントにあった日の記事を読みなおして気持ちが引き締まりました。
ありがとうございます。
女性のコメントはピンクマーカーでお願いしまっすww
まさるさんへ
今の痛みは我慢出来る程度の物になっています。
お腹の中で小人が休む事無くバーベキューをしていて、星一徹のような親父がたまに鉄板をひっくり返す感じかな?w
4/28追記
今日の血液検査とレントゲンの結果を見て、確実に一歩ずつ前進をしていると感じた。
昨日から横になっているより座っている時間が長くなってきた。
お腹の中のゴミも明らかに減少をして、詰まって冷たい思いをする事も今日は無い。
2回目の手術から続いたシャックリも収まった。
尿道に排尿用の管を入れているのだが、朝5時に違和感を感じて目を覚ますと、まさかのモーニングエレクトwwwEXCELLENT!!!!
もう退院しても大丈夫そうな勢いだww
抗癌剤と毎日の点滴で血管がボロボロで、回復が追いつかなくなってきて、点滴用の血管を新たに探すのも一苦労なので、回診に来た医師にポートの設置をお願いしてみる。
記念と興味がある方向けに、2回目の手術以降の腹の写真と動画をうpしてみた。
回復は鳩尾から臍上でL字、Lの下部分は殆どくっついている。
病院の許可を取っていないので削除する可能性があります。
グロ苦手な方、良い子のみんなは見ないようにね!!!勝手に見て文句言うのは無しだよ!!!お兄さんとのお約束!!!
下記のもっと読むで画像と動画が見れます。
追記
御礼を忘れていました。
やり始めたのなら、いつか1位になってみたい、と思っていたので、凄く嬉しかった。
きっかけを作ってくれてた、膵臓癌カテゴリーに関わる方々を始め、応援クリックをしてくれる皆様、ありがとうございました!!
4/29追記
昨夜、洗面で歯磨きをしていると、いつも私のお願いを聞いてくれて、的確に処置をしてくれる医師(天使君とアダ名をつけているw)が歩いてきた。
◯◯さんお願いがあるのですが、と呼び止めて、血管がボロボロで点滴が辛い、今後も抗癌剤治療を続けるつもりなので、CVポートの設置をして頂けないか、と言うと、今は感染や高熱が怖いからCV挿入だけでも良い?、と聞かれた。
点滴や採血で針を刺す場所を探す苦痛と、ドラえもんのような手から開放されるのであれば何でも良いので、それでお願いします、と答えた。
いつがいい?、と聞かれたので、時間のある時でかまわないが、明日の娘が来る時間帯は避けたい、と答えた。
去年体調を崩してからは全く元気が無かったマイサムだが、今朝も下半身に違和感を感じてモーニングエレクトを確認!!!!!!確実に体調が良くなってきている!!!!!!キタヨキタヨ(゚∀゚=゚∀゚)キチャッタヨ-!!!!!!
起床時の体温・血圧・血糖等の測定をしている時に、ポートの設置を今日でもいいか先生が言っているけど大丈夫?、と看護師に言われた。
娘ちゃん達の動向を伺い、11時過ぎ位に処置が終るのであれば大丈夫です、と答えた。
その後すぐに、私のお気に入りの看護師がお見舞いに来てくれた。
数値もかなり改善されているし、この管ももうすぐで外せそうだね、早く帰っておいでよ、と言われたので、デートしようよw、と意味のわからない返事をすると、奥さんいるじゃない、と言われた。今ここにいないから大丈夫、と答えると、笑いながらまた来るね、と言って手を振りながら退室をした。
10:30に医師が来て、消毒やカバー等を行い、エコーで印を付け、局部麻酔をして30分程でCV設置の処置が終わった。
一発目の局麻と、血管を探す時の押し込まれる感じと、痺れ以外は特に不快感は無く、処置後すぐは突っ張り感があった。
その後すぐに娘ちゃん達が到着した。
連泊しているHCUは昨日から個室状態で、看護師達のはからいで娘ちゃんを部屋に通してくれた。
久しぶりに会う娘ちゃんは、管がたくさん出ている私を強張った表情で見ていたが、◯◯ちゃんチュッ!!は?、と聞くと、チュッ!!!と言ってくれて、いつも通りの関係性に戻った。
娘ちゃんが来るので、秘蔵の飴ちゃん(サクマのいちごミルク)を砕いて準備しておいた。
これでもか、と綺麗に磨きあげた指で粉々になった飴ちゃんを娘ちゃんに、あーんと言って口を開けさせて、指を舐めさせると気に入ったようだった。
今日は私より、繋がっているパイプや体温計の方に興味があったようだったが、始終抱っこをせがむ表情をしていて、抱き上げてやれない事を少し悲しく思った。
10分程で娘ちゃん達を帰し、ポートを触ったり観察をした。
移動式のレントゲン車が来て3枚レントゲンを取り、問題が無いので首からの点滴に変わった。
なかなか格好良い改造をしてくれた チューブと肌は糸で縫われているようだ |
その後、看護師達が来て、娘さんそっくりですねw、と言われた。
普段は自分の事を看護師に全く喋らないが、外で娘が可愛いと声をよく掛けられるのだが、私を可愛いと言っているのかいつも疑問に思っている、と言うと、これだけ男前なら娘さん口実に声をかけてるだけでしょ、とリップサービスを頂いたwww(決して見た目は男前では無い(注))
夜勤の方が挨拶に来て、医師(天使君)が具合はどう?、と聞きに来た。
気分的に楽になった、と答えると、それは良かった、と言われて、また来ますね、と退室していった。
今日はこのまま変わった事もなく一日が終わりそうだ。
両手が自由に動かせるこの素晴らしさ!!!!
娘ちゃんに会えて元気が出た!!!
頑張って早く帰ろう!!!
5/1追記
今日は自分にとって大きな進展がある日だった。
特に治療で何があったという訳ではないが、ここ一年は病気になる前の半分程度しか動かなかった頭が80%程度は動き出した事を実感したのが大きいのかもしれない。
体はまだまだ本調子ではないが、長く暗いトンネルから抜け出しそうな今を思い、昨日から今日に掛けて、自分が今後どう生きていくかを考えた。
自分にとってこの術後の記事は、心に抱える不安の置所だったような気がする。
それももう終わりが見えてきたので、今後の決意等を述べて、この記事に終止符を打ちたいと思う。
生存率について
年寄りが多い病気なので、世間に浸透している生存率に自分が該当する気は全くないが、5年生存率10%には余裕で入るだろう。根拠は無いが、自分ならどうにかできる。気がする。
治療について
この若い体の回復力を信じて、今後も抗癌剤を続ける事にした。
免疫療法等も一時は頭を過ぎったが、コストに見合った結果がついてくるとは到底考えられない。
鈍感力という言葉があるが、私の適当な性格は鈍感に近いのかもしれない。敏感と鈍感を上手く使い分けて、不必要な情報を完全にシャットダウンする事ができる自分の能力を評価して、今後も自分の感覚に頼った治療を選択していきたい。
FOLFIRI+アブラキサン+アバスチンを半年程行い、生活のサイクルが組みやすい服用薬(TS-1)に変更していくつもりだ。
肝臓の動脈に癌細胞があり、細胞レベルでは取りきれていないと医者から言われたので、転移・再発リスクは高いだろうが、半分切断しても半年で回復する肝臓だけの問題に収めれば良い話だ。
一度は死にかけたが持論で回復をして、一時はイニシアチブを完璧に握る事ができた。
抗癌剤と若さで体に残った癌細胞を徹底的に蹴散らしてやる。
家庭について
弱っている時は娘を心の拠り所にしていたが、私の愛情のベクトルは妻>娘である事を再認識した。
結婚する時に、食う事だけは困らせない、先に死なない、と約束をして結婚をした。
これを守る為に、妻には弱った姿を見せまいと、強がって嘘ばかりついてのらりくらりかわして、死に物狂いで治療に取り掛かった。妻の笑顔が見れない人生なんて、生きている意味が無く、黄身が無い目玉焼きのようなものだ。
結婚して8年目になるが、ジャジャ馬過ぎて未だに手がつけられない妻を誇らしく思う。
娘には悪いが、所詮は妻が望んで得た産物であり、私の基準で選んだ妻とは違い、カードゲームでランダムに配られたクイーンのような存在でしかない。
娘が私を尊敬するかは不明だが、1つだけ間違いなく言える事は、誰よりも近くで私の背中と人生を見て成長していく事だ。
娘に対しては生活を保障して、学習院やポン女等の安牌なレールを用意するつもりだが、彼女に対して何かを強いる事はしたくない。
世渡り術、社会ルール、どこに行っても通用するマナーさえ覚えてくれるのであれば、賢くなくても特別でなくてもいい。
自分が思うように生きて、この素晴らしい世界と命の大切さをかみしめて生きて欲しい。
私がつけた名前の真意に早く気付き、人生を謳歌してほしい。
私は家庭の為に生きない。
私の人生は私だけのものだ。
家庭や子供の為に自分のやりたい事は我慢しない。
病気になって死を身近に認識したらからこそ、尚更、自分の欲求の為だけに生きていきたいと強く思う。
命ある限り、思った事は後回しにせず、すぐに実行し、色々な思い出を作っていきたいと思う。
とにかく色々な所に旅に行きたい。
いつか世界の果て、PATAGONIAを目指すぞ!!
仕事について
世の中の大多数は雇われ感覚で金の為に仕事をしているだろうが、私は自分に課した使命を達成する為に仕事をしている。金なんて自分の出した結果に勝手についてくるものだ。
31歳という仕事盛もいい所で失速した今回の一連の騒動は、自分のキャリアにとってどんな物になるのか想像がつかない。
私、膵臓癌なので1秒ハンデをください、そんな事が通用する競技は世界のどこにもいない。
キャリアを追うという事は、見えない相手だろうが自分の力を全開にして、どんな状態だろうが競争に勝つという事だ。
私は癌の王様というクソッタレとの競争に勝てそうな勢いだ。
転んでもタダで起きるつもりはない。
必ずこの経験も自分のキャリアになる事を信じている。
帰宅が遅く何をしているかわからないとぼやく妻だが、私にとって仕事は人生そのものだ。
物欲もたいして無く、地位や名誉も興味がない、ただ自分が決めた目標を達成する為に生きる。
不器用に見えるかもしれないが、そうやって私は自分のキャリアを積み上げてきた。
今後も変える事はないし、更に仕事への打ち込みは強いものになるだろう。
迷惑がかかるので何度も退職を考えたが、自分のいるべき場所は今の会社以外に無い事を再認識した。
同じ業界に属す者にとって、怖いもの無しになった私の存在は恐ろしいものになるだろう。
必ず上司を始め仕事仲間に恩返しをして、日本、いや、世界一のシステムを作り上げたい。
ブログについて
今では多数の方がコメントを入れてくれるが、正直な所、寄りつきにくいイメージがあるだろう。
私のブログを読んでくれている全く接点のない人にブログのイメージを一度だけ聞いた事がある。
がんサポートの取材を受けて、キノシタさんの翌月に自分の事が雑誌に載ったのだが、取材を受けた後の余談で私のブログの印象をインタビュアーに尋ねたが、お洒落というか感覚が違って寄り付きにくい感じがある、と言われた。
私は皆様からのコメントには本当に励まされて、家族とは違うベクトルのエネルギーとなった。
なので、買い物のメモ書き程度でもかまわないので、今後も遠慮せずにコメントを頂戴したい。
コメント返しは色々な問題でできていないが、必ず読んで心の中で返事をしている。
自分では気付きもしない新しい発見が多々あるし、この人に会ってみたいから治療を頑張ろう、という思いも少なからずある。
特に会いたいと思う方は九州に集中しているので、テンさんの見舞いがてらチャンスがあれば会いたいと思う。
今後はブログの更新頻度が減っていくだろうが、生きている限り今後も続けていく。
そして、おとなチャレンジプロジェクトと題した目標を必ず達成して、死にそうだったけど立派なものを築き上げたんだぞ、と胸を張って次世代にバトンタッチをしたい。
男として
色々と準備は整ったw
色気漂うダンディーなおじ様になれるように努力したいと思う。
今日は尿道に入っている管を抜いてもらった。
連日シモネタでアレだが、夢もみていないのに睡眠中にエレクトしてしまい、下半身の圧迫感で何度も目が覚めた。もうね、本当にすごいんですよ奥さん!!ズボンが破れるんじゃないかと思うほどにガチガチになるのです(;´Д`)
医師が朝の回診に来た時に、勃起してチューブが奥をつつくので痛い、と訴えると、苦笑いしながら、よく歩いているみたいなので大丈夫そうだから抜きましょう、と言ってくれた。
前回は術後7日目の15日にお気に入りの看護師に抜いてもらったのだが、バルーンの水を抜いてすぐに、勢い良く引っこ抜かれてズルズルズルと引っ張られる感がトラウマになった。
今回はゆっくり抜いてくれて痛みや引っ張られる感覚も無かった。
直径3-5mmもある管が尿道に入っているなんて正気の沙汰ではない。
やっと鎖から開放されて、サバンナに放流された雄の気分だ。
昨日から体がかなり自由に動くようになり、身の回りの事が自分でできるようになってきた。
HCUなので看護師がつきっきりで何でもやってくれるのだが、自分の事は自分でやらないと嫌な性格が災いしてか、看護師が洗面や散歩に行く?と合図をくれると、取り付けられた機器の電源や胃管のパック等を自分で点滴棒に収納して、用事が終われば自分でベッドに戻り、元通りの状態に戻したりりと、高性能なルンバ状態になってきた。誰かしらに報告をして行動をするようにしているが、担当の看護師は私がどこに行ったかわからず慌てるw
HCUの中はT字になっていて30M程しか歩行距離が稼げず、何度も同じ道を行ったり来たりしている様はボケた老人のようだ。それを見かねてか、昨日はHCUの外廊下(200M程か?)を歩かせてくれて、今日は1階のコンビニへお茶等を買いに行き、10階の病棟を歩き、600M程は歩いたと思う。
担当する看護師に仕切りに脱走しないでね、といわれるのだが、私はそんなに逃げそうなのだろうか(;´Д`)
久しぶりに外の空気を吸った。
言葉では想像つきにくいと思うので、私のお供の写真を載せたいと思う。
今の年齢-20からセブンスターを吸い続け、ここ数年はショートピースとロングピース(黄色のピース)を吸っていた程のニコチン中毒だったのに、手術をしてから煙草を吸いたいと思わなくなった。
今日の更新は読み手には意味不明な事ばかりだろうが、私は抱えていた呪縛から一気に開放された。
私の好きな映画の1つで私の人生に大きく関わっている、ショーシャンクの空に、の主人公が目標を成し遂げた時のシーンと自分の気持ちがリンクしている。
凄く気持ちの良い一日だった。
私は今ここに生きている。
見た事が無い人は、是非見てみてください 細かい事を言えばVHS版がお勧めですがDVDを買う価値がある作品です この作品からブログに引用されている言葉が多々ありますw |
チャレンジしたい事があるので、応援してくださる方はバナークリックをお願いしまっす!!!